海街diary (2015年)
以前に見てこのブログにも感想を書いたことがありましたが、今回、是枝監督の受賞記念というのと、広瀬すずのアイドルから女優への完全脱皮についての「開眼」(彼女はとっくに開眼していたのかもしれませんが、目を閉じていて開いたのは観客としての私)を極私的に記念して(笑)もう一度DVDでこの映画を見ました。また泣きました(笑)。長姉幸が、父の葬儀に行って、父の最期を看取った「はず」の後妻に会ってその人柄を一瞬にして見抜いたあと、姉妹たちと一緒に父が見た風景を残された三姉妹の異母妹すずに、「あなたがお父さんの面倒をみてくれたのね」と言い、すずが遠慮がちにかすかにうなずき、幸が「ありがとう」と言う場面で、もう涙がとまらない(笑)。
すずは父の後妻である自分の義理の母やその連れ子のいる家庭の中で居場所がなく、いつも、自分はここにいていいのだろうか、と思いながら、父との絆を唯一の心のよりどころとして生き、父の最期を世話し、看取ってきたのに、その父に先立たれて、もう完全に居場所のない身の上になったところです。葬儀から帰っていく三姉妹との別れ際のプラットホームで、幸から一緒に暮らそうと声をかけられ、一瞬とまどいながら、すぐに行きます、と決断して叫ぶすず。そして異母姉妹である3人に温かく迎えられ、受け入れられるにも関わらず、彼女自身は、自分の母が三姉妹の母から夫を、三姉妹からその母を奪ったという負い目をもっていて、自分にとって大切な思い出である父のことをなかなか三姉妹には話せないでいます。そういう彼女のまだ自分を半ば閉ざした心を、とりたててどうしようというのでもないけれど、それぞれの個性のままに接する自然態で、あたたかく見守っていく三姉妹の姿は、物語の中だけではなく、たぶんその姉妹たちを演じる年長の先輩女優である三人が、楽屋で芝居の合間には、後輩の広瀬すずを本当に妹のように可愛がっているんだろうな、と想像させるような実に自然な親密さにあふれていました。
いろいろ是枝監督の旧作を見て来て、「誰も知らない」が一番いいかと思っていたけれど、いくぶん好みも加味して言えば、この作品のほうがいい、というか少なくとも自分としては好きだと思いました。
ここには「誰も知らない」のように、現実に発生した子育て放棄の事件に素材をとったinvisible people に正面からカメラを据えて私たちに突きつけ、問いかけるあからさまな社会的メッセージ性はないけれども、やはり父親の不在、そして実質的には母親だって「不在」なわけで、比喩的に言えば棄てられた子供たちが描かれているわけです。
ただ、今回はその棄てられたことの深手をそれぞれ負いながら、それに負けずに自分たちで乗り越えてきた姉妹3人がしっかり者の長女を中心に互いに支え合いながら、強く、美しく、爽やかに生きる姿があり、さらに自分の母親がその姉妹たちの母親から夫を奪い、姉妹たちから母親を奪った負い目をかかえ、母が亡くなったあと父が子連れの女と再婚し、父との絆だけが救いだったのにその父が亡くなって、死に至る父の面倒もろくにみなかったその義理の母や弟と取り残されて、全く自分の居場所を失った末の「妹」という、この家族の矛盾が集約される存在が、3人の姉妹に温かく迎えられ、受け入れられていく、希望のある展開であるため、感動が爽やかで明るい光に満たされているようで、私たちも観終わってこれからどんな困難があってもこの4人がまちがいなくしっかりした自立的な人生を歩み続けていくだろうし、危機には必ず助け合い、励まし合って克服していくだろうということが確信できるのです。
いまどき、何もわかっちゃいない能天気な空想物語でなく、個人の意志や力ではどうにもしがたいような絶望をおぼえることも多々あるような今の世の中の困難な現実をしっかり見据えながら、これだけ希望に満ちた爽やかな世界を作り出していく想像力には完全に脱帽です。
