24オカルト独裁の隠れ蓑、ピアソンの「国際主義」
オカルト独裁の隠れ蓑、ピアソンの「国際主義」
「反逆は決して成功しない。それはなぜか? もし成功したら、誰もそれを反逆とは呼ばないからだ」
誰でも悪い知らせを聞かせたり、ぐつすり眠っている同胞を揺り起こしたりはしたくない。
私もこんなことを伝えるのは気が重いが、カナダの首相(在任1963年~68年) レスター・ピアソンは、1942年から1946年にワシントンDCでカナダ大使を務めていた一方、
GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)に機密情報を提供していた。
残念ながら、これは孤立した特殊なケースではない。反逆は西側の支配的エリートの間の隠れた政策である。
意識的、あるいは無意識的に、彼らは「新世界秩序」というジョージ・オーウエル的な警察国家を目指すイルミナテイの「世界政府」計画に役立っている。
イルミナテイはフリーメイソンの最高位を示す秘密の悪魔的カルト集団で、そのメンバーは世界中で要職に就いている。
イルミナテイは中央銀行の独占(イングランド銀行、連邦準備銀行)や、互いに連動するカルテルの巨大ネットワーク(とくにマスコミ、製薬、化学、食品、鉱産、石油)を支配している。
イルミナテイ主義では、人間(すなわち彼ら)が神や造物主に代わって現実を定義するとされている。 そのため、彼らにとって客観的真実や道徳といった概念は不都合である。
共産主義は西側文明の土台(宗教、民族、国家、家族)を崩すためにイルミナテイが生み出したものだが、彼らはそれによって平等と社会的公正に基づくよりよい世界をつくるふりをしている。 彼らは何百万もの人々や日和見主義者、そして真の理想家たちを同様に騙した。
レスター・ピアソンが国連で推進した「国際主義」(1957年にノーベル平和賞を受賞)は、大富豪たちによるこうしたオカルト独裁をごまかすための隠れ蓑である。
近年の出来事(9・11、イラクとの「対テロ戦争」、愛国者「抑圧」法)は、この異様な陰謀の観点から見る必要がある。
「人類を救うのはやめろ! 時間と労力に値しない」
1951年8月、元GRUのスパイ組織の責任者エリザベス・ベントレーは、レスター・「マイク」・ピアソンが主要な情報源だったと証言した。
ピアソンは彼女の監督下にあつたソ連の工作員で、カナダ国立映画製作庁で働いていたヘーズン・シスに機密情報を提供していた 。
ペントレーは米国上院マッカラン委員会でこう証言したーー「私はヘーズンが共産主義者であることを知ったピアソンが、それに手を貸そうとしたとヘーズンから聞いている。
ピアソンはその立場を利用して、いずれも極秘とされていた米国の会議や、とくに英国の警察組織に関する英国の会合をよく傍聴していた」
1951年当時、ピアソンはカナダの外務大臣を務めていたため、この証言は内密にされた。
それはトロント大学の政治学教授ジェームズ・バーロスの著書『悪意の欠落‥スパイ行為、ハーパート・ノーマン事件(No Sense of Evil: Espionage, The Case of Herbart Norman)』
(1986年)の付録に掲載されている。
カナダの駐エジプト大使だったハーパート・ノーマンは、旧ソ連内務人民委員部の工作員で、1957年に当局の取り調べを受け、「自殺」を遂げたピアソンの同僚だった。
ピアソンは彼を弁護し、かばつた。
ピアソンは1944年10月、ベントレーの監督官アナトリー・ゴルスキ(「グロモフ」) とワシントンで会った。
ゴルスキはKGBの上級スパイの一人で、英国のプラント、パージエス、マクリーン、フィルビーを動かしていた。バーロスは「ピアソンがモスクワの決定的スパイだった」という「思いも寄らないこと」を推測している。
1959年、米国国務省はこの問題を追及すべきかどうかについて会議を開いた。
