25シオニズム阻止を試みたイギリスのユダヤ社会

シオニズム阻止を試みたイギリスのユダヤ社会

パレスチナにユダヤ人の「民族的郷土」ナショナル・ホームを建設することを支持するという1917年のバルフォア宣言は、ただ一人のユダヤ人議員エドウイン・モンタギユーの猛反対を制して英内閣により発表された。

宣言を後押ししたのは、多数の反ユダヤ主義者を含む非ユダヤ人だった。シオニズムは英帝国主義とフリーメイソンによる「新世界株序」を推し進める道具だったのである。

インド担当国務大臣を務めていたモンタギユーは、ロイド=ジョージ首相に告げた。「生まれてこのかたずっとユダヤ人街から出ようとしてきたのに、あなたは無理やりそこへ連れ戻そうとするのですね」

同化ユダヤ人のモンタギユーは、ユダヤ教は一つの信仰であると考え、シオニズムについては「有害な政治的信条であり、国を愛する英国民にはとうてい支持されない」という見解を持っていた。

モンタギユーを見れば、新世界株序が、特定のユダヤ人富裕層、さらに婚姻によってユダヤ人と親戚関係になることの多かった非ユダヤ人名家の主導による「エリートの陰謀」だったことがわかる。それがユダヤ人の意図的な計画であったかどうかという点については、歴史的に見ても彼らがむしろ同化することを選んできたことを考えれば、ユダヤ人の意志ではない。

1917年五月、有力なユダヤ人組織の代表委員会はロンドン・タイムズ紙に声明を発表した。

「解放されたユダヤ人は一般の国民と異なる政治的野望を抱えているわけではない。ユダヤ人は祖国を持っていないという理論に基づいてパレスチナにユダヤ人国家を建設するということは、我々ユダヤ人が生まれた母国でよそ者のレッテルを張られてしまうことになりかねない」

バルフォア宣言はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を約束した。

ひとつには、これはアメリカを第一次世界大戦に巻き込んでイギリス側につけたことに対するシオニストヘの報酬でもあった。シオニスト組織の代表だったハイム・ヴアイツマンは、合意を取りつけるための最大の障害がユダヤ人の反対であることに激怒した。

ユダヤ社会は分裂した。サミユエル家やロスチャイルド家はバルフォア宣言に賛成した。コーヘン、マグナス、モンテフイオーリ、モンタギユーは反対だった。

「これが単にユダヤ社会内のシオニストと非シオニスト分派のあいだの問題なら、まちがいなく後者が勝っただろう」。

ハイム・パーマントは著書『親族(The Cousinhood)』に記している。「だが、非ユダヤ人のシオニストを考慮する必要があった。 彼らが時代を動かしていたのだ」

そうした非ユダヤ人には、アーサー・バルフォア卿、ミルナー卿、ロジアン卿のフイリップ・カー、ロバート・セシル卿が名を連ねていた。

ハイム・ヴアイツマンは、シオニズムがさらに大きな計画の一部であることを見抜いた。

「〔セシル〕にとって、パレスチナにユダヤの祖国を再建し、世界を巨大な連邦とする世界機構を作ることは、人類を思いのままに操るという次の一歩に向けた補助的な役割にすぎない」(リード『シオン論(The Controversy of Zion)』

ジョージタウン大学のキヤロル・キグリー教授は『英米権力体制(The Anglo American Establishment)』(1981年)の巻末付表で、この世界政府の陰謀に加担している100人の名を

挙げている。上記の人物に加えて、セシル・ローズ、ライオネル・カーティス、ウィリアム・T・ステッド、ジエフリー・ドーソン、グレイ伯爵が含まれている。

見たところ、ユダヤ人はネイサン・ロスチャイルド、レオポルド・エイメリー、アルフレッド・バイトの3名だけだ。

何世紀にもわたって、セシル家を中心とする貴族の集団がイギリス政治を支配してきた、とキグリーは述べている。1891年、彼らはセシル・ローズとネイサン・ロスチャイルドの手によ

