JAL御巣鷹山へ撃墜事件で 高天原山事変後の現場に急行した小平尚典カメラマンが命を狙われたのはなぜか?

今もっとも重要 ★1番重要な問題は、再臨界中の福島原発である! 2015年09月07日

チェルノブイリの北西に位置するベラルーシ共和国で、現在生まれている赤ん坊の98%が何らかの異常児だと言う

と言う事は、「2040年、東日本の赤ん坊の98%が何らかの異常児。」と言う事になる。

もっとも、「328.ジョン・タイターの予言<2015年に第三次世界大戦が勃発!>は実現するのか?」で紹介したジョン・タイター氏の予言が当たれば、2020年に東日本は「立ち入り禁止の政府管理区域」になってしまうのですが。こちら

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↑地図:ジョン・タイターが予言した2020年の日本地図

(4)東日本の日照不足の原因は?

気象庁は、北日本や東日本で、8月中旬ごろから日照時間の少ない状態が続き、福島市では、平年の35%、 宇都宮市や長野市でも43%しか日照が観測されなかったと2015年8月29日に発表した。

このニュースはネットからすぐに消された。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20150829-00000501-fnn-soci

なぜすぐに消されたのか?

それは、全国の県庁所在地の中で福島市の日照不足が1番深刻だと言う事をばらしたからに他ならない!

東日本の日照不足の原因は、秋雨前線の停滞とされている。少なくとも、福島原発周辺の日照不足の原因は、「467.福島原発周辺だけ濃霧が続いているのはなぜか?」で綴った通り、福島原発からの核物質が原因なのではないかと推測される。467はこちら

悲観的に考えれば、福島原発周辺だけではなく、かなり広範囲に核物質が降り注いでいる現実があり、それをごまかす為に、人為的に8月中旬から秋雨前線を停滞させているのかもしれない。

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↑画像:2015年8月31日の千葉県銚子市犬吠埼 8月28日から続いている紫色の風景

★首都圏のある恐ろしい真実 ~見たくない人は見ないでね。

http://ameblo.jp/64152966/entry-12067882070.html

〔川内再稼働原発 広瀬隆さんが緊急警報!〕◆

http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2015/08/11-ec7e.html#more

飯山一郎 ‏@iiyama16 · 8月30日

2011年3月、官邸は「首都圏3千万人避難計画」を本気で検討していた。現在の状況は、3.11の時よりも、さらにもっと悪くなっている。(飯山一郎)

(5)口封じの歴史・高天原山事変編29 高天原山事変の原点

高天原山事変の原点は、その20年前の1965年にある。1965年当時、世界で核兵器保有国は、アメリカ、旧ソ連、イギリス、フランス、中国で、日本の支配者階級がその経済力、技術力を背景に、核兵器製造の可能性について研究し始めた。

1968年9月、当時の内閣官房内閣調査室が主導した研究チームは、核武装の可否を検討した最初の報告書「日本の核政策に関する基礎的研究・報告書Ⅰ」をまとめた。

それによれば、日本で初めて1966年に操業開始した英国製黒鉛炉「東海原発」を使えば、「年間約100キロのプルトニウム」が生産でき、少数のプルトニウム原爆の製造は可能と明記された。

ただ原発が「国際原子力機関(IAEA)の管理下」にあることや財政状況などを理由に、実現性を困難視している。

★『朝日新聞』1994年11月13日付朝刊。

「冷戦最中の1967年から約2年半にわたって、当時の佐藤栄作内閣が日本の核武装の是非について、蝋山道雄上智大教授(当時、国際文化会館調査室長)を はじめ著名な国際政治学者、科学者ら十数人を集めて秘密研究をし、1968年と1970年の2回に分け報告書をまとめていた。朝日新聞が入手したこの研究 報告書は、日本は