その結論はこうだった「ピアソンは英雄だ。現在、彼は防衛契約において我々の政府に最大限の協力をしている」
1939年から1941年まで、彼はロンドンでカナダ高等弁務官を務め、世界政府計画の指導者たちと交流した。彼は北大西洋条約機構(NATO)の創設に尽力し、1956年のスエズ危
機では国連の交渉窓口となつた。
カナダ海軍司令官のガイ・カーは、1930年代から1940年代、オタワでこの高級官僚グループと付き合っていた。
彼らはフリーメイソンの合図によって互いを認識し、夫婦交換のような「進歩的な」気晴らしにふけった。
ある人物はカーにこう言った「人類を救おうとするのはやめろ。大多数はその時間や労力に値しない。ほとんどは全体主義の独裁下にある方が幸せになれる。彼らは政府が彼らのためになると判断したものを受け入れるだろう」(『サタン‥この世の王子(Satan: Prince of this World)』)
エリザベス・ベントレーの証言は、ソ連大使館とモスクワのKGBとの間の暗号文を解読した「ヴエノナ」文書によって裏づけられ、「米国当局に彼女の証言が真実であることを確信させた」(『ヴエノナ‥米国におけるソ連諜報活動の解読(Venona: Decoding Soviet Espionage in America)』1999年)
ある仕掛けが旧ソ連への世論を一変させた
レスター・ピアソンはカナダの有力政党である自由党の党首だった。彼は1921年から1948年まで(途中六年間を除いて)、首相マッケンジー・キングの支援を受けていた。
J.D・ロックフエラーはマッケンジー・キングを「我が親友」と呼んでいた。キングは1914年から1918年にかけて、大衆を陥れ、大きな政府をつくり出すための企業内組合や「社会改革」政策を展開し、ロックフエラーに役立った。
ロックフエラー家はロスチャイルド家の米国代理人で、ケベックを拠点とするポール・デスマライス一族(パワー・コーポレーションなど)を仲介者としてずっと自由党を支配してきた。元首相のポール・マーチィンは、デスマライスに談合によってカナダ汽船会社を譲り受けた恩義のある元社員である。
1945年9月、エリザベス・ベントレーがGRUを離脱する三カ月前、オタワのソ連大使館の暗号係だったイゴール・グーゼンコが、西側での大規模なソ連諜報活動に関する証拠書類とと
もに逃亡した。
当初、キングは彼らが重大な危機にあつたにもかかわらず、職員たちにグーゼンコとその家族を引き止めるように命じた。
勇敢で哀れなその家族はオフィスからオフィスヘとたらい回しにされ、罪証となるような書類を持ってオタワを駆けめぐつた。グーゼンコ一家は事実、ソ連大使館に戻るか、さもなければ自殺しろと言われたのだ!
それはなぜか。 表向きとして、キングは貴重な戦時同盟国であるソ連を怒らせたくなかった。
そして実際、「謎めいた」人物として知られていたキングは、レスター・ピアソンや自分のようなソ連の(つまり、イルミナテイの)スパイが西側の支配的エリートにはびこつていることをグーゼンコに暴露されるのを恐れていた。
グーゼンコが助かったのは、イルミナテイがすぐに彼の利用法を考え出したからのようだ。
上級スパイの一人で「イントレピッド(恐れを知らぬ)と呼ばれた男」、そして英国特殊作戦執行部のリーダーだったカナダ人のウイリアム・ステイーヴンソンが、突如としてニューヨークから現われ、グーゼンコ一家を保護した。
彼は偽りの「冷戦」を始めるためにグーゼンコの暴露を利用した。
ソ連があちこちにスパイを抱え、原爆に関する秘密を盗み出しているというニュースは世間を驚愕させ、ソ連に対する世論を一夜にして好意から敵意に変えた(ウイリアム・ステイーヴンソン 『イントレピッドの最後の事件(Intrepid's Last Case)』)。
