15 イエス・キリストに関する調査

さて今度は人間の未来とはどのようなものかを考えることにしよう。 この問題に関してユミットの語るところは、とりわけ興味深い。

地球ほど進化を遂げた惑星には、いずれ新しい突然変異体が出現するだろうというのである。

ユミットたちはキリストもこの種の突然変異体であることを、調査のうえで突きとめた。これを人間=神、超人、突然変異体、人間+1など、なんと呼んでも構わない。

この種の被造物は先駆者であり、言わば新しいアダムなのである。

惑星ウンモにも「ワンモウア」という名の、同じような人物が存在していたそうだ。この種の存在がなにも男でなければならないという理由はない。

ユミットはもしかすると女性の突然変異体であったかもしれないような人物も、人間の歴史を辿って探してみた。

古代アレクサンドリアに、きわめて博識で鋭い洞察力の女性がいたらしいのだが、早い時期に「狂信的なキリスト教徒たち」の手にかかって殺された疑いがある、と手紙には報告さ

れている。

キリストに話を戻そう。ユミットの調査によれば、マリアは聖霊※1の働きによって子供を産んだわけでは、もちろんない。

ヨゼフ※2もほんとうは大工ではなく羊飼いだったのであり、彼はごくふつうのやり方で妻の出産に加担したのである。

ただしこの時「あの世」の集合的魂は別な存在を、人間とは別種の先駆者をつくったのだ。

キリストは肉体的な外観こそ人間に酷似しているが、身体の中には 「アンテナ」、つまりDNAに補足的に組み入れられた原子連鎖があって、地球の人類すべてと接触が可能だった。

