8 最終兵器プラズマ開発への警鐘

セスマの受け取った手紙の中には、地球人が軍備の分野でなしとげた進歩に対して警鐘を鳴らしているものもある。

このような「進歩」が、いつかは人類を滅亡に導くことになる、いわゆるプラズマ兵器※1の生産に行きつくものであり、この兵器は地球をいっきに焦土と化して生命をことごとく

抹殺してしまうほどの能力を持つものだ、と断言されている。

ユミットはある惑星からの無線メッセージを受信した。この惑星は2000光年の距離にあるのだが、彼らの宇宙論の基盤である「複数の宇宙」がとくに良好な状態になったところ

を利用して、二年かけただけでこの星にまで旅行できたらしい。

ところがいざ現地に到着してみると、この星は恐るべき兵器によって完全に自壊しており、表土はガラス状のものに変わっていたのである。

1975年にも、同じような警告がスペイン人たちのところに届けられた。

今度の情報はずっと詳しいもので、われわれがその後エネルギー放射システムと呼ぶことになるものについて述べられていた。

当時わたしは、『科学と生命』誌の編集部の連中や、編集長のフィリップ・クーザンとはまだ親密な関係にあった。1976年、クーザンはわたしにアメリカは今年が独立200周年だから、

取材旅行に行ってみないかと声をかけてくれた。

旅程に関してはわたしの選択に任せるとのことだったので、ユミットの手紙に出てきたプロジェクトに関係している研究所として、かの有名なLLL(ローレンス・リヴァモア研究所

ここでアメリカの水素爆弾がつくられた)や、ニューメキシコのサンディア研究所も組み入れてもらった。だがわたしはそこで発見したことに唖然としてしまったのである。

フランス国立科学研究庁の一介の研究員がこんな短期の旅行で、どうして重大なプロジェクトのことを知ることができたのだろうか? もちろん運も良かったのだ。

わたしはマルセイユ流体力学研究所のアルストロームという科学者とは、以前からの知り合いだった。

彼はこの研究所にいた六〇年代に、フランス初の気体レーザーを開発していたからである。わたしが今はリヴァモアにいる彼に会いにいくと、温かく迎え入れてくれた。

彼は「シバ」(Siva)プロジェクトを指揮していた。

一九七六年の春、リヴァモア研ではヤーメスと名づけられた装置が作動していたが、これには二つの強力なネオジウムレーザー※2が用いられている。

同じ時期にわれわれがヨーロッパで研究していたものに比べると、これはまさに怪物であり、広大なホールに数百メートルにわたって平行に並べられ、直径がほんの数ミリしかない

水素のつまったガラス玉の小さな標的に、正反対の方向からレーザー光が集中放射されている。

わたしはその場で生まれて初めてテラワットという言葉を耳にした。 テラとはギリシャ語で ″怪物のような″ という意味である。

ヤーメスの二つのレーザーはそれぞれが1テラワット、つまり100万メガワットの出力を持っていた。 これほどの強力さというものは、わたしには未だにピンとこない。

これは原子炉1000基が同時に運転したのと同じ出力で、同じ時間に地球上で生産される電力の出力の総和に等しい。それがすべてほんの小さな標的に集中されるというのだから。