この策略は、エリート陰謀の首謀者たちが明るみに出ることなく、カナダ内外で冷戦を正当化するのに十分な恐怖を生み出すためのものだつた。
彼らの犠牲となつたのは原子科学者のアラン.ナン・メイのような下っ端で、彼はスパイ行為で逮捕され、六年の刑に処された。 しかし、レスター・ピアソンのようなエリート反逆者の幹部たちは無傷だった。
一方、グーゼンコは不安定な状態に置かれた 彼の尋問記録は失われ、事件に関連するマッヶンジー・キングの日記も国立公文書館から消えた。
グーゼンコは自由党や左派グループから日常的な中傷を受けた。
ところで、ピーター・ライトの『スパイキャッチャー』によれば、ステイーヴンソンの副官フォン・ペトロフはソ連のスパイだったという。イルミナチイに仕えていなかった者などいるのだろうか。
国務省高官アルジャー・ヒスの黒い役割
米国でこれと同じことが起きたのは、1938年、ソ連工作員のホイッタカー・チエンバーズが逃亡したときだつた。
1939年、彼はフランクリン・D・ルーズヴエルトの国内治安担当補佐官だつたアドルフ・バーリと会い、重要な地位にあつた多数のソ連工作員を密告した。 その中には後に財務次官補となつたハリー・デクスター・ホワイトも含まれていたが、何の措置もなされなかった。
1948年、冷戦をさらに煽るため、彼らはアルジャー・ヒスに対するチエンバーズの告発に世間の注目を引きつけた。
ソ連のスパイだったヒスは、ヤルタ会談でルーズヴエルトの顧問を務めた国務省の高官だった。彼は国連憲章も起草し、1945年にはその初代臨時事務総長を務めた。
ヒスは自分についての噂が流れ始めると、公職を辞任してロックフエラーの「カーネギー国際平和財団」の理事となった。
共産主義の規律に従い、ヒスは潔白を主張して憤慨するふりをし、チエンバーズとその支持者が「魔女狩り」をしていると非難した。
ヒスはチエンバーズを名誉毀損で訴え、東海岸主流派の「有力者たち」が彼の擁護に回った。その中にはフェリックス・フランクファーターやアドレイ・ステイーブンソンが含まれていた。 残念ながら、チエンバーズがヒスの自筆の証拠文書を提出したため、ヒスは比較的軽微な偽証罪で禁固三年入力月の刑に処された。
優雅な余生を送った英国派遣K G Bスパイたち
英国は、外交・安全保障部局にいた五人のソ連上級「スパイ」に痛い目に遭わされた。しかし、ソ連(とイスラエル)はどちらも英国のフリーメイソンが作り出したものだ。
つまり、この世界政府の陰謀の中心にいるのは英国のエリートたちで、実際それは包装を新たにした「英国」帝国主義にほかならない。あきれたことに、五人日のスパイだったアンニー・プラントは、1979年にその「正体が明らかになった」とき、エリザベス女王の個人的な美術鑑定家を務めていた。
もう一つの危機は、1945年、イスタンブールの内務人民委員部の長官で、副顧問の名の下にスパイ活動をしていたコンスタンティン・ヴオルコフが逃亡について尋問を受けたときだ。 モスクワの中枢で働いていた彼は三〇〇人のスパイに関する情報を持っており、そこには英国外務省の二人のスパイのほか、「ロンドンの防諜機関を指揮する」もう一人のスパイも含まれていた(ステイーヴンソン『イントレピッドの最後の事件』)。
ロンドンに何人の防諜指揮官を抱えているのかは知らないが、MI5の長官スチユアート・メンジーズは、防諜指揮官のキム・フィルビーにその件の「面倒をみる」ように指示した。
そしてフィルビーは面倒をみた。ヴオルコフとその妻は大量の鎮静剤を投与され、拷問と処刑のためにモスクワヘ運ばれた。
フィルビーは後に引退してモスクワへ逃れ、KGB将校としての満足な年金をもらって余生をすごした。同じくガイ・パージエスやドナルド・マクリーンなど、より明白なスパイとして英国外務省の中心にいた者たちも、最終的にはロシアの保養地の別荘に隠居した。 BBCは、彼らを理想家ではみ出し者の英雄として伝えている。