る秘密結社を結成した。 ローズが言うところの「イギリス帝国拡大のための教会組織」である。

「ラウンドテーブル(円卓会議)」あるいは「ミルナーグループ」と呼ばれるこの集団の目的は、イギリスのエリートによる世界支配とアメリカの再植民地化だった。

「教会組織」はフリーメイソンだった。 シオニズムを支援した政治家は総じて高位の会員だった。 おそらく何人かはイルミナチィだろう。

「世界政府」は魔王ルシファーをこの世の神として崇めようとしている。シオニズムと共産主義はこの計画に捧げられたフリーメイソンの組織だ。

同化ユダヤ人の英雄、その数奇な人生

エドウイン・モンタギユーは銀塊取引業者サミユエル・モンタギユーの次男として生まれ、父親の正統派ユダヤ教と、自分はイギリス人でありたいという欲求との板ばさみになっていた。

彼はユダヤ教を突っぱねたが、ユダヤ人であることを捨てるつもりはなかった。「自分の見識に応じた立派なユダヤ人でありつづけます」と彼は父親に書き送っている。

「ただ父さんとは定義が違うのです」

若い時分は、儀式を守ったりユダヤ人女性と結婚したりしなければならないことに苛立った。

大人になってからは、名門英国紳士の生活スタイルを取り入れた。地方の私有地で狩りを楽しみ、動植物や鳥類の知識を得た。

「何かこう、イギリスに対する愛情の奥底に異質なものがあった」とパーマントは述べている。片眼鏡をかけていて、背が高く、野暮ったい感じのするモンタギユーは、密かに友人やライバルから物笑いの種にされていた。だが彼の「醜さを魅力がかき消してしていた」と友人のダフ・クーバーは記している。

「ぶざまな巨体だけれど、穏やかな低い声、そして優しくきらめく黒い瞳を持っていた」

ケンブリッジ大学で討論を得意としていたモンタギユーは、ライバルのオックスフォード大学学生クラブの代表だったH・H・アスキスの目を引いた。

モンタギユーはアスキスを追って政界入りし、1906年に自由党が圧勝してからは彼の個人秘書兼友人となった。

優れた管理能力を持ち、説得力のある弁論を得意とするモンタギユーの未来は明るいかに見えた。

1908年、アスキスは首相の座に就いた。彼とモンタギユーはそろって、アスキスより35歳も年下の、アスキスの娘の友人ヴエネシア・スタンリーに夢中になった。

アスキスの熱愛に堪えられなくなったヴエネシアは、彼女より八歳年上のモンタギユーと結婚した。

アスキスは当惑した。モンタギユーは「〔アスキスは〕男らしくない。むら気で神経質で病気の魂だ。ひどく自分の考えにとらわれている。それにいや、これ以上気が滅入るようなこと

を並べ立てるのはやめておこう」と記している。

イギリスヘの愛情と同じように、モンタギユーのヴエネシアヘの愛もまた報われなかった。彼女は「人生を最大限に楽しむ」ために生き、多くの男性と肉体関係を持ち、婚外子を産んで(モンタギユーが養子として迎え入れた)、彼の財産を喰いつぶした。

だが彼はまったく意に介さず、45歳での早すぎる死を迎える前夜、彼女に一筆したためた。「もう逝かなければならないのがつらい。きみはぼくを幸せにしてくれた。いつまでもきみの幸せが続きますように」

彼にも婚外子として生まれた娘があった。また、モンタギユーはインドとケニアで植民地支配を受けている人々の権利を擁護したため、イギリス権力組織内の人間からこころよく思われていなかった。早すぎる彼の死には疑問が多い。

バルフォア宣言に盛り込まれたパレスチナ条項

1917年、モンタギユーは内閣のバルフォア宣言に反対して、政府の反ユダヤ主義はユダヤ系イギリス人をまとめて「よそ者の外国人」扱いにしてしまうと非難する文書を配布した。