エネルギーが特殊な被覆の上に蓄積されると、この被覆が外側と内側の両方に激しく膨張しはじめ、標的に含まれていた物質は、その間に想像を絶するほど圧縮されてしまう。

液体水素は圧縮できないとふつうは考えられているが、これが数千倍の密度になり、100万気圧に達するのである。

わたしはすぐさまアルストロームに言った。「つまり君は超新星を、実験室で再現しょうとしているわけだね」

「そのとおりです」

超新星においてガス層はヘリウムの融合により爆発し、膨張を開始する。その質量の大部分は宇宙空間に飛散するが、中心部だけは圧縮されてしまうのだ。

現代の科学ではこの部分は中性子星になるか、ブラックホールになるとされている。

もちろんヤーヌスの能力は、融合反応を誘発する条件をつくるにはほど遠い。

アルストロームは早くも「シバ」プロジェクトに取り組んでおり、こちらのほうは1テラワットのレーザーを24個も使う予定である。

わたしは建設中の建物を見せてもらった。どうしてアルストロームは、こんなに何でも見せてくれるのだろうか。

わたしには詳しい事情は分からないが、アメリカではよくあることなのだ。

ある分野で秘密を固く守り続けるかと思うと、ある日誰かが扉を開放して相手かまわず「これなんですよ」とやる。でなければ誰かがお喋りしてしまうのだ。

見学の後で、わたしは一年前からリヴァモアに研修に来ている、フランス原子力委員会のエンジニアと昼食をともにしたのを覚えているが、そのとき彼はこう言ったのである。

「わたしもそのプロジェクトのことは開いたことがあるけど。でも何だってあなたに見せたりしたのかなあ。

わたしなんか、その部局に足を踏み入れるチャンスは一度もありませんでしたよ」

旅行の後半は、ニューメキシコのアルブケルク近郊にあるサンディア研究所にも行った。

わたしを迎えてくれたのは、電子ビームによる核融合プロジェクトの責任者であるジエラルド・ヨナス氏である。ここでもわたしは、まったく新しい世界に目を開かされた。

研究者たちはレーザーの光エネルギーを、ネオジウムの注入された巨大なガラス塊に蓄積させていたのである。

サンディアの機械では、電気エネルギーを集積したシステムが、ごく短時間のうちにそれを放出する。三六個のエレメントが荷車の車輪のスポークのように配置され、

リヴァモアのものよりは若干大きな「輪心」の塊に向けて、30テラワット相当の力を集束させる。 ヨナスに言わせれば、鳩の卵※3ほどの大きさの塊なのだそうだ。

「集束には問題がありましてね。電子の束は標的に達すると、不規則な運動をおこす傾向があるんですよ。でもじきに解決が見つかると思ってます」と、彼は言っていた。

アメリカの研究者たちやヨナスによれば、ソ連の研究者も新しい機器をつかって莫大なエネルギーを一点に集束させ、標的を少しずつ小さくしていく実験を行っているのは

明らかだそうだ。

それではエネルギーの密度とは何か? それは単なる圧力※4である。

ユミットの手紙はこの超高圧競争にも明確に言及しており、それが物質の状態を大きく変えて、反物質にしてしまう可能性があると言っている。

臨界庄は一億気圧、という指摘もある。このような高圧条件は、極端に短時間ではあるが、すでに幾度となく実験室で実現されているのだそうだ。

逆転のプロセスが生じるためには、高圧が十分に長く維持されねばならないのだが、その時間は明示されていない。

リヴァモアの施設では、100万気圧は楽に達成できる。このような極限の条件を満たすには、これから先どのくらいかかるのだろうか?10年か15年か?

わたしには分からないが、何かが、つまり研究者の期待を大きく上回るような熱核融合が進行している徴候は、いたるところに感じられる。

それはなぜ重要なのだろうか? もしも誰かがこのようなやり方で、高圧状態を十分な時間維持し、「粒子を逆転させて」直接、反物質を合成することに成功すれば、

エネルギーの放出は同質量の物体に対する熱核融合よりも、一万倍も強力なものとなるであろう。

そうなればまさに世の終わりの、黙示録的光景が出現することになるのだ。

わたしはサンディアでヨナスと過ごした時のことを、今でもありありと覚えている。彼は後に人が「スターウォーズ」※5と呼ぶことになるものについて話してくれた。

エネルギーを手玉にとるようにして、何千キロも離れた核弾頭ほどに小さな標的を射とめることの可能な殺人光線や、粒子ビームのことを話してくれたのである。

これがすべて1976年のことなのだ。

わたしはフランスに帰国すると、現地での見開の一部始終を報告書にまとめた。

アルストロームに頼みこんで、.リヴァモア研のレーザーのカラー写真のネガも預かってきたのである。

『科学と生命』誌の編集長は、雑誌に掲載する段になるとわたしの言うことは頭から信用せず、おかかえの記者にわたしの論文を書き直させた。写真は紛失してしまった。

わたしはフランスに長期滞在中のウラジミール・アレクサンドロフというソ連人と知り合い、お互いに好感をもってつき合いはじめた。

彼や、昔からの友人でレーザーの専門家であり、ヴユリコフ※6の元同僚でもあるウラジミール・ゴルーベフのような他のソ連人研究者とも、思い出したように手紙のやりとりを続け