「あの世」における彼の心的イメージは、人間とは質的に異なっていたのである。キリストと人間は、人間と動物が違うほどにも違っていた。

それでは人間とは違う存在の言語と文化はどうなるのか? キリストは人間ではないのだから、意識も別の次元のものであった。

彼は言わば種全体を見そなわす能力の持ち主であった。

キリストのメッセージは、基本的にはかなり「エコロジー」的なものであり、仲間同士の愚劣な殺し合いをやめて、愛し合いなさいと説いている。

あたかも彼自身が人類の利益と良心を体現しているかのように。

「あの世」は個人の意識から発せられる大量の情報を記憶した後、キリストの存在を介して初めて、「羊の群れ」※3に接触できたのである。

ユミットによれば、キリストは女性と性的交渉を持つのにやぶさかではなかったのだが、彼の周辺の女性たちとは遺伝的適合性はなかったそうだ。

1987年にスペインのウンモ・ネットワークに来た手紙には、真偽のほどはつまびらかではないが、キリストの生涯が語られている。

それによると初めのうちはキリスト本人も、自分が人間と違うことには気がつかなかったそうなのだ。

先行人類の集団に生まれ落ちた最初の人間と同様に、自分がそれほどまで両親と違っていることを、そう簡単に理解できるものではないのである。

キリストは同世代の青年の例に洩れず、当時支配的であったユダヤ文化を身につけ、ユダヤ教の会堂に通っていた。

ユミットはこのようなことをなぜ知ることができたのか?、じつは彼らはユダヤの地で徹底した発掘調査を行ったそうなのだ。

その結果人目に触れぬまま埋もれていた地下礼拝堂が発見されたのである。そこには厚手の金箔の巻物が見つかり、キリストの生涯がアラム語※4で記されていたという。

巻物は紙状の金を皮マットに貼り付け、木の棒で文字を打ち出したものであった。これは永久保存の資料をつくる手段である。

すでに文字が書かれてしまった羊皮紙ならば、火にくべる以外にリサイクルのしようもない。ミイラを入れる石膏の棺にしても同様である。

だがこれが金の紙となると、もう一度溶かせば使えるし、売ることも可能である。この種の古代資料の多くが、このようにして失われた可能性がある。

ユミットは、「この巻物はあなたがたが破損する怖れがなくなったら、返却してあげましょう」と言っている。

わたしとしてはその前にせめて写真だけでも見せてもらいたいものだと思う。

ユミットの語るキリストの話は、もちろんどれも科学的には検証不可能なものではあるが、大筋としてはわれわれがこの人物について知るところを裏づけるものである。

話を最後まで続けよう。

キリストはたちまちのうちにして多くの信者を集めた。彼が行ったとされる奇蹟の跡を逐一辿ることはほぼ不可能であるが、これは諸教混合の現象であると考えられる。

パンが増えるとか、病を治すとかの奇蹟は、すでに旧約聖書にも現れているからである。混合が生じたのはおそらくその後のことなのであろう。

第二世代のキリスト教史料編纂者たちは、現実の話にユダヤの伝統文化を混ぜ合わせたのである。

旧約聖書にしても、それ以前の時代の要素(たとえば「ノアの箱舟」のような大洪水の話は、時代的にはユダヤのサガ※5以前に書かれたギルガメッシュの叙事詩※6にも登場してくる)

が混入しているのである。

それにしても突然変異体は人心を困惑させる。彼は自らの出身母体とは決定的に異なる存在なのだ。生物の世界ではよそ者はすなわち敵となる。

もちろん共存や進化を共にすることが容易だったり、異質の存在のほうが利巧に立ち廻って、寄生虫かウイルスのような役回りが得られれば、話は別である。

ウイルスは生殖能力がないから、寄生している相手のほうに自分を再生してくれる情報を植え付けてしまう。

この戦略で成功するには、自らの免疫バリアーを超えて環境に適応し、「ミトコンドリア」※7の加勢を促さなければならない。

キリストは自らの命で購ったとはいえ、2000年もの長きにわたって、自己の足跡を残したのだから、この点については成功したということになる。

前述したアレクサンドリアの女性がほんとうに「女性+1」だったとしたら、自らのメッセージを伝える前に殺されてしまったものであろう。

最後はユダヤ人もローマ人も、誰もがキリストを厄介払いしてしまおうと考えた。ローマ人は弟子の中から人質を取り、キリストには自首を勧告した。

彼はそれに従ったのである。拷問はほんとうに行われた。去勢すら行われた形跡があるそうだ。だが当時は去勢も拷問としては常套手段であったと想像される。

ユダは実在の人物であったが、奇異なことがひとつある。

ユミットによれば、彼はメロドラマの悪役として、告発の接吻※8をしたのではなく、むしろ英雄だったそうなのだ。

信徒たちの会計係をしていたユダは、他の信徒がわれがちに退散しても少しもひるまず、主人の釈放運動に力を尽くし、非業の死を遂げたということだ。

キリストはローマへの反逆者として、十字架にかけられた。前述の巻物には、キリストの両側にも十字架にかけられた罪人がいたとは書いていない。

しかも彼は十字架の上で息を引き取ったわけではなかった。

信徒たちは必死になって、処刑場となっているゴルゴタの丘の警備に当たるローマ兵を買収していたのである。

ところがローマ兵たちにとっては礫刑などは日常茶飯事だったので、信徒たちからは黙って金を受け取りながら、平気で処刑をはじめてしまったのである。

キリストは死相が顔に現れる頃になって、やっと信徒のもとに戻された。

血だらけの体は一枚の布に、聖骸布※9にくるまれた。キリストはまだ生きていたので、傷口からはどくどくと血が流れ、この布は真赤に染まったのである。

ここでひとつ面白いエピソードを紹介しておこう。ユミットの手紙にはスピルバーグの映画顔負けの、意外な展開が随所に見られるのであるが、もちろんこれは検証のしようもない。

比較的最近の手紙には、このキリストの聖骸布が歴史の偶然の成せるわざか、今も保存されている、と報告されている。

ユミットは、ヴァチカン※10が今も本物を所蔵していると言う。トリノで数十年間展示されていた布にある遺体の痕跡は、キリストの時代の葬儀の際に大量の香料

(福音書※11にも書かれてあるとおり)を使用したために残ったものなのだ。だがトリノに展示されていたのは本物の聖骸布ではない。

本物には十字架から降ろされたときの大量の出血の跡がついているはずだ。

ヴァチカンは本物そっくりだがこの血の跡のないコピーをつくる方法を探したのである。

本物の汚れを落としたり、上から何かを塗ってごまかそうとしても結果ははかばかしくなかった。ヴァチカンの専門家はパレスチナから、キリストの時代以後に作られた布を取り寄せて