「シオニストから一人残らず公民権を剥奪することに異存はない。シオニスト組織は違法であり、国家の利益に反するものだとして禁止したい」と彼は述べた。

むろん彼は正しい。しかしながら、銀行家の息子であったにもかかわらず、モンタギユーはフリーメイソンとシオニストの世界政府計画に気づいていなかった。

彼らがパレスチナ確保に120万もの兵力を回したため、あやうく欧州大戦で敗北を喫するところだったほどである。

しかもそれを実行するために、アスキスと陸軍参謀総長のウイリアム・ロバートソン将軍を更迭させることもやってのけた。

モンタギユーは、この反ユダヤ主義を「馬鹿げた憎悪」だと片づけてしまうかわりに、その理由を理解しょうと試みた、数少ないユダヤ人のうちの一人だった。

「ユダヤ人社会が嫌われていることはずっと認識していた。人数から見れば、我々はこの国の物資や好機の分け前を必要以上に取りすぎてきた。

概して早熟なので、同じ年代の人々と張り合うのは不公平というものだ。 我々の多くは限られた友人しか持たず、自分たちと異なる考え方を拒絶する態度をとる。

英国の多くの非ユダヤ人がユダヤ人を追放したいと願うことは容易に理解できる」

「だが、キリスト教徒の英国民のあいだで思想や生活様式が共通していないのとまさに同じように、ユダヤ人の英国民にも共通性はない。

我々は以前にもまして、パブリックスクールや大学で教育を受け、この国の政治家、軍人、公務員としてみずからの使命を立派に果たすようになってきている。

そして喜ばしいことに、異なる宗教間の結婚に対する偏見も崩れつつある。しかし、ユダヤ人に民族の故郷ができれば、まちがいなく、我々からイギリスの市民権を取り上げようと

する動きは一気に加速する。 パレスチナが世界のユダヤ人強制居住区域(ゲットー)になってしまう」

モンタギユーのおかげでバルフォア宣言には以下の条項が盛り込まれた。「パレスチナに存在する非ユダヤ人社会の公民権ならびに宗教権、あるいはパレスチナ以外の国々に居住するユダヤ人が享受している権利ならびに政治的地位に損害を与えるようなことは一切あってはならない」

世界政府の陰謀に騙されたユダヤ人

ユダヤ人は自分たちがスケープゴートであることは悟ったが、自分たちを利用しているのが世界政府の陰謀団であることまではつかめなかった。

シオニスト、共産主義者、自由主義者、フエミニスト、あるいは新保守主義者の組織を介して、陰謀団はユダヤ人を騙し、人間のアイデンティティーや社会的な結びつきを支える四本柱、すなわち「人種」「宗教」「国家」、そして「家族」を根底から切り崩すような政策やプロパガンダを提言させた。

そのため一見すると、ユダヤ人全般が新世界秩序を招いているように見えてしまう。

多くのユダヤ人が無知であるがゆえにこの陰謀の存在を否定し、銀行家が非難を受けるたびに「反ユダヤ主義だ」と声を上げる。それでは何にもならない。

多くの人々がイスラエルは必要だと思い込まされていることにしても得るところはない。

事実、イスラエル国民は、フリーメイソンのエリート銀行家による中東確保に利用されているだけだ。

イスラエル最高裁判所の新しい建物はロスチャイルド家が資金を提供して設計されたもので、いたるところにフリーメイソンの象徴(シンボル)が見える。

ロスチャイルド一族の一部とユダヤ人の協力者らはこの悪魔の陰謀に加担している。だが、ほとんどのユダヤ人はそれぞれの国を第一に考え、世界政府への関与など望んでいない。

温和で誠実な礼儀正しい人物、エドウイン・モンタギユーはそんなユダヤ人の代表であり、みなを元気づけてくれる。

最悪の反ユダヤ主義者はシオニストだ

最悪の反ユダヤ主義者はシオニストである。

彼らが反ユダヤ主義を生み出し、それを利用して、イルミナティの銀行家による世界政府独裁政治計画を推し進めるためにユダヤ人を騙して操っている。

シオニズムは保護を語ったゆすりであり、ユダヤ人に対する陰謀だということを、私は以下の論説で明らかにしていこうと思う。ここでは、シオニストがごく普通のユダヤ人から文化的ならびに精神的表現の自由を奪い、自らの邪悪な大義のためにユダヤの人々を乗っ取ったということを提言したい。