ていた。ときには学会で顔を合わすことがあり、比較的自由に討論もしていた。

1983年には、MHDの第八回国際学会出席のためモスクワに行く機会が巡ってきた。わたしは二つの論文※7を提出して受理された。

そのうち日本の側壁加速器について論じているほうは、『科学と生命』誌の1991年四月号にも掲載されている。

わたしはアレクサンドロフに手紙を書き、確実に着くように十分な時間的余裕をみこんで投函した。

そして大会二日目には講演会場の入口近くでちらりと顔を合わせることができたので、われわれはあまり近づかぬようにして歩きながら、人に開かれないで話のできるところを探した。アーケード街のなかにあるベンチに腰かけたが、目の前の大きなホールには1メートルあまりの背丈の、鶏のブロンズ像が立っていたのを思い出す。

それは鉄塔の上にとまって羽根を広げ、時を告げる鐘が鳴ると金属の羽毛をきしらせるのであった。

アレクサンドロフは流体力学が専門の気象学者で、地球上での核戦争の勃発によって生じる影響について、数年前から関心を抱いていた。

怪物じみた強大な兵器※8を爆発させてからもう数十年が経とうとしているが、北半球で数千もの核弾頭が同時に爆発したらどんな結果が生じるのかについて、彼以前には誰も真剣に

考えた人はいない。

地表もしくは地中で(原子核融合反応による攻撃では地下のミサイル格納庫が優先目標となるから、大部分はこれだ)爆弾が破裂すれば、衝撃地点には直径がミクロン単位の極めて

微細な塵が発生するだろう。

高温の「火球」から出る強烈な衝撃波もしくは放射は、生命あるものを根こそぎにしてしまい、過去の核実験のときと同じように空気の吸引を引き起こし、この粉塵を大変な高度に、

成層圏にまで舞い上がらせるであろう。

粒子があまりに微細なので、核実験の際に確認できたように、これが地表に降下するまでには6カ月から18カ月くらいの、非常に長期間を要することになろう。

アレクサンドロフは、数千メガトン程度の核攻撃によって上空の大気に散乱する粉塵の量を推測した後、モスクワの計算センターにあるBESMI6コンピューターを使ってこの現象の

影響を算定した。

われわれの話し合いから一年半ほどしてから、アメリカでは映画も発表され、この種の問題についてしばし公衆の注意を引くこととなった。

タイトルは『ザ・デイ・アフター』というものである。

この映画を見た人ならきっと、街が黒ずんだ瓦礫の山と化し、血にまみれた人々が叩き、放射能の「雪」のようなものが空から降ってくる強烈な場面を覚えているだろう。

だが現実にはこの程度ではとてもすまない、とウラジミールは言っているのだが、われわれとしてはそんな悪夢が現実のものとならぬよう願うのみだ。

アレクサンドロフの計算によると、この粉塵層は実質的には太陽光を完全に遮断してしまうことになる。最初の頃は、地表に到達する光は400分の一にまで減少する。

つまり核攻撃にさらされた地域で最初に出現する光景は、ほとんど真暗闇に近い、核の夜なのだ。

湾岸戦争で油田が炎上したときも煙が風に乗って、クウェート人は似たような夜の間を味わっていた。真昼間から、ただ時刻を知るためにだけでもランプを灯さねばならなかったのだ。