① プルトニウム原爆の少量開発は可能。

② だが、核武装すれば周辺国の疑いを招き、外交的孤立は必至。

③ わずかな核兵器で抑止力を維持するのは困難。

④ 財政負担も巨額。

⑤ 国民の支持が得にくい、などとして『核戦力は持てない』と明確に結論づけている。これは当時の佐藤栄作政権が打ち出した非核3原則を理論的に裏づけたとみられ、佐藤栄作首相も内容を知っていたと関係者は証言している」。

この経緯をみても、日本の核兵器開発は決してタブーだったわけではなく、核兵器開発について、具体的に「研究」を推進していたのである。

その「報告書」によれば、「核爆弾製造に関する問題点」として以下のように挙げられている。

「日本が核爆弾を製造する場合、核分裂物質としては現在、濃縮ウランの製造能力がないからプルトニウムを材料にするほかない。プルトニウムは今でも東海村 の原子炉で年間約100発たまるが、国際原子力機関の管理下にあり、軍事利用はできない。制約を無視するとしてもプルトニウムを核爆弾の素材とするには、 再処理技術が必要で、計画中のプラントが動き出す1972年以降まで不可能。かりにプルトニウム原爆をつくるなら、起爆法としてはインプロージョン(内方 爆圧)で、日本の技術水準から比較的容易に解決できると思われる」。

『“核”を求めた日本』(100ページ)には、当時の佐藤栄作首相のブレーンたちの本音がある。

「核兵器、あんなもの、つくろうと思ったらボロンてなもんや」

「だから能力はあるんだということですよ」

http://8005.teacup.com/suzan/bbs/1725

(6)口封じの歴史・高天原山事変編30 高天原山事変後の現場に急行した小平尚典<こひらなおのり>カメラマンが日本国内で命を狙われたのはなぜか?

「465.川上慶子さんは避難の為に渡米したのではないか?」で、小平尚典<こひらなおのり>カメラマンを紹介した。465はこちら

小平尚典<こひらなおのり>氏は、高天原山事変後の現場に急行したカメラマンである。

日本国内で命を狙われた為、米国に10年程度避難した。

彼が命を狙われた理由は、大本営発表のSTORYに反する写真を撮ってしまったから。

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↑画像:小平尚典氏の高天原山事変後の現場写真の中から「1ページ」だけトリミングコピーした写真<1230時事研修会 2015/09/06付け記事より >

http://1230jijiken.com/1167

2015年06月26日、小平尚典<こひらなおのり>氏の「日航123便御巣鷹山墜落事故写真集」の電子書籍版が発売された。

http://www.neowing.co.jp/ebooks/d/BTW10000000208408

1991年に刊行された「日航123便御巣鷹山墜落事故写真集」は、1999年に英国BBCで放送された「20世紀の報道記録写真」に選ばれた。

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す でに自衛隊の姿は視界から消えていたが、それでも上へ上へと登るうち、どうやら頂上近くまでたどりついた。ヘリコプターが飛んでいるのが眼下に見える。 「小平さん、煙!」。T記者の指さす方を見ると、うっすら何か立ちのぼっているのが見える。急いで300ミリレンズにコンバーターを付けてファインダーを 覗くと、文字が見てとれた。「JAL」。飛行機の翼だった......。(「20世紀の報道記録写真」あとがきより)

●小平尚典(こひら・なおのり)

フォ トジャーナリスト、メディアプロデューサー。1954年、福岡県北九州市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。1981年、新潮社「FOCUS」誌創刊ス タッフとして参画。日本写真家協会会員、米国海外特派員協会会員。早稲田大学理工学部非常勤講師。著書に『おやさと写心帖 MYファースト天理』『THIS IS NOMO』『シリコンロード』、共著に『神が創った楽園タヒチ ゴーギャンを辿って』『彼はメンフィスで生まれた』『アトランタの案山子・アラバマのワニ』『原爆の軌跡』『誰でもないもの』『そうだ、高野山がある』な ど多数。

(7)都民の読者の皆様へ

「467.福島原発周辺だけ濃霧が続いているのはなぜか?」の「(7)お礼とお願い」に書いてあるお願いについて、皆様のお力を頂けたら幸いです。よろしくお願い申し上げます。467はこちら