シオニストがアメリカ政府を支配するのに先立って、彼らはまずアメリカのユダヤ人社会を支配して、自分たちの手先とした。

ヘンリー・ハーウイツツのメノラ・ジャーナル誌とメノラ協会は「ユダヤの祖国」を支援する組織ではなく、アメリカ・ユダヤ民族がみずからを文化的、精神的に理解することを目的とする試みだった。だがシオニストはこの自由な民主主義集団を抑圧した。ちょうどアメリカ国民全体から政治と文化の自由を奪ったのと同じように。

メノラ協会を圧死させた「ユダヤ系慈善団体」

ヘンリー・ハーウイツツは1906年、ハーバード大学にメノラ協会を創設、次いで1915年にメノラ・ジャーナルを創刊した。

メノラ運動は「アメリカにおけるユダヤ人文化と理念の研究および向上」を支持していた。第一次世界大戦が終わるころまでには、大学連合メノラ協会、夏期学校、教育会議、講師会を持つまでに広がっていた。

本質的にこの運動は、ユダヤの歴史、精神、文化に関して、教義を押しっけることなく、また政治色を持たずに研究することを奨励していた。

様々な異なる見解を表明することができ、当初は中央銀行家たちから支援を受けていた。

ところが、ハーウイツツが、ユダヤ教とシオニズムとは何ら関係がなく、ユダヤ人はアメリカでまったく気兼ねなくのびのびと生きていけばよいと主張したとたん、銀行家がメノラ運動の資金援助を凍結した。

1958年、ハーウイツツは友人に書き送っている。「あちこちの資金豊富な組織からそれとなく複数の引き継ぎの申し出があった。それで財政面での問題は解決するだろう。

だが、我々の自由すなわち真の生き方は失われた」(メヌーヒン『現代ユダヤ教の衰退(The Decadence of Judaism in Our Time)』1965年)

メノラ・ジャーナルの1959年秋冬号で、ハーウイッツは「偏狭な行為」、つまりはシオニストの銀行家によるユダヤ民族の組織的支配がもたらす影響について述べている。

「この偏狭な行為による攻撃の標的は、歴史と定評のある独立した一組織と、おそらく半世紀以上ものあいだユダヤ教に何らかの貢献をしてきたであろうその雑誌だけにとどまらない。

この偏狭な行為は、アメリカ・ユダヤ人の社会生活を毒している。アメリカの根本原則である言論の自由と報道の自由を抑え込もうとしている。

ユダヤ系国民による非課税の慈善基金を管理しているがゆえに、気に入った組織には豊富な資金を提供し、屈服しない者は餓死させる権限を手にしている〔者の〕公正な判断に制裁を加えている。かくして実際に、イスラエルの人々が長期的視野に立ったときに、彼らにとってもっとも利益になることは何かと理性的に考察することを妨げているのである。

さらに、周知のように、本来任意の慈善的な寄付であるはずの大部分が、罰としての経済的および社会的な制裁という脅しを用いて実業界や職業人から引き出されている。

これはテロリズムの類に属する、とはっきり事実を述べなければなるまい。

このようなテロが、ユダヤ人の大規模基金集めにおいてもっとも効果の高い手段となってしまっている」(メメーヒン『現代ユダヤ教の衰退』)

残念なことに、メノラ運動はその創設者とともに1961年に終焉を迎えた。その仕事は一部がアメリカ・ユダヤ教会議と、その創設者であるエネルギッシュなラビ=エルマー・バーガー