使用した。いろいろな試みがなされた挙句、人間の形をした金属製の人形に、当時用いられていた香料を塗りつけてそれを布にくるむやり方も試された。

電気ヒーターでこれを200度の温度で焼くと、とうとう布にそれらしい跡が残った。

大衆の歓呼の的となったのはじつはこの布なのだが、ヴァチカンは慎重を期して布が本物であるかどうかについては、一切の公式コメントを避けてきた。

だが、今世紀の初頭にいたって炭素同位体による年代鑑定が可能となるとは、さしものヴァチカンも予測していなかった。

それよりもはるか以前から世界中の科学者がこの年代鑑定を要求していたのだが、ヴァチカンは当然のことながら頑として許可しなかった。

ところがつい数年前、ヴァチカンの古文書調査にあたっていたある歴史家が、秘密をかぎつけてしまった。彼は「偽聖骸布作戦」の顛末を記した書類を探し当てたのである。

カトリック教会の上層部は、これが外部に広まってスキャンダルにならないうちに、先手を打つことにした。

彼らは急遽撃度を改めて、展示されていた聖骸布の年代鑑定を自分のほうから申し出たのである。もちろん科学者たちはそれがキリストの生きた時代よりも後に製作されたものだ

ということを確認した。とにかくこれは偽物だった、ということで片がつき、真実の究明は回避されたのである・・・…。

ユミットは、この話はひとつの例であり、地球の宗教団体が自分たちの本当の使命、信者たちの間に支配カを確立するという使命を遂行するためには、何ものも恐れないことを示す

ものだとしている。

ところで金の巻物には、聖体の秘蹟※12のことも、使徒たちのことも出てこない。 すべては後世の産物なのであろう。少なくともプロテスタントはそう考えている。

だが一番重要なのは、キリストには「あなたがたは皆兄弟であるから、愛し合いなさい」ということ以外には、何も言うべきことがなかったという点である。

彼は教会をつくるべきだとか、ひと振りの特別な人たちに何らかの権威を与えるべきだなどとは決して言ってはいない。

キリストの死後、二つの傾向が反目し合うこととなったそうだ。

ひとつは貧乏に甘んぜよ、人間は皆兄弟なのだから、他者に向かって心を開けという、もともとのメッセージを大切に守りぬこうとする傾向である。

そしてもうひとつの傾向は、逆にこうした事実を利用して自分たちに都合の良い宗派をつくろうとするものであるが、これが第一の傾向を圧殺してしまったのである。

別のユミットの手紙には、宇宙には生命を宿している惑星が沢山ある、とも書かれている。生命の基盤となるのは炭素化合物ばかりでなく、原初アミノ酸にもそれは可能だそうなのだ。たとえば惑星ワンモには、シリンダー螺せん状のタバコモザイクウイルス※13が、地球とまったく同じように存在していると言う。

「あの世」がそれぞれの惑星の生命の形態を操作しているからこそ、進化の過程はかなり類似したものとなり、現時点では惑星ウンモにも、地球にも、意識を持った人間の姿形をした生物が存在しているということなのである。

この人間たちの間に、ある日心的現象がさらに発達した突然変異体が出現するとされている。

ユミットは具体的な期日にまでは言及してはいないが、いずれこの突然変異が増大する時期の到来することを予告している。

様々な宗教においてキリスト、もしくは「キリストたち」の位置を占める存在は、遺伝的には人間との適合性を欠いた、その先駆者にすぎないのだ。

生命の進化の現段階が終わりに近づく頃には、「あの世」の指令に従って地球上では突然変異が急激に増加し、人類は滅亡するだろう。

人類はそこで来るべき超人類のサナギとしての、酵母としての役割を終えるのである。 だがこの「人間+1」の機能とはどのようなものになるのだろうか?

彼らは仲間同士では遺伝的適合性があるのだろうか? もしあるとすれば、もっと高度な心的現象を備えた新しい人類となって地球を席巻することになるのは明らかだ。

だが、とユミットは続ける。これらの「ウンモウア」、これらの突然変異体には生殖能力が欠けており、人類の歴史はこうして終わりを告げることになるのだと。

彼らの言うことは本当なのだろうか (われわれのこの手紙の解釈が間違っていないとしての話だが)? 人間が絶滅し、人類の突然変異体が滅びた後、意識を持った個人が

突如として消え去り、動物ばかりになってしまった生態系に、いったいどんな存在理由があるのだろうか?