英国の原子科学者クラウス・フックスは、水素爆弾の機密情報をソ連に漏らして禁固一四年の刑に処された。しかし、九年後に釈放され、東ドイツヘ逃れて原子核物理学研究所の副所長となつた。
本当の戦いは「左派」と「右派」によるものではなく、富のすべてを独占しようとする大富豪と、安定した生活を維持するためにわずかな金を求める大衆との長年の戦いである。
敵は資本主義ではなく、独占資本主義であり、企業ではなく、究極の独占として世界政府を目指すカルテルである。
共産主義は策略にすぎず、銀行家たちはそれによって人類の集団的本能を取り込み、間違った理想主義をその悪魔的陰謀に利用した。
本当の敵はイスラム教ではなく、西側社会の中心部を侵食している古くからの悪魔的カルト集団である。彼らは人類をその本来の健全な進路からハイジャックし、巧妙な社会統制の手段を使って奴隷化しょうとしている。
恐るべき新世界秩序ファシストの系譜
英米のビジネスエリートは、「新世界株序」の初期の試みとしてのナチス第三帝国にどつぶりっかっていた。それはイルミナチイが単にユダヤだけのものではないことを再確認させる。そこにはユダヤ運動としての共産主義やシオニズムの一方、アーリア運動としてのファシズムやナチズムも含まれているからだ。
経済学者のロバート・プレーデイーは、ナチス国家を「独占資本主義の独裁政権」と定義し、「その『ファシズム』とは独占を基本とし、国家の軍事力、警察力、法的強制力、そして宣伝カのすべてを完全に支配した企業によるものだ」としている(リチヤード・サスリー『l.G.フアルベン(I.G. Farben)』1947年)。
共産主義ロシアはその弁証法の片割れを形成し、同じく独占資本主義の独裁政権ではあつたが、こちらは「公有制」を装った。
1930年代にロシアを訪れたナチスの将官は、共産主義を「ナチズムの鏡像」と述べた。
二つはいずれも社会主義であり、唯二の違いは一方が人種をふれ回り、もう一方が階級をふれ回ったということだけだ。
実際、どちらも中央銀行カルテルが生み出したものである。
新世界秩序を理解するための鍵は、カルテルの心理にある。彼らはすべてを欲しがる。カルテルとは陰謀にほかならない。
彼らの目的は、価格を高く保つことによって大衆から金を騙し取ることだ。彼らは競争や市場、資源、そして新しい技術をコントロールすることでこれを行なう。
彼らは本質的に権力欲が異常に強く、反国家的、反社会的である。
もっとも初期のカルテルの一つがJ・D・ロックフエラーのスタンダードオイルで、彼らは輸送費を密かに調整することによって競争相手を排除した。
キリスト教徒を装いながら、ロックフエラーは「唯一の罪は競争である」と言ったことで知られる。
一方、ドイツ最大のカルテルだったのが、化学、製薬、そして映画産業の巨大企業IGファルベンである。マックス・ウォーバーグは1910年から1938年までファルベンの重役だった。
ファルベンは第二次世界大戦でドイツ軍の爆薬の85%を製造した。
1926年、ファルベンとスタンダードオイルは、スタンダードが米国でファルベンを代表する代わりに、ファルベンは合成潤滑油に手を出さないという協定を結んだ。
その結果、スタンダードオイルは米国内での供給不足にもかかわらず、ナチスに石油を提供した。彼らはドイツ空軍機の飛行に不可欠だった希少な鉛添加剤を供給した。
また、米国での合成ゴムの生産を抑制し、そのために連合国はあやうく戦争に負けるところだった。
同様に、ロックフエラーはファルベンの他の事業の分け前を手にした。
それにはアウシユビッツのような強制収容所の奴隷労働者を雇う多くの工場が含まれていた(ファルベン、ロックフエラーは収容者の労働への格安の賃金をナチス親衛隊に支払った。
彼らはナチス親衛隊の給料も負担していた)。彼らは用済みになつた労働者を殺すための毒ガスも提供した。