(1908~1996)のもとに引き継がれていた。 1965年、モシエ・メメーヒンはアメリカ・ユダヤ人の暮らしぶりを以下のような言葉で表わしている。

「今日のアメリカでは、ユダヤの文化、さらにユダヤの信仰さえもが『ユダヤの』国家主義へと変質してしまっている。

そしてユダヤ人慈善家、ユダヤ人学校、ユダヤ人専用の事業は、いくつかの立派な例外を除いてみな根底から崩され、『ユダヤの祖国』建設のために使われている」

この描写の代償として、モシエ・メメーヒンは著書を自費出版しなければならなくなつた。

非シオニストだけがホロコーストの犠牲になつた

「保護を語ったゆすり」とは、攻撃者が「偽装」攻撃をけしかけ、実在しない人物にその非をなすりつけておいて、被害者をその犯人から守るという名目で金銭や権力を取り上げることである。

現下の 「対テロ戦争」がこれにあたる。攻撃者はロンドンを本拠とする世界金融のエリート集団で、「クラウン」として知られている。

彼らの道具はシオニスト計画、厳密にはイスラエル政府、イスラエルの秘密情報機関モサド、そしてアメリカ国内の新保守主義者とシオニストの集団だ。

被害者はアメリカと西側諸国全般の人々である。目的は西側文明を破壊して、「新世界秩序」という名の世界警察国家を打ち立てることだ。

「シオニズムはただ計り知れないほど遠大な計画でしかない」と、アメリカのシオニストの第一人者で、1917年にクーン・ロープ商会の銀行役員の顧問だったルイス・マーシャルは述べて

いる。「強力な武器をぶらさげておく便利な釘にすぎない」

国土安全保障省の長官はイスラエルとの二重国籍を持つシオニスト、マイケル・チャートフだ。

世界貿易センターが崩れ落ちて喜んでいる場面を目撃された五名のモサド諜報貞が逮捕されたとき、彼はニュージャージー州検事だった。諜報貞のワゴン車からは爆薬反応が検出された。9・11事件の前に航空会社の株を空売りした投資家はイスラエル人だったことが判明している。

ユダヤ人のエリートは、ユダヤ人の一般人を将棋の駒にたとえるなら、巧みに操れる歩だと考えている。「反ユダヤ主義は、劣等な同胞を操作するのになくてはならないものだ」と

『シオン長老の議定書』の執筆者は語っている。

イスラエルを「民族的郷土」として建設する、すなわち中東を植民地化して世界政府の中核を築き上げるためにはユダヤ人を脅迫する必要があった。

ウォール街と英中央銀行であるイングランド銀行はナチスに資金援助をした。シオニストは積極的に彼らと協力していたのだ。

ユダヤ人が無抵抗で死へと向かっていった原因はシオニストの裏切りだった。

ラビ=モシエ・ションフエルドは著書『ホロコースト犠牲者の告発(Holocaust Victims Accuse)』でそう述べている。

「生贅」から道徳的そして財政的な資産を奪い取ったシオニストの指導者たちにとって、シオニストではないユダヤ人は、生きているよりも死んでもらうことに価値があったのである。

ユダヤ人のエリートには、ユダヤ人をこのように扱ってきた長い歴史がある。

たとえば、1950年、反ユダヤ主義とイラク国内のテロが高まったことを受けて、21歳のナエイム・ギラデイはシオニストの地下組織に加わった。ギラデイはイラク当局によって投獄され、拷問を受け、死刑を言い渡された。

彼は脱出してイスラエルに逃げ延びたが、そこでわかったのは、反ユダヤ主義も爆撃も、イラクのユダヤ人を騙してイスラエルに向かわせるために同胞のシオニストが仕組んだということだった。古くから続いてきたイラクのユダヤ人社会は、富を奪われ、イスラエルでは二級市民の地位に定められた。パレスチナ人の労働力の代わりにすぎなかったのだ。

モシエ・シヤレット首相の秘密の日記によれば、イスラエルは「精神的緊張を保つ」ために近隣諸国を挑発して攻撃させている。同国は戦争を始めるために「危機を作り出す」必要があり、そうすることによって「領土を手に入れる」と彼は記している。

