CURE (黒沢清監督) 1997
ホラー嫌いで、偶然夜中にテレビを見ていて、ホラーと知らずに何十年も前に見てしまったゾンビもののハシリみたいなアメリカ映画(だったと思う)のゾンビの行列が迫ってくるシーンや、これも夜中にパートナーと次男がテレビで見ていて、コワイ!コワイ!と身を寄せ合って怖がっていた中田秀夫の「女優霊」を何がそないにコワイねん!と見てしまって、車の中で手を振っていたはずの女がどこにもいないとか、さりげない心理の隙間に深く突き刺さってくるような恐怖感をいまだに反芻しては怖がっている怖がりの自分としては見たくなかったけれども、半世紀以上遅れの「老後の暇つぶし日本映画ファン初心者」としてあまりにも有名なこの作品を観ないわけにもいかないだろう、と今回初めて見ました。
日ごろから医学界の女性差別の現実に鬱屈した心を抱えていた若い女医さんが、催眠暗示にかかってトイレで男性の顔の皮をメスで剥いでいるシーンはちょっとキモかったけれど、そういう視覚的なグロさでコワイという場面はなかったように思います。それに、私は生物系の実験で3カ月くらい毎日、ホルマリンづけのサルのぬるぬるする死体を昼食のあとの時間帯に水槽から引っ張り上げて台の上で解剖する解剖学実習というのをやったことがあって、一番いやだったのが顔の皮膚を剥いでいく作業だったので、もう血の出る死体ではなかったけれど、一応似たようなことを経験していたので、あぁあれか・・とちょっとそのときのやな感じを思い出しただけで、やりすごすことができました。
それよりもこの映画で怖かったのは、自分では手を下さない犯人をみごとに演じた萩原聖人が、彼を追い詰めようとする刑事の役所広司と会話する場面で、苛立つ役所広司に対して断然萩原聖人のほうが余裕で対応していて、いつの場合も、ほとんど心理的に刑事を手玉にとって自分の世界に引き込んでしまいそうなので、いつ刑事が彼の術中にはまって殺人鬼になってしまうかという、そのハラハラ感がすごかった。それくらい萩原聖人はあぁいう人の心にのりうつって、操る能力をもつような人間としての存在感があって、リアル過ぎて怖かった。
どんなに平穏な暮らしをしているおだやかな人間にも、この世界で他者とあるいは身近な人と接している中でストレスを感じ、次第に澱のように心の底のほの暗いところに溜まっていくものがあって、それは他人はもとより身近な人間にもふだん容易に見えるようなものではないけれども、それが見えてしまう能力をもった人間がいても不思議はないし、この映画で萩原が演じている男はまさにそれで、しかもその溜まってるものを表面に引きずり出して、これがお前さんだよ、お前さんはほんとうはこうしたいんだろう?とささやきかけ、強力に背中を押してやることができる、というわけです。
それは本当にありそうな話で、ものすごく怖い。へんなお化けやゾンビが出て来たり、流血があるよりずっと深い怖さです。たぶんそれは、自分にもたしかに心当たりのある何かだし、自分の周辺のごくふつうの「いいひと」たち一人一人にも該当することであるからでしょう。
実際この作品で殺人を犯す人たちは、みな私たちの周囲にいる、ごくありふれた、ふつうの人であり、その中でもいわゆる「いいひと」で、最初から犯罪者然とした悪意の人というのはみあたりません。それが作品中では催眠誘導みたいなことになっていますが、或る契機を与えられることでくるっと反転してこの上なく凄惨な殺人事件を引き起こします。しかも平然と殺し、やったことを素直に認めます。
何が怖いって、自分がごく普通によく知っていると思っている身近な人が、突然自分のまったく想像だにしなかった、理解不能の人に変貌してしまうことほど怖いことはないんじゃないでしょうか。