これが、アウシユビッツヘの鉄道線路が爆撃されなかった真の理由である。連合国の爆撃機はァゥシユビッツの周囲約八キロは攻撃したが、工場や死の収容所の空域は飛行禁止にされた。実際、ドイツの産業がそこへ移転したのはこのためだった。
戦後、CIAは損害を受けなかったフランクフルトのフアルペンの超高層ビルに、そのドイツ本部を設けた。
ホロコーストは絶好の「ビジネス」だった。
1930年代を通して、ウォール街の投資銀行は「アーリア化」に参加し、ユダヤ人が所有する醸造所や銀行、工場、百貨店などを本来の価値の3割で手に入れた。
ホロコーストの犠牲者の義歯から取った金まで、彼らの金庫に入れられた。
ナチスの軍事機構は、イングランド銀行(チエコの金準備をナチスヘ譲渡した)やウォール街、ユダヤ人からの略奪品によって資金を調達した。
それは弁護士のジョン・フオスター・ダレスと彼の法律事務所サリヴアン・アンド・クロムウエルの巧みな策略によって行なわれた。 ダレスは後に米国国務長官になつた。
ナチス・ドイツは資本主義の天国だった。週六〇時間の低賃金労働で、労働組合もなかった。
ドイツのカルテルは、ヒトラーに資金を提供するずっと以前から戦争の準備を始めていた。
周辺諸国がナチスの軍靴に踏みにじられると、彼らはそれまでの競争相手を格安の価格で吸収した。
「ドイツの大企業にとって、第二次世界大戦は史上最大規模での略奪のチャンスだった」とサスリーは書いている。
戦後、デイロン・リードの銀行家だったウイリアム・ドレーバー将軍は、ドイツ産業を解体し、各企業を連合国間で分配するという仕事を任された。
言うまでもないことだが、分配など行なわれなかった。ウォール街のドレーバー将軍の仲間たちがそのはとんどを所有したからだ。
ナチスの実業家も有力な地位にとどまった。戦犯は南米に送られたり、CIAの下で働いたりした。
ナチス・ドイツに八〇億ドル相当の投資をしていた米国企業のリストには、スタンダードオイル、ゼネラルモーターズ、IBM、フォード、チエース・ナショナル・バンクおよびナショナ
ル・シティ・バンク、IT&T(国際電話電信会社)などが含まれている。
結果として、「もっとも偉大な世代」のアメリカ人は、IT&Tが敵の爆撃機の主要部品を製造しているとは知らなかった。
フォードやゼネラルモーターズがナチスの運搬車や戦車を造っているとは知らなかった。ナチスの軍備に不可欠なボールベアリングがフィラデルフィアで製造されていながら、米国では供給不足であることを知らなかった。これらはすべて米国政府の認識と同意の下で行なわれたことだ。
五年の戦争で資産を倍増させた大企業群
英国へ向かう米国の護送船団はナチス・ドイツで再保険をかけられていた。ドイツの保険会社は積荷や出航時間の詳細を知っており、これらはナチス諜報部へ伝えられた。
ジェームズ・マーチインは、著書『すべての高潔な人々(All Honourable Men)』(1950年)でこの話に触れている。マーチインは米国司法省戦時経済局の局長で、後にドイツの米軍政府経済部に勤務した。
ミュンヘン再保険会社のファイルの中に、マーチインは「写真の束や設計図、米国の産業開発の詳細な記述」を見つけた。「その多くは保険会社経由で入手されたものだった。
同時に、それらは我々の戦争経済のきわめて重要な統計資料でもあった」
マーチインは、デイロン・リード社やブラウン・プラザーズ・ハリマン(プレスコット・ブッシュが社長だった)といったニューヨークの銀行家が、1920年代、ドイツ産業をどのように
合同製鋼やIGフアルペンのような巨大カルテルにまとめたのかについて述べている。
ドイツ銀行やドレスナー銀行と結びついた100人に満たない者たちが、ナチスの産業の三分の二を支配し、ナチスに資金を提供していた。
「戦前の映画では、上げ足歩調をするナチスがドイツの絶対的支配者として描かれていた」とマーチインは書いている。
