「忠治旅日記」(伊藤大輔監督) 1927
京都ヒストリカ国際映画祭の一環として京都文化博物館の別館ホールで昨日上映された、伊藤大輔監督の「忠治旅日記」を見てきました。1927年につくられた「サイレント時代劇の金字塔」と言われる作品で、監督の伊藤大輔も主演の大河内傅次郎も29歳のときの作品だそうです。
オリジナルは三部構成で、そのうち忠治が百姓たちのために悪代官の首を斬る発端の第一部はすっかり失われ、第二部も一部が欠落、とにもかくにも完全な形で残るのは第三部だけという状態だったようですが、昨日は活動写真弁士井上陽一氏の活弁で、111分間、この作品のすばらしさが堪能できました。
私にとって強い印象をうけたのは、第一に作品の構成、第二に大河内傅次郎の表情、第三に忠治の子分たちの顔です。
作品の構成というのは、作品の後半、主役の忠治が戦って斬られたわけでもなく、中風という病で腕が使えなくなり、辛うじて隻腕で刀を振るって難を逃れるものの、それもつかの間、もはや立つことさえできなくなって、いったん捕縛され、子分たちに救出されるも、身動きもままならず口もきけず、戸板で国定村の隠れ家へ運ばれるだけ、という状態に終始しているという、時代劇のヒーローのありようとして異常なこの作品の構成です。
私などが幼いころから馴染んできた時代劇では後半のクライマックスには主役のヒーローがチャンチャンバラバラ敵を斬りまくり、めでたしめでたし、というのが常道で、こんなふうに主役が刀を抜くことさえできなくなって寝た切り、なんてのは前代未聞です。しかも主役がそうなってしまってからが長くて、ふつうなら主役が大活躍する後半のほとんどがこれですから驚いてしまいます。
もちろんクライマックスがないわけではなくて、最後は捕り方が押し寄せる土蔵の前で、残った7人の子分たちが決死の抵抗を試みて次々に斃され、捕らわれていく、大捕り物・大立ち回りがあって、長編の最後を飾るすばらしい盛り上がりを見せてくれます。でもそのさなか、この物語りの主役たる忠治は扉のすぐ外で繰り広げられる喧騒の「動」の世界とは対照的な土蔵の内の「静」の空間で、一人の女につきそわれながら、ひっそりと横たわっています。その喧騒の輪の外には、さらに家々に引きこもりながら、ひっそりと固唾を呑んで成り行きを見守る大勢の村人たち、忠治が助け、忠治を敬慕するがゆえに役人たちに追われる忠治を村にかくまう村人たちが居るわけで、この最後のシーンには、そういう矢尽き刀折れて横たわる沈黙・不動の忠治を中心に、子分たち、捕り方の大立ち回りの現場、さらにその外側に映像には映らないけれども確かに存在する村人たちの共同体というこの作品の世界の構造が鮮やかに見えるようです。
中風で立ち上がることもできず、もちろん戦うこともかなわない状態になった敗残のアウトローが徐々に追い詰められてとらえられるまでをクライマックスとして描き出してみせた、この構成には心底驚かされました。
もちろんオリジナルからみれば第3部だけが完全な形で残っていたわけですから、そういう部分の比重が度外れて重く感じられるのは当然といえば当然なのですが、それにしてもこんな作品は空前絶後でしょう。
第二に、そのアウトロー国定忠治を演じた大河内傅次郎の表情。だいたい国定忠治と言うのは、この作品ができるまでは、悪を成敗して民衆に味方する義人のイメージが流布されていたようですから、それに対してこ作品は、たしかに悪代官を成敗して庶民の味方はするけれども、そうそう綺麗ごとばかりで済む義人なんて存在ではなくて、国定忠治の名を騙って押し込み強盗をして下手すれば罪のない庶民を斬り殺しかねない所業を働く子分が出てくるような正真正銘のアウトローで、「人は斬っても乾分は斬らねえ」がモットーですから、自分に忠誠を誓った子分は殺さないけれども、それ以外の人間は斬り殺す輩なわけですね(笑)。山中貞雄の丹下左膳みたいなお人よしのホントに「いいひと」ではない。たしかに義人的な要素やむやみに人を殺すのを嫌ういいところもあるけれど、わが身を守るためにはいざとなりゃ誰だろうと斬り捨てて逃亡するだろうし、「乾分は斬らねえ」というのも、子分たちが親分たる自分には絶対服従で、忠治を番頭として匿って、大店の主人に身をやつして平穏に暮らしていた子分のように、忠治を裏切って刀を持ち出した自分の娘さえ斬って捨てるような、苛酷な親分―子分の絶対的な秩序の内部でのことにすぎません。
そういう幾分かはアンビバレントなところのある忠治の人物像を大河内傅次郎は実にみごとに演じていて、彼が凄む形相なんて、冷酷無慈悲で突然キレたら手のつけられない切れ者のやくざの幹部みたいに(笑)コワイ。また、中風で動けなくなり、喋ることもできなくなって、手下に戸板に載せて国定村の隠れ家に運ばれ、横たわるだけになってからの忠治の表情がまた素晴らしい。まるで動けないんだから身体的な演技なんか普通のヒーローのようにできないのですが、表情だけでものすごい存在感があって、その口惜しさも、子分や村人たちに、すまねえ、という気持ちも、みんな伝わってきます。やっぱりすごい名優ですね。それをみごとにとらえるカメラもすごいと思うけど。
第三に子分の顔。これは表情の演技とかいうのではなくて、カメラがとらえた子分たちの顔そのものがものすごくいいのです。最後まで残る7人の子分たちですが、これに裏切った一人も加えた8人を集めて、忠治につきそう姐御が、この中に裏切り者が要る、とあかし、かまをかけて裏切り者をあぶりだして殺す場面で、ひとりひとり子分の顔がアップでうつるのですが、それがもう素晴らしい顔ばかり(笑)。当時有名な脇役たちなのかどうかはまったく知りませんが、忠治を番頭としてかくまっていた大店の主人になっていた子分以外は長いセリフがあるわけでもなく、最後の捕り方との乱戦以外に大きな見せ場があるわけでもない7人の子分たちですから、その他大勢とは違うけれども、それほど大きな存在感の期待される脇役でもないと思うのですが、この子分たちの顔がそれぞれすごくいいのです。
いま時代劇を撮って、いくら監督やカメラが頑張ってみても、おそらく俳優でこういう顔をもった人がいないんじゃないか、と思います。それはまあ主役級でも、じゃ大河内傅次郎が居るか、市川雷蔵が居るか、と言われると困るけれど、とりわけ脇役でこういう顔をずらりと揃えられるか、というときっと絶望的なのではないか、という気がしました。まぁメイクとかカメラとかも、時代劇のメイクがちゃんとできる人がいたんだとか、その時代のこういう顔をちゃんと撮れるカメラマンがいたんだとか、そういうことかもしれないのですが・・・
Blog: 2018-11-5