私たちはふだん多くの幸せな思い込みのもとで生きていると言ってもいいので、ときに、あ、ちがっていたのかな、と気づくことがあれば、微修正を加えながら平和におつきあいしているわけですが、それが突然まったく理解不能の人間として現れたら、これはコワイ。本当のことを言えば、平生から私たちは多かれ少なかれ、そういう不安を感じているところはあるのかもしれません。
何十年と連れ添った夫婦でも、えっ、この人、こんなことを考えていたのか!とか、そんな人だったのか!とぎくりとすることは、ごくまれでしょうけれど、ありませんか?(笑)いや、私は正直言ってあります。たいていつまらないことだから(ちょっとしたこちらの癖がいやでしょうがなかった、とか、同じように食べているからずっと自分と同じように嫌いではないと思っていたおかずが実は昔からきらいだったんだとか・・・笑)いいのですが、これがもっと何か互いの関係に関わるような本質的なことだったりしたらコワイですよね。
この作品の「ホラー」的な怖さというのはそのへんにあると思います。つまりありふれた私たちの身近な存在が、ふつうは絶対に外からうかがうことのできない、本人さえもそんなものが自分の中に澱のようにたまっているなんて知らないことを、突然引っ張り出されて、袋が裏返って見たいな姿の自分をこれが本当の自分なんだ、と突如気づいて、まるで裏返るまでの自分とは違う存在になってしまう、その怖さ。これは自分であっても他人であっても本当に怖い。
次々の発生する殺人の実行犯はともかく、それを追う刑事の主人公までが、もうこいつが真の犯人なんだと分かっているのに、証拠もなにもないし、常識的な因果関係が立証できるわけがないから野放しで、監視し接触して秘密を解き明かそうとするけれども、そうして彼に触れれば触れるほどこちらのほうが危うい状況に陥っていく、そのスリルですね。
だからもう本当は結末は見えているわけで、その通りになっていってしまうのですが、いつ、どんな形でそこへと境界が越えられていくのかが興味の焦点になっています。
その意味ではそういう結末へ向けてのプロセスが暗示的というよりも顕示的で、最初からこの役所広司の刑事さんは私同様にイラチで、取調室で「彼」を取り調べながら、自分が冷静さを失ってキレてしまったり、奥さんとのことをズバリ指摘されて、そうだよ!なぜ俺だけがあんな嫁さんの世話をしてなきゃいけないんだよ!と胸の内をさらけ出して爆発してしまう。もうあの段階では完全に「彼」の術中にはまってしまっているかのようですが、まだあれは早いでしょう。
私なら(笑)もっと冷静怜悧で頭のいい刑事を対峙させて、その場面だけでもたっぷりと緊迫感をもっと盛り上げていきたいところです。あれじゃ最初から負けてるじゃないか、と思うし、あぁあ、やっぱりな、と最後はなってしまいます。ちょっと見え過ぎかな、という印象です。
ラストはなかなか粋な終わり方をさせています。前にも来て同じ席に座ったレストランで、前は沢山残して食べられなかった料理を、今度は同じ席でぺろりとたいらげて、余裕でコーヒーを飲み、タバコなど吸っている彼の横顔のアップから、カメラは焦点のぼけていた店内の遠景で彼のところへコーヒーを運んで来ていたウエイトレスを追い、彼女が他の客の所から、一度近くへ戻ってきて、上司の女性みたいな人から何かささやかれ、上司が立ち去ると、今度は一人でまた向こうへ歩いていって、今度は向こうにある台から躊躇なく包丁を手にしてスタスタと店内を歩いていくシーンで終わっています。刑事のほっと煙草の煙を吐くアップで終われば何も感じなかった(あれ?めでたく解決して終わったのかなとか)かもしれないけれど、カメラがそのまま店内の向こうのほうで別の客の相手をしているウエイトレスをとらえて、彼女をおっかけはじめると、おや?といぶかしく思いはじめ、なんでこんな人をとらえているんだろう?なにか彼と関係があるんだろうか、と思っていたら、最後に包丁ですから(笑)、あっ!と思った瞬間に終わり(笑)。