「我々の(中略)アルフレート・クルップとその工場長たちへの質問はその印象を消し去った。アドルフ・ヒトラーとその党は、自分たちが政権を握るために実業家を頼りにしたこと、
そして今後も、そうした実業家の助けを借りた方がより前進できることを決して忘れてはならなかった」
ナチスのカルテルはいずれも、デユボンやスタンダードオイル、ゼネラルモーターズ、lT&T、ゼネラルエレクトリックといった米国企業と結びついていた。
1944年、マーチインはドイツ企業と米国企業の間の3600もの協定を見つけたが、それによれば重要な原料や特許品はナチスの軍備に回され、米国には与えられなかった。
マーチインは敵が政治勢力ではなく経済勢力であることに気づいた。「兵器を必要とせず、あるいは使用しなかったために軍事的敗北を生き延びられた敵の実態がまとまりつつあつた」
マーチインはこう締めくくつている「軍事的結末を除いて、ナチスの実験はその当初からの出資者の目には成功だったようだ。
ナチス支援におけるドイツ財界の結束を反映するように、ナチス政府はまさに有力資本家や実業家の目的と利益を支えるために働いた。そして今度は、ナチス体制の経済政策をそのまま維持するため、彼らは戦後の激しい戦いを行なってきた」
戦争はナチスの米国のパートナーにとっても成功だった。戦時中の五年間で、米国の大企業の六〇社がその総資産を二倍以上に増やした。
もしエリートがナチスを支援したなら、なぜナチスは勝てなかったのだろうか。読者もご存じのように、それはドイツ国民が敗北し、破壊され、最後には今日のような軟弱者になるように「計画」されたからである。ナチスはドイツ国民を惑わし、欺くための隠れ蓑だった (もちろん、ほとんどのナチス党員は走狗だった)。
その一方で、国際的なビジネスエリートは存分に金を稼ぎ、戦争は人類を堕落させ、混乱させて、銀行家による世界政府を受け入れるよう働いた。
どの戦争もそうだったように、第二世界大戦はオカルトの金融エリートによる人類への戦争だった。
結論として、新世界株序、つまり近代史は、信用の独占を富や政治、文化のすべてに対する独占に変えようとするイルミナチイの中央銀行カルテルによる欲望の産物である。
その最終目的は、神の意図から人類を奪い取り、人質として悪魔に引き渡すことだ。
第二次世界大戦の「きわめて醜い」秘密
英国植民地(ケニア)の高官だった第22代エロール伯爵ジョスリン・ヴイクター・ヘイ(1901~1941)は、第二次世界大戦の真の理由に気づき、その名を知られることになった。
ウインストン・チャーチルは諜報部(特殊作戦執行部)にエロール卿の殺害を命じた。
英国政府に植民地の著名な政治家を殺させたほどの「醜い秘密」とは、いったいどんなものだったのか。
陰謀者たちはエロール卿の殺害に「ハイランド・クリアランス作戦」という意味ありげなコードネームをつけた。1800年代初頭、スコットランドの農民に対して行なわれたこの無慈悲な
立ち退き政策は、新世界秩序による人類の追い立てにふさわしい象徴であり、第二次世界大戦はその推進に大きく貢献した。
このケニア・ナイロビ殺人は、1987年に『白い炎の女』として映画化され、エロール伯爵をチャールズ・ダンス、ダイアナ・ブロートンをグレタ・スカッキが演じた。
エロール卿の遺体は1941年1月24日の早朝に発見された。 車の助手席の足元にひざまずくようにして耳の後ろを撃たれ、それはまるで処刑のような殺され方だった。
40歳の男やもめだったエロール卿は人妻のダイアナと不倫中で、その日も彼女を真夜中過ぎに家まで送っていったところだった。
嫌疑はダイアナの年老いた夫ヘンリー・ブロートンにかけられたが、裁判の結果、彼は釈放された。 映画では、その罪は彼と白人入植者全般の頚廃のせいにされている。
もし元特殊作戦執行部の内部関係者がいなければ、この殺人事件は迷宮入りになつていただろう。