アレクサンドロフの計算では、たったの二週間で北半球全体は粉塵の層で覆いつくされてしまう。それにともなって平均15度は、気温が急降下する。

攻撃による莫大な人的物質的損害や、舞い降りた粉塵の生物への影響は別としても、光がなければ植物は全滅するしかなく、もちろん収穫はゼロになってしまうだろう。

成層圏に浮遊する粉塵がすべて地表に戻り、光が少しずつもとの状態に戻るためには、長い月日が必要となる。

「でも、もっと限定された、ほんの数百メガトン単位の核戦争もありうるんじゃないですか」とわたしは開いてみた。

「いや、攻撃は大量攻撃しかないんだ。いざという場合には敵のミサイル格納庫が第一の標的になる。反撃を迎えるには、これをあらかじめ全部叩いておく必要があるからね。

攻撃を受ける側としては、一斉射撃で迎え撃つしかないだろう。それも攻撃側の一斉射撃を長距離レーダーで探知したら間髪をおかずにね。

やられないうちに※9やらなくちゃ仕方がない」

「どうしてですか、二回目の攻撃でもだめですか?」

「だめだね。ミサイルが命中すれば、大気中には大量の粉塵だけならまだしも、とてつもない量の破片が舞い上がって、数十キロ先まで散乱するんだから。

いくらミサイルで反撃しても、そんなところをくぐり抜けられっこありませんよ」

「つまり、なんですか、敵を制圧するにはミサイル格納庫を破壊してしまうか、でなけりゃ少なくとも一定の期間は何も通さないあられを戦場の上空に広げて、敵がミサイルを使

えなくするかなんですか」

「おおざっぱに言えば、まあそんなところでしょうな。計算のときは、爆発で町や森林に大規模な火災が発生することもちゃんと考慮しておいたし。

その結果というのが、まったく狂気じみたものでね。

成層圏では粉塵で太陽の光の大半が遮られてしまうけど、低いところや中間くらいの大気層の、高度約2000メートルのあたりでは、煙が残留エネルギ-を吸収するでしょう。

そうなったら最後、大気は下のほうでは冷たいし、上のほうでは熱いままでぴたりと安定してしまうんだ」

「そうなると天井暖房みたいなもので、地表の水分は暖かい空気に吸収されてしまうわけですね」

「海洋の気温が低下するところもあるかもしれないけど、そうなると今度は沿岸地域で気圧の差が激しくなって、今まで見たこともないような、強烈な熱帯低気圧の嵐が吹きまくる

ことになるだろうなあ」

この日アレクサンドロフは、同僚のステンキコフと共著でモスクワ科学アカデミーに発表したばかりの論文を一部わたしにくれた。

帰国したらフランスで、この仕事を他の人に知らせてほしいと言うのである。

わたしとしてはできる限りのことはやってみたが、またしても科学ジャーナリストたちのうさんくさげな目つきと闘わねばならなかった。

『リサーチ』誌が二人のソ連人の業績に基づいた、「その翌年」という論文の掲載を決めたのそれから六カ月も後のことであった。

さまざまな核兵器のプロジェクトをめぐつて、話はさらに続いた。アレクサンドロフは、自分の知っている兵器のことを話題にした。

たとえばEMP兵器は、高圧下での熱核反能を一挙に爆発させるもので、極めて強大な嵐を巻き起こすから、敵の地表にある電気やエレクトロニクスの施設を破壊することができる。

他にも成型炸弾(爆発ガスを一点に集中させたもの)じたての水素爆弾とか、電磁気収束爆弾とかの詰も出た。

アレクサンドロフは「スターウォーズ」に備えたソ連側の軍備に通じていたのである。

とはいえ「べつのもの」もあった。地下の熱核反応実験※11では、一種の怪物が唸り声を上げはじめているのだ。

スペインに届けられたユミットの手紙は、この分野においてはアメリカが突出しているとして、その詳細を語っている。

アメリカのプロジェクトは、DSP32(防衛支援計画32)のコードネームで呼ばれている。どうやらアメリカ人は、熱核反応の爆発物と自動磁気隔離システムによって信じられない

ような超高気圧をつくり、初の反物質をつくり出したようなのだ。

そしてこの手紙に従えばソ連も、超伝導の分野における遅れが大きな障害になっているとはいえ、同じ道を歩んでいるのだ。

アレクサンドロフには自分の研究を進めているうちに、やはり反物質兵器にかかわる極秘の研究をしているグループから、匿名で情報提供があったそうだ。

何人もの人が、おそるべき作業に専念している良心の呵責※12を少しでも軽くしたいと思っていたのだ。

アレクサンドロフは、「想像を絶するようなことも知っているんだけど、どうしても思い切って口に出せないんだ」とも言っていた。

ユミットは二大超大国のどちらの味方でもなかったが、手紙は詳しいところまでかなり正確なものだ。

たとえばソ連のアフガニスタン侵攻作戦では、何の痕跡も残さないで脳細胞を破壊することができるガスが使用されたそうだ。

アメリカのほうは、400人の南米人に特殊キャンプで拷問の仕方を訓練し、ターボクラリナという、肉体にはまったく痕跡を残さずに激しい苦痛を与えることのできる薬品の使用法を