手紙にはその答えも示唆されている。これらの変異体同士には遺伝的適合性はないが、他の惑星の類似の存在とは適合性があるのだそうだ。

だとすれば

これらの突然変異体の出現は、宇宙レベルでのひとつの文明が構築される前触れなのだろうか? もしそうだとしたら生命の大いなる歴史も、そのスケールを変えることになる。

そして生命を星から星へと移動させる技術的可能性※14をも同時に考慮していかねばならない。

そもそもテクノロジーは人間の専売特許ではない。人間は文字を持っているが、動物たちも、小便や爪の掻き傷を残すことで、化学的物理的言語を用い、「ここはオレの縄張りだ」

という主張を行っている。

ニワトリは消化を助けるために小石を呑みこんで胃の一部としているし、鳥は巣をつくる。

われわれの住居や乗物がテクノロジーによる人工の産物だというのなら、ただの鳥や哺乳動物の巣も何か人工的なものに違いないのである。

テクノロジーと生物との境界は存在しない。すべては自然なのだ。

ただ人間の行動様式が多様化しているために、人間の自然が動物の自然よりもはるかに複雑な様相を呈しているだけなのである。

この考えをさらに進めていくと、テクノロジーの発達により「人間+1」が銀河系のあちこちの惑星に移住した後には、さらに「人間+2」とも言うべき異なる種が出現することも

予測しうる。

この「人間+2」には銀河系全体のスケールでの心的現象が備わっており、知識も飛躍的に増大しているから、今度は銀河系以外の他の星雲の類似した存在との交配が可能となるのだ。

この要領で事態が進行すれば、やがてわれわれが現時点で想定している宇宙の大きさに見合った、グローバルな心的現象を備えた唯一の存在が形成されるだろう。

それは宇宙の歴史の流れとともに自らを構築する神なのだ。

この理論、言葉の語源的意味※15での理論によって、神性※16を無限ではなくて計測可能な距離に見据えることが可能となる。

神とわれわれとの距離は無限に遠いものではなくなるのである。

※1 神の霊、すなわち人間に働く神の力。聖書には、処女マリアが、婚約者ヨゼフと結婚する前に、聖霊によつてイエスを身ごもったとある。

※2 ヨゼフが大工であったことは、新約聖書マルコによる福音書第六幸三節に記述がある。

※3 キリスト教徒のこと。

※4 アラム人の言語、古代オリエントで広く用いられた公用語のひとつ。

※5 一族、一門などの数世代にわたる年譜的長編小説。

※6 古代オリエント最古の民族とされるシユメール人の都市国家、ウルクの支配者であったギルガメッシュを主人公にした叙事詩。

※7 細胞の中にあって栄養素を分解し、あらゆる生物にとってのエネルギー源ATP(アデノシン三リン酸)を合成する。

※8 十二弟子の一人であったユダが、イエスを裏切ってユダヤ教の祭司に引き渡す時、その合図としてイエスに接吻したとされる。

※9 処刑されたキリストの遺骸を包んだと伝えられる布。写真撮影によって遺体の影が浮き出て見えるとされている。

※10 ローマにあるカトリック教会の総本山。

※11 新約聖書に収められているイエス・キリストの伝記。

※12 イエス・キリストが処刑される前夜、弟子たちと食事をしたこと(いわゆる最後の晩餐)にならって、パンとブドウ酒がキリストの体と血として信者に与えられる儀式。

※13 植物のタバコに感染して葉や茎にモザイク状の模様を描くウイルス。

※14 わたしは、人間はいつの日か惑星間旅行を実現するテクノロジーを開発するために創造されたのだ、という仮説を立てている。

このような営為は全体との調和をはかりつつ進めなければならないのだが、現実には環境破壊や核兵器や遺伝子操作など、テクノロジーにも否定的な面が沢山ある。

※15 理論theorieという言葉のtheoとはギリシャ語で神を意味する。

※16 人は自らの神をつくるのか。ならば人間は自分の手で偶像をつくりあげることで、神発生のシミュレーションを行なっているにすぎない。

だがわたしが一番気になるのは、人は自らの姿に似せて神を創ったのであり、その反対ではないという考え方だ。「人は自らに似せて神を創った」という言葉はとても強烈だ。