末期の病を告げられたその人物は、同僚のトニー・トラフォードに情報を伝え、トラフォードは100ページに及ぶメモを作成した。
死後、トラフォードはそれを偶然にも同名の作家エロール・トレビンスキに渡し、作品は『エロール卿の生と死‥ハッピー・ヴアレー殺人事件の真相(The Life and Death of Lord Errol: The Truth Behind the Happy Valley Murder) 』(2000年)として発表された。
身長188センチで北欧系の整った顔立ちをしたエロール卿は、生来の指導者として由緒あるスコットランドの家柄に生まれ、頭脳明晰で知性に溢れ、正確な記憶力を持つ雄弁家だった。ケニア植民地議会の主要メンバーでもあった卿は、重要な軍事・諜報活動を担う軍事次官の地位にあった。
特殊作戦執行部の「ハイランド・クリアランス作戦」には100人以上が関与した。
世界大戦の初期段階において、この男を黙らせることがチャーチル政権にとってなぜそれほど重要だったのか。
新世界秩序を糾弾して口封じされたエロール卿
ヒトラーは本来、世界戦争には関心がなかった。彼の計画は、英国との緩やかな「北欧」同盟によってソ連を征服することだった。
エロール卿はこの同盟を支持する英国エリートの有力派閥「クリヴデン・セット」に属していた。
チャーチルを支援する民間のイングランド銀行は、スターリンを脅かし、世界戦争を引き起こして、一気にドイツを破壊するための手段としてヒトラーを祭り上げた。
戦争によって、彼らは富と権力を手中に集め、世界政府を邪魔する愛国的エリートを虐殺することができるからだ。
銀行家たちはクリヴデンのメンバーを利用し、ヒトラーを騙して英国が彼の計画に同意するかのように思わせた。
ナチスは誇らしげな子分のように英国を喜ばせ、彼らに軍備増強についての情報を与えた。ナチスは罠に陥れられたのだ。これが「宥和政策」の真の目的である。
クリヴデン・セットは二つのグループに分けられた 一つはその策略に気づいている者たち、もう一つは気づいていない者たちである。
エロール卿はヒトラーが共産主義に対する防壁になると心から信じていた後者の一人だった。 戦争が始まると、エロール卿は愛国者としての義務を果たした。
しかし、彼は多くを知りすぎた。ヒトラーとチャーチルが同じ同性愛のオカルト秘密結社に属していることを知った彼は、MI5のスパイ要員にそのことを話したのかもしれない。
1941年5月、エロール卿の死から三カ月後、総統代理のルドルフ・ヘスはスコットランドへ飛び、ハミルトンに寛大な和平案を提示した。
二人はどちらも同性愛者だった。ヘスはランツベルク刑務所でヒトラーの同性愛の相手となり、『わが闘争』の執筆を手伝った。
ハミルトンは、ヒトラーとヘスの恩師で「生活圏」の概念を生み出したカール・ハウスホーファーの息子、アルプレヒト・ハウスホーファーと性的関係を持っていた可能性がある。
アルプレヒトは、ヒトラーを押しのけ、英国と和平を結ぶことを望んだドイツ・レジスタンスの一員だった。
おそらくヒトラーは、英国とナチス幹部の両方にまたがる同性愛のオカルト秘密結社によって生み出された人物である。
この結社はドイツでは「トーレ協会」、英国では「黄金の夜明け団」と呼ばれ、アレイスター・クローリーの「東洋テンプル騎士団」とも関連があった。
ドルイド団員で同性愛者のウインストン・チャーチルは、このホモ・オカルト組織の一員だった(彼はナチスのシソパとされるエドワード八世の友人でもあった)。
しかし、ナチスは英国の隠れた策略に気づいていなかった。エロール卿が口封じされたのは、おそらく彼が共産主義と新世界秩序に反対したからだろう。
彼はチャーチルと英国の戦備に疑いを抱き、ヒトラーに警告したのかもしれない。
旧ソ連という国家はフリーメイソンの創造物