たしか脚本も監督と同じ是枝さんで、マンガの原作はあるようだけれども(漫画を読まない私でも知っているような高名なマンガ家ですからきっと原作も良いのでしょうが)、その巧みな環境設定と人物の配置、ささやかな家庭の日常が孕む無数の劇への行き届いた目配りと、その展開の妙にはほとほと感心しました。
姉妹を演じる3人プラス1人の女優たちがまた、一人一人ことばもないくらい素晴らしい演技を見せています。
とりわけ長姉幸を演じる綾瀬はるかは、この映画一本見ただけで熱烈なファンになる人は多いのではないでしょうか。親代わりの家長のように妹たちを守り、なによりもそのそれぞれの将来に想いをはせて生活を組み立てていこうとする、冷静沈着な「級長」タイプの長姉幸の表向きクールで性格的にはきわめてエモーショナルなところは、彼女がたぶん一番生理的に嫌悪していただろう、同じ職場の妻帯者との恋愛という設定にも心憎いまでに表現されていて、そのことをもちろん知らずに、一番下の妹としてあらたに加わった「すず」が、自分の母が3人の姉妹の母から夫を奪ったという負い目をかかえているゆえに「奥さんのある男性を好きになるなんて、悪いことですよね」とつぶやくシーンがあって、綾瀬はるか演じる長姉はただ彼女の後ろめたさの負い目をやわらげてやろうと慰めの言葉をかけているだけのように見えるけれど、内心ではすずの言葉を自分の身に引き寄せテ、グサッと来ているはずで、あとでそのことを知ったすずが、次姉、三姉に長姉を傷つけてしまった、と言うシーンが用意されています。
こういう人間関係の設定も本当に巧みだし、彼女たちのところへ突然やってきて、彼女たちが住む家を、そろそろ売ろうかと思って・・・などと言う、無責任な母親都と長姉幸とのやりとりなども素晴らしい。
次姉佳乃を演じる長澤まさみも、三女千佳を演じる夏帆も、それぞれ長姉とはまるで違った、そしてこの二人の間でもまるで異質な個性を、実にのびのびと自然態で(あるいは自然態であるかのように)演じていて、そのみごとな性格の演じ分けが「細雪」の三姉妹と同じように、この作品を味わい深い、そして華麗な家族絵巻にしていることは疑いありません。きっと谷崎の三姉妹からバックになっていた強力な「家」を取り去り、三姉妹を支えていた親や経済力や様々なよりどころをみな取り払い、崩壊寸前のような頼りない足場に立たせて、それでもそれぞれの個性を輝かせ、支えあいながら、その現実を唯一の現実として引き受けて歩いていく三姉妹をイメージすれば、この映画の世界になるのかと思いました。
脇を、この母親を演じる大竹しのぶ、姉妹がよく行く海猫食堂の店主風吹ジュン、その食堂にいつも居座っている山猫亭の店主リリー・フランキー、姉妹の亡くなった母の姉にあたる伯母の樹木希林、さらには幸の恋人堤真一、佳乃の上司加瀬亮などといった抜群の芝居巧者が固めているので、これで監督が阿保なら腹を切ってお詫びしなさい、炎上!といいたくなるような豪華絢爛のキャストですが、その「豪華絢爛」は中心にくる4人の女優陣を除けばみんな地味系の顔立ち(笑)、どんな場合もかっこうをつけることなく、そこらにいるじゃない、と思えるようなおじさん、おばさん、あんちゃんにねえちゃん、といった自然態の演技ができる人たちで、監督やスタッフたちはみごとにこれらの役者のポテンシャルを考えられる限り高い水準で引き出して、いま日本映画で考えられる最高水準の作品を生み出していると思いました。それにしても、食堂のおばちゃんの葬儀のときのリリー・フランキーのセリフの脱力調にはすげぇなぁと感心してしまいました。
