山本周五郎
「樅の木は残った」
『樅の木は残った』(山本周五郎)
昭和31年に日経新聞連載完結、昭和33年に大幅加筆の上、出版された、時代小説の名作。
新しい小説をある種の強迫観念に突き動かされるように読んでいると(もちろんそれ自体、楽しみでもあるし、楽しみ以外の何というわけでもないのだけれど)、ときどきこういう昔の、味わいのある名作をふっと思い出し、無性に読みたくなって、父母の本棚にあったのをこっそり取ってきて読んだ、たしか一冊本の分厚い単行本がどこかにあったはず、と思ってみるが、もう家の中でその一冊を探し出すことは不可能で、結局文庫本になった上・中・下の3冊を新たに買ってきて、2日間の通勤時間にプラス休日のちょいと時間をとって読んでしまう。
読み出すととまらない。少しもこの作品に古びた印象は無い。伊達兵部や酒井雅楽頭と原田甲斐の周辺に送り込んだ彼らの間者との、マル秘の対話だけで成り立つ部分などは、昔読んだときもそうだったけれど、いま読んでもゾクゾクする凄みがある。
しかし何といってもこの作品の魅力の第一は、歌舞伎でも映画でも過去ずっと極悪人扱いされてきた原田甲斐を、命と引き換えに伊達藩62万石を救った深慮の人として評価を逆転して描き出した、その人物像の限りない魅力にあるだろう。
幕府の権力者の謀略に立ち向かう圧倒的な力の差のある戦いはとどまるところを知らない後退戦でしかありえない。引いて引いて、それでもなお最後まで追い詰めてくる圧倒的な権力に立ち向かって、最後に自分の汚名を着た死と引き換えに一矢報いる甲斐の、あくまでもお家安泰という封建武士の倫理の固い枠内にあって、それを守るために逆にそれを超えてしまう人間的な自由さ(それは彼の山育ちの野性として描かれているが)と、その自己矛盾が彼に与える深さが心をゆさぶる。
七十郎のような武士も魅力的だし、新八・おみやの成り行きもとてもいい。またこういう作品の中に宇乃のような無垢のキャラクターを一つ置く巧さもさすがだ。思わず泣いてしまうのは彼女が出てくるような場面。ただ、唯一気に入らないのは、作品の末尾にあらわれているような、なぜ宇乃と甲斐のつながりに性的な喩を与えなければいけないのだろう?という点だけだ。別段、それがあって汚れるわけではないけれど、そんな必要はなかったのではないか。
blog2009年05月31日