教えこんだらしい。

「人類はほんとに気が狂ったのだと思うよ」と、アレクサンドロフは最後に言った。

彼には計画があるのだそうだ。全人類の脅威となるあらゆる兵器の、地獄のように恐ろしい危険を警告するために、言わば十字軍となってキャンペーンに出かけるのだと言う。

彼はほんとうに行動を開始したのだが、1985年マドリッドで客死した。事件に関心を持った人は、ほとんどいなかった。

死亡当日したたかに酔っていたとして、彼の人間性を敗めようとした新聞記事もいくつかあった。ところがアレクサンドロフは、からきし酒が飲めないのである。

となると麻薬を打たれたに違いない。

われわれは彼のヨーロッパの友人たちとコンタクトを取って、事件をもっと詳しく知ろうとした。

ところが彼はほんとうは殺されたのだという重大な情報が、元スペイン秘密警察で『アクチュエル』紙の記者であるゴンザレス・マタからもたらされた。

アレクサンドロフは、夜半にホテルの前で拉致されたに違いないのだ。彼は身を守ろうとしたが、メッタ打ちにされた。

数人の売春婦がこれを目撃しているし、車が息絶えた体を運び去った後に、地面には鮮血が滴り落ちていた。

マタの話によると、スペインの秘密諜報部員が一人、事件の究明に乗りだしたらしいのだが、どうやら彼は駐車場で死ぬほど殴打された模様である。彼は声を落として言った。

「わたしの言うことを信じて、この件には深入りしなさんな。あんたがたは素人だ。これは深刻な事件で、仕事を片づけたのはその道のプロなんだから」

ソ連はその数カ月後、軍備縮小の提案を強化してきた。ソビエトの外務大臣が鉄の女サッチャー首相を訪問して、手遅れにならぬうちに軍備を後退させるよう、アメリカを説得

するのに協力してほしいと申し出た話を思い出す人もあるだろう。

八〇年代の半ばには、ユミットの手紙はしきりに緊張の極に達した状況※13に触れている。

このような出来事には、二重の意味を読み取ることができよう。

たとえばDSP32と呼ばれる、反物質に関する有名なプロジェクトのことを書いた手紙が届いたちょうどその頃、レーガン大統領は技術者が調整中だったマイクに向かって、

かなり奇異なことを言い放った。

「わたしは一瞬にしてソ連を世界地図から消し去ってし享えるほどの爆弾プロジェクト協約に、今サインしてきたところです。爆撃は五分後に開始されるでありましょう」

たしかにお世辞にも趣味が良いとは言えない冗談だが、意味深長な言葉ではある。軍拡競争は洋の東西を問わず、単なる政治上の問題であったためしはない。

戦後はずっとこれが、金儲けと結びついた偏執狂のなせるわざであった。

軍需産業のロビイストの連中ときだら、貪欲で、非常識で、人の意見なんか、はなから開く耳を持たないのである。

研究者は研究者で、現実から完全に遊離してしまっているから始末に負えない。

サハロフは政治権力に向けては「施設」というコードネームで呼ばれるソ連の核実験センターが、次第に独り歩きしていく危険を告発する際に、この間の事情をはっきりと説明している。

1979年以降は、ユミットの手紙でもこのような状況が見事に分析されており、懸念は募るばかりである。

ゴルバチョフは、軍備縮小の目覚ましい動きを側面から強力に支援した。地下実験を自主的に凍結してから、アメリカにもそうせよと迫ったのである。

地球を貪り喰いかねない怪物が成長する危険を見かねてのことである。

スペインに届けられた手紙に従えば、これこそ「プラズマ兵器」の効果に類似したものであった。

爆弾とはまず何よりも、一定量のエネルギーの急激な集積である。原子爆弾の場合、全エネルギーの90%がⅩ線となって放射されるため、大気が極度の高温となって、

いわゆる火玉が形成される。

広島の原爆のときは、100メートルほどのものだったと思う。 水素爆弾だと、火玉の直径は数キロにも達する。

この白熱する球体が衝撃波を伴ってものすごい勢いで拡張することで物理的破壊力を生みだし、さらに熱放射で周囲の物をことごとく焼き尽くしてしまうのだ。

「プラズマ兵器」の場合、火玉は10万度の高温に達し、直径数百キロ規模のものになるから、地表はことごとくガラス化されてしまうだろう。

衝撃波は地球を何周かして、攻撃されたほうもしたほうも区別なしにすべてを破壊し尽くすのだ。

ユミットは、自分たちがこれほどハイレベルのテクノロジーを獲得するずっと前から、最低限の地政学的安定に達していてほんとうに良かったとまで言っている。

絶望してどうしたらいいのか教えてほしいという接触者たちには、彼らは次のように答えるのが常であった。

「地球ではまさにテクノロジーの消化不良に苦しんでいる。 あなたがたが持っているテクノロジーを適切に使うことができれば、ほとんどの問題は楽に解決できるはずなんだけれどね」