これまで見て来た旧作の多くも、昔の映画の製作システムなら是枝組とでもいうべき、常連のメンバーが出演する作品がけっこう多いのですが、新作の「万引き家族」でも、リリー・フランキー、樹木希林、安藤サクラ、といった顔ぶれをみただけで、パートナーなどは、きっとうまいし、いい映画だろうけど、どういう演技か大体わかってしまう、というような不埒なことを言っておりました(笑)。それはこの「海街diary」における同じリリー・フランキー、樹木希林、それに大竹しのぶといった顔ぶれを見れば、どんな作品に出てみごとにその作品固有の役柄を演じていながら、一方ではリリー・フランキーはぜったいにリリー・フランキーでしかないし、樹木希林は樹木希林、大竹しのぶは大竹しのぶでしかあり得ない役者としての固有性を同時にいやおうなく表現してしまう、ということは確かにあると思います。
こういう芸達者な役者を露骨に好まない人もあります。杉村春子や宇野重吉のような役者についても同じようなところがあったかと思います。あまり適切でない言葉ですが、ある種の臭みを感じるらしいのですね。こういう時には決まってこういう表情をするとか、こういう所作をするとか、それはその役者としての固有性が柔軟性を失って凝固したようにみえる瞬間があるとすれば、そういうことに対して感じる否定的な感じ方かもしれません。もちろんそんな単純な生身の人間としての癖をストレートにみせるような役者はへぼ役者で、この人たちがそんな馬鹿なことをすることはないのですが、比喩的に言えば、ですね。これが勝慎太郎とか三船敏郎だとかほとんどの日本のかつての美人女優だとかのような不器用な役者(だと思う)については、そういうのは無いのです。好き嫌いは別として。
でも私自身は、実際のひとつひとつの作品を見ると、やっぱりこの役者はすごいな、と思うし、この人なしでは、この作品は成り立たないな、とか、ほかに変わりができる人があるかな、と思うと、無い(笑)。だから、見もしないで先入観的にそういうイメージを持つのはもったいないと思うのですが、
けれども、一方でこんなことを思い出します。あるとき何気なくテレビの歌番組を見ていたら、当時絶好調というかたしか紅白でもトリを歌ってもいた実力派の歌手五木ひろしがいくつか歌を披露していたところへ、ゲストで俳優の菅原文太が登場して、二人はある程度親しい間柄だったらしく、五木ひろしは菅原文太をちょっと兄貴分のように尊敬するよう姿勢を見せていましたが、その折に菅原文太はほんの一言、二言しか喋らなかったけれど、五木ひろしに助言するような形で、「もっと下手にならにゃいかんな。うまく歌うのはもう十分うまく歌えるんだから」と言ったので、私はおう、こいつはすごいな、と思って、「仁義なき戦い」でしか知らなかった菅原文太の素顔の人間に触れたような気がして感心し、いまだに印象に残っています。
もし、いまや日本で最もうまい役者として、少なくともその年齢なりそのタイプなりでは実力ナンバーワンまちがいなしで、すぐれた映画監督やプロデューサーが三顧の礼で迎えるに違いないリリー・フランキーや樹木希林や大竹しのぶのような人たちに、菅原文太なら同じ言葉を言うかどうか・・・ふっとそんなことを思いながら、この人たちの演技に舌を巻きながら見ていました。
だいぶ作品からそれてしまいましたが、この映画は万人にお勧めです。セックスシーンも殺しのシーンもないし、「万引き家族」のように罪の意識なく万引しちゃっていいんだ、と誤解するようなのがいるといけないからでしょうか小学生には要指導という標識をつける必要もない、そういう意味では健全そのものの映画で、これだけ深く鋭く私たちの家族、私たちの社会のうちにある矛盾を描きながら、希望を失わず、励まされるような光もまたみえ、勇気づけられるような作品に出会う幸運など、いまどき滅多にはありません。いまだに観ておられない方には必見、おすすめの一本です。