「反ユダヤ主義」が「反米主義」になる瞬間

9・11事件のような大虐殺は、アメリカ人に衝撃を与えて、公民権剥奪と中東侵略へと暴走させるために計画された。

メディアは一斉に声を上げて、アメリカはイスラム過激派の犠牲になったと主張し、国民を納得させようとしている。

このプロパガンダ・キャンペーンは新保守主義者、またの名をシオニストの手によるものだ。

マイケル・コリンズ・パイバーは著書『新エルサレム‥アメリカのシオニストパワー(The New Jerusalem: Zionist Power in America)』 のなかで以下のように述べている。

「イラク戦争へと発展させるなかで、シオニストのプロパガンデイストやメディアはアメリカ国民に対して、『全世界が敵だ』というメッセージを一段と強く売り込むようになった。

そしてイスラエルだけが信頼できる強力な同盟国だとも。 反米主義が激しく巻き起こつたという考えが少しずつアメリカ人に浸透していった。

その目的はまさに、イラク戦争、そしてさらに広大なシオニストの計画を支持しない者すべてを『敵視』させることだった」

パイバーは、シオニズムがアメリカニズムと同一のものだと考える。

ナタン・シヤランスキー(旧ソ連の反体制運動家・作家で、イスラエルに移住して政治家に)のようなシオニストの手先が、アメリカが武力を用いてシオニストの計画を推し進めることを確約するなどという、度が過ぎた、そしてまことしやかなブッシュ大統領の二度日の就任演説を練り上げたのである。

これが行き着くところはどこか。歴史が冷静な警告を送っている。

ロシアの作家ウラデイーミル・ステピンは、彼の論文『シオニズム本来の姿(The Nature of Zionism)』に書き記している。

「ロシアの内戦中も、シオニストは仕事を遂行した。 赤軍の部隊をいくつか利用して、セヴエルスクでユダヤ人大虐殺を行なつた。革命軍事会議長はトロッキーだった」

結果は、1918年7月27日の「大虐殺に関わった者に関する法律」だ。 この法に沿ってロシアでは10年ものあいだ、シオニストによる不条理なテロが猛威を振るつた。

反ユダヤ主義の疑いがかけられると、一切の反論は許されず、大虐殺に関わったとみなされて、銃殺されるべく壁に向かって立たされた。

シオニストに反対を唱える者だけではなく、ロシアの知識人を代表する顔ぶれもまた反ユダヤ主義だと非難される可能性があった。

誰かがその気になれば、誰もが非難の対象になり得たのだ。

民衆は、ロシアで権力を振るつているのが何者かを知り、不満を表明した。 1918年から1922年にかけて、ソビエトの保安機関チエカの九割はシオニストだった。

大虐殺に関わった者に関する法律以外に、シオニストはロシア国内に居住していた少数民族の集団殺戟を実行し、そうしながら反革命活動や破壊行為などに関わったとしてそれらの人々を非難した。

実際にその糾弾された人々がそのような行為に及んだかどうかは無関係だった。 単に銃殺刑に処するための常套手段にすぎなかったのである。

世界金融のエリートは、軍事ならびに情報機関内のフリーメイソン秘密結社を利用して、テロ の90%に関わっているのではないかと私は考えている。

目的は、人々を操って新世界秩序の様々な目標へ向けて前進させることである。

そこには真の信仰、国民国家、民主主義、人種、家族を破壊することも含まれている。

彼らの考えに基づけば、政府の信用、すなわち資金創出を独占しつづけるためには、私たちを動揺させ、支配しなければならないのである。

彼らは自分たちが作り上げた「テロ」から私たちを守るためだと騙ってゆすりを働いている。

シオニスト、あるいはこの犯罪計画を実行するアメリカ人は、ひとつ間違えば全責任を負うことになるかもしれない。 いや、それが正しいと言うべきだろう。

忘れないでほしい。彼らは全宇宙でもっとも大きなカ、すなわち神、あるいはすべての人々の魂に内在する真実に挑もうとしているのだ。

彼らが遂行した9・11テロ事件について、彼らは今もっとも非難を受けやすい状態にある。

私たちがこの残虐行為の真相究明を求めれば、彼らの忌まわしい犯罪計画は崩壊し始めることだろう。