それにしても、軍備縮小の動きは本物である。ソ連が態度を一変させた第一の原因は、公式にはソヴィエト連邦の経済的崩壊だとされている。

1987年から88年にかけてのユミットからの手紙には、別の解釈が示されているから、せめてその内容を紹介しておこう。

どうも両大国の高官たちが居並ぶ前で、何か劇的な実験が行われたらしいのだ。

その目的は第一に地球外知的生命の存在を認知してもらうためであり、

第二にはこの宇宙を超えてやってきた訪問者の科学テクノロジーが、いかにハイレベルにあるかをデモンストレーションして見せるためであった。

いくつかの専門誌には、大西洋のクワーレン環礁のことが取り上げられている。

ミサイルで、多弾頭核ミサイルを使うには、仝弾頭がまったく同じ瞬間に、1000分の一秒単位の精度で着地しなければならない。

化学反応による爆薬を積むのであれば、そんな問題はない。 飛行機が爆薬入りの弾を次々に目標に向けて投下する場合には、最初に着弾したものが残りを爆発させるのである。

これが核弾頭だと、ひとつでも先に爆発してしまえば、他のものは核融合や核分裂を起こさないうちに全部破壊されてしまう。

典型的な標的はミサイル格納庫群だから、ロケットの最終段の「バス」が焼弾をまき散らす。爆弾は複数の弾頭を同時に発火させ、破壊力を最大限にするために地表すれすれ、

もしくは直接地中に達するように、正確無比に操縦される。 その瞬間のミサイル弾頭の写真が手もとにある。それはじつに見事なものだ。

空には空気が圧縮されて出来た縞が何本もきちんと平行に走り、どれもほとんど同じ高度のところで消えている。

クワーレンでは弾頭の復帰をコントロールする、アメリカ側の実験が行われていた。もちろん弾頭は空である。

ところがUFOが現れて、弾頭が着弾する寸前のところをいくつか持ち去ってしまったそうなのだ。これを目の当たりにしては、一番保守的な軍関係者も考えこまざるを得なかった。

ソ連では周知のようにUFOの出現がこのところ相次いでいる。

二年前にわれわれは、ヴオロネージャの町のUFOが飛来し着陸したのを目撃した子供が描いたスケッチをたまたま見る機会があった。

その絵にはユミットの手紙には必ずついている紋章印が、はっきりと描かれていたのである。

1989年にスペインに届いた手紙には、それがまさしくこの探検隊の取った行動である旨が言明されていた。

軍備縮小の努力をなお続ける必要があることを、ソ連の指導層に再認識させるためなのだそうだ。

今後このような努力は恐るべき原潜を含め、あらゆるタイプの核兵器に対して行われるだろうとある。

なるほど、

「タイフーン」級の潜水艦がまさしくレヴァイアサンであることはよく知られている。これは東側にも西側にも配備されており、まったくもって恐るべき破壊力を秘めている。

『レッド・オクトーバーを追え』という、映画にもなったすばらしい本があるが、その中にもこの潜水艦が出てくるのである。

結論はどうすべきだろうか?