なかなかオシャレですね。さすが・・・
もっとも、その前に妻を預けている病院で、元気だったはずの彼の妻がカートみたいなのに乗せられて十字架ではりつけにされたキリストみたいなほとんど立ったような姿で、ひどい死に顔で、首から胸の上にかけて犯人たちが今まで殺してきた被害者の首に刻んだようなバツ印の大きな切り裂き傷がついているのを、ほんの一瞬見せていて、あのシーンでは最初に看護婦のごく普通の病院で働くときの表情をうつしてその死体をとらえているので、これは病院の廊下でカートに載せた、殺された妻の死体を運んでいるシーンであって、それまでに妻が殺されるもうひとつの殺人事件が起きているのが省略され、かつ暗示されているわけです。だから、いくらレストランでの刑事さんが、事件がすべて解決して安心してたらふく食べ、コーヒーをのみ、煙草をふかしてホッとしているといった姿をとらえていても、そんなわきゃないだろ!とは思ったでしょう。レストランでのそういう彼の姿をみせられたとき、あれ?どうなったんだろ?と思いましたからね。あのラストにいたって、ようやく、あぁやっぱり!という感じです。
とにかく萩原聖人と役所広司の距離が詰められていくときの、あの怖さはゾクゾクさせられるようなところがありました。
先に言ったように、刑事さんが早く切れすぎ!と思ったのと、あとバスで病院へ一人でいくシーンと、奥さんを病院へ送り届けるとき、どちらもバスでいくので座席に座っているのを見せるのですが、その後ろのリアウインドウに映っているのが、どちらの場合も空と雲です。そしてバスがゆらゆら揺れてちょっと浮いたり沈んだりするので、これって何か空飛ぶバスみたいだから、刑事さんの観ている夢か幻覚かいな、とも思いましたが、やっぱりそれだと辻褄があいません。
あれはへんな映像で、ちゃんと街の風景かなにかが後ろに流れていかないと変ですね。意味のないシーンだと思います。奥さんが首を吊る幻覚を見るシーンがあるので、なにかほかにもそういう刑事の幻覚があるんじゃないか、と深読みをしてしまいそうになるけれど、この刑事さんは犯人に対峙して激烈なやりとりをしているあたりまでは少なくとも正気を失っていないというか、手玉にとられてほかの殺人者たちと同じところへひきずりこまれそうになりながら、ぎりぎりのところで踏みとどまっている、と考えなければ辻褄が合いません。最後は犯人を殺しちゃうんですからね。ただ、その時にはもう、いわば「彼」が刑事さんの中に入ってしまっている。別の言い方をすると、刑事さんの内部のほの暗い場所に澱のように蹲っていた「本来の自分」が「彼」の手で引きずり出されて、刑事さんは完全に裏返ってしまった。
ところがそれまでの殺人者たちとは違って、この裏返った刑事さんはほかの人のように自分がなぜ人を殺したのかさっぱりわからない、という記憶喪失の状態ではなくて、ちゃんとわかっていてみごとに隠蔽して、もとの表の刑事さんの顔も失っていないから、部下に携帯で話して指示したりしています。
彼にオカルト的な催眠誘導能力をひきついだ「彼」が、他人を操って自分はからっぽで何もない、というのと違って、刑事さんはちゃんと刑事さんとしての実質も持っていて、しかも同時に自覚的な殺人鬼として自分の犯罪を隠蔽し、また他者の内面に入り込んでそのほの暗い場所をさぐりあて、引きずり出してその人物にお前の真の姿はこれだよ、したいことを実行に移せ、と教唆して殺人に導くような能力も獲得している、絶対の罪を問われず証拠も残さず人を動かして人を殺せる最強の殺人者として出現しているわけですね。
かれのラストシーンでの表情はごくありふれた刑事さん。事件を片付けてほっとしてたらふく食べ、コーヒーを飲み、うまそうに煙草をくゆらす刑事さんの顔です。コワイですね!(笑)
Blog 2018-10-25