1940年9月7日、第14代ハミルトン公爵ダグラス・ダグラスハミルトンをはじめとする上位グループは、スコットランドに集まり、エロール卿ジョスリン・ヘイの暗殺を決定した。
この件は特殊作戦執行部のカイロ支局が担当することになつた。
1940年11月、ケニアヘ渡ったジョック・ブロートンとダイアナ・ブロートンの夫妻は、エロール卿の思惑に気づき、彼を恋愛の三角関係に巻き込んだ。
それはエロール殺害の真の目的をわかりにくくするものだった。12月、別のスパイの二人連れがケニアに入り、殺害の夜、車のエンジンが故障したふりをした。
エロール卿は女の方を町まで送ってほしいと頼まれ、その女に射殺された。 エロールの後ろには無線の追跡チームがいた。暗殺チームは後に「戦争犠牲者」として始末された。
トレビンスキの元特殊作戦執行部の関係筋は、エロール卿が殺されたのは、「ハミルトン公爵、チエンバレン内閣の高官、エドワード八世の親友とエドワード自身」を含む支配者層の 「元宥和政策派」 にとって不都合な事実をエロール卿が知ったからではないかとして、一連の出来事にやや異なった解釈を加えようとしている。
ある内部関係者によれば、ルドルフ・ヘスとモイン卿、そしてエロール卿は何らかの「醜い」秘密を握っていた。
1944年、モイン卿が表向きにはユダヤ人テロリストによって殺されたのはこのためだった。
他にもクリヴデンのメンバーで怪死や早死にを遂げた者として、ロジアン卿(1940年)、ロザミア卿(1940年)、ハリー・オークス卿(1943年)、そして辞職からわずか半年後の1940年11月に「癌」で死亡した元首相ネヴイル・チエンバレンがいた。
ハミルトンは1944年に都合よく戦死し、エロールを処刑した二人の特殊作戦執行部の工作員も都合よく殉職した。
この内部関係者によれば、「醜い秘密」とは、「チャーチルが〔ドイツと和平を結ぶための〕陰謀に気づいていたことではなく、彼がそれに加担していたこと」である。
私の直感では、チャーチル、ヒトラー、スターリン、そしてフランクリン・D・ルーズヴエルトは同じオカルト秘密結社(イルミナチイ)のメンバーであり、エロール卿はヒトラーが策略に陥れられていることを知っていた。このためにエロール卿は口を封じられたのだ。
究極の「醜い秘密」とは、ソ連という国家がイングランド銀行の資金提供を受けていた英国フリーメイソンの創造物だったということだ。
スターリンを制御できなくなつた彼らは、彼を脅かすためにヒトラーを立てたのかもしれない。 つまり、スターリンは英国にヒトラーを取り込ませるほどの何かまずいことをしでかしたのだろう。
「ロシア共産主義は彼らの新世界秩序というヘーゲル弁証法の片割れだった。今日、それは専制的国家権力や弾圧、教化といった形で現われている。
ナチズムも新世界秩序の予行演習だったが、それは彼らの「第二の」手段だつた。
エロール卿の死が世間に知れわたれば、各諜報機関は彼らが仕えるふりをしている国家のためではなく、フリーメイソンの中央銀行家たちのために働く。
彼らは銀行家の信用独占や世界独裁計画に対する真の脅威を排除するために利用されている。
重要なのは、歴史は世界独裁を進めようとするオカルト中央銀行家たちのでっち上げにすぎないということだ。彼らは性倒錯者やはみ出し者に権力を与え、戦争や騒乱を引き起こす。
事実、慢性的な鬱病に苦しんでいたウインストン・チャーチルは、騒乱を生きがいにしていた。
彼は第一次大戦の初めにこう告白した「あらゆることが破滅と崩壊に向かっている。私はそれに興じ、興奮し、取り憑かれているようだ。こんなふうになるのは恐ろしいことではないか」
これらの怪物たちが、私たちの指導者である。
西側社会は悪魔的カルト集団によって堕落させられ、その道徳的破綻は物質的繁栄という仮面で覆われているが、これはそう長くは続かない。 彼らが警察国家の構築を進める一方で、
知識階級や大衆は、それでも彼らの信用によって買収される。