『宵山万華鏡』(森見登美彦)
当代の若手人気作家の一人で、新刊が出ると本屋が山のように平積みするのでいやでも応でも目に入るのですが、この人の「太陽の塔」と「夜は短し歩けよ乙女」を読みかけて、どちらも中途で投げ出していたので、わたしとは無縁の作家かと思ってしばらくは手にとらないでいました。
が、今回は「宵山」というタイトルの文言と、この本のカバーの華やかさ(好きです)に惹かれて手にとりました。若い作家はどこかで大化けすることがあるし、だいたい私の読後感というのもあてにならなくて、1回しか読まずに印象で書いているだけですから、とんだ読み違いばかりやっていることでしょうから、まず野球で言えばよくて3割。(野球ならプロで3割常時打てたら立派な打者なんでしょうけど)・・映画なら1割か(笑)。
そんなわけで今回は謙虚に読んでみました。で、これは面白かった!
素直に通読して、宵山の祗園囃子や粽売りの子供たちの歌声や人々の喧騒、提灯のあかりや露店の賑わい、屏風祭りとそれを見に来る人々の動き等々の華やぎの中を泳ぐように人々の間をすりぬけ駆け抜けていく赤い浴衣姿の幼い一群の女の子たち(宵山様)の姿が鮮やかに浮かんできます。
そして、その金魚のような一群の少女たちについていって幼児が失踪するエピソードに集約される、登場人物それぞれの視点からのリフレーンも、よく考えられていて、最初からもう一度読むと、そのつながりと話の核心である収斂点がみえてきます。
それはリアリズム風に言えば、この物語全体の出発点にある出来事であり、この物語全体の源泉でもあるのですが、娘を失った父親の、何年の時を隔てても消えることのない哀しみが、宵山を昨日も今日も明日も繰り返し今日として生きるほかはない姿として描かれます。
ここには本当に私たちの幼い日の縁日などの記憶の光景と体験を喚起するような、とても鮮やかな細部の描写と視点を変えた語りの構成の卓抜さによる仕掛けがあって、それがとても効果的です。
たぶん、この系列だけで構成すれば、この世とあの世を通底する、懐旧的で悲哀の色を帯びたロマンチック・ファンタジーになったのでしょうが、そこに「金魚鉾」やら「宵山様」の鎮座するお座敷やら龍ともなる鯉のぼりやらを作って、知り合いを騙して面白がるという、「宵山劇場」のような章を挿入するところが、とても面白い。
これはこのファンタジーを相対化する仕掛けで、冒頭の「宵山姉妹」やこれに呼応してまったく同一の文章ではじまる最終章の「宵山万華鏡」の視点やその他の上記のファンタジーの系列の主要人物の経験する、あの世とこの世を往還する世界の全体を、まるごと嘘だよ、遊びですよ、とファンタジーの世界の向こう側から見える光景をさらけ出してみせる仕掛けでしょう。
ちょうど芝居のホリゾントのこっち側で観客に見せている世界と、その裏側で書割を作っている劇場スタッフの楽屋世界があるとすれば、楽屋のほうも見せて書割を書割としてさらけ出している、とでも言いましょうか。
まぁ、そのつなぎ目がうまくいっているかどうかは、読者によって少し判断が分かれるかもしれませんが、私は全体を通読した印象として、面白かったなぁ、ということで、違和感はありませんでした。
この作品の源泉のところにある悲しみの井戸が、華やかな宵山のまっただなかに置かれていることで、最大限の効果を発揮している。作品の場の設定がよく生かされていて、人のいないはずの蔵の中から、あるいは雑踏の中から、赤い浴衣姿の少女たちがほろほろとこぼれるように出て来る、あの光景が本当に見てきたように脳裡に浮かんできます。
その宵山も近いことだし、出版社の思惑にまんまと乗せられることになりますが(笑)、これはおすすめの作品です。
blog 2009.07.08