ソ連の経済崩壊はまぎれもない事実であり、この国が軍事プロジェクトに莫大な費用を注ぐのをあきらめた理由は、なにも地球外知的生命との接触を口実に持ち出さなくとも

十分にそれで説明がつく。

専門家の中には、アメリカはソ連を軍拡競争に絶えず追いやりながら、その責任はソ連側になすり付けていたのだから、これでやっと目的が果たせたことになり、少なくとも

その意味では歴史上の第一次経済戦争に勝利したのだとする人もいる。

ソ連の脅威ということについて西側は、この数十年というもの誇大宣伝をくり返して洗脳にこれつとめてきた。

大雑誌の見開きカラーページに、ヨーロッパの比較的地味な武器庫に対峠するようにして、ソ連の潜水艦やミサイルの圧倒的な軍備が、赤い星が刻印された恐ろしげなカーキ色を

永遠に誇示している場面が載ったのを誰が忘れようか。

なのに潜水艦の大部分には、昔ながらの推進装置しかなく、音もうるさいので探知するのも簡単なのだ。

たしかにソ連人とて世間知らずのお人好しではないが、それにしても西側のこのような紹介のしかたは、基本的にはインチキである。

アメリカ人は情報工学のマスターであり、パターン認識と人工知能の世界チャンピオンだから、パーシングのようなミサイルにレーダーの眼をつけてコンピューターと連動させ、

記憶したイメージに対応する標識に80メートルの精度で狙いをつけさせることができる。

これがソ連製となると命中精度が四分の一に落ちるから、同じ破壊力を得るには一六倍も爆発物を充填しておかねばならないのである。

ソ連の軍事能力については、ドイツ青年マチアス・ルスト君の奇想天外な冒険を思い出していただきたい。

ごく単純な軽飛行機で探知システムをすり抜けた彼は、何事もなかったかのような顔で赤の広場に着陸して見せたではないか。

二大超大国は1975年以降、反物質兵器保有競争に乗り出していたのだろうか?。

ゴスプナーが新事実を明らかにして以来、そう考える人は沢山いる。いずれにしても軍備の内実が大きく変わるのは間違いない。水素爆弾の威力がどれほどのものであれ、

これが永久に破壊の切り札であり続けるはずもないのだし、反物質兵器は一万倍も強力なのだから、これがメインとなるのは理の当然である。

ゴスプナーが『リサーチ』誌に発表した論文の中では、最初の方法を取りあげているが、なにしろ理論上は用いられた仝質量がE=mc^2の方程式に従って、等量の物質と相殺の

プロセスを経てエネルギーに変換※14されうるわけだから、この世界でもっとも危険な製品を合成する方法を含め、他にも方法はありうるし、あるにちがいない。

それよりもっとショッキングなのは、ユミットの手紙が「スターウォーズ」を引き合いに出しながら、1975年から79年にかけて流布させた情報の質の高さである。

この手紙の著者が誰であろうと、この種の問題にはよほど精通していたことになる。

※1 原子が電離したガス状態をプラズマという。とくに、超高温で電子をはぎとられた原子核が、裸で飛びまわっている状態をいう。

※2 レーザーの一種で、ネオジウムの結晶を使っているもの。波長が約一マイクロメートルのレーザービームを発する。

※3 このような装置の詳細は、八年後に科学雑誌に初めて公表されることになる。その一例としては『サイ工ンティフィツク・アメリカン』のフランス語版である『科学のために』

Pour ia Science1979年1月号、第15号に掲載された、ジエラルド・ヨナスの論文を参照のこと。

※4 圧力は単位面積当たり(m^2)の力(N)の尺度と普通には考えられているが、次元的見地からすれば、これが単位容積当たり(m^3)の力(ジュール)であることくらい、

物理学者にとっては常識である。

※5 正式には戦略防衛構想(SDI Strategic Defense Initiative)と呼ばれ、1983年3月にアメリカのレーガン大統領が提唱した。

レーザー光線などの先端技術を駆使して、本土到達前に敵のミサイルを破壊するという弾道ミサイルの防衛システムとして研究開発の構想がスタートしたとされる。

※6 ヴ工リコフは昔から旧ソ連首脳部における重要人物である。最初は核融合の研究をしていたのだが、やがてMHD研究の中核となり、現在ではソ連科学アカデミー副会長であり、

防衛、特に「スターウォーズ」構想のソ連版に関するプロジ工クトの責任を兼ねている。これはソ連ではそれほど奇異な事ではない。

そのうえこの人物は、核軍縮に関してはゴルバチョフの最も頼りがいのある側近の1人であった。

※7 これらの論文は巻末の資料に掲載されている。

※8 これまでソ連国内で実験が行われた水爆は、せいぜい40から60メガトン程度のものと見られていた。ところがサハロフの「回想録」には100メガトン規模のものが

彼の指導で数回ほど実験されたとある。これは広島に落とされたもののじつに八万倍もの規模になるのだから、まったくもって恐ろしい話である。

この「回想録」で注目すべきは、爆弾は飛行機から投下されたとサハロフがはっきり言っていることだ。

となればこれは完全に実戦配備が可能で、ミサイルにも搭載できることになる。

※9 これはアメリカのガーウィンが考案した、敵の攻撃に対する迎撃戦略である。アメリカが攻撃された場合は、アメリカ全土のミサイルは、観測衛星によって数百キロの海中にある

ソ連の潜水艦から発射されるミサイルを探知し、その四分後にはいっせいに発射される手はずになっている。

※10 正常な状態では地球の大気は太陽光を透過させ、日中は土壌が暖まる。低空の大気は過熱して舞い上がり、上昇気流を生み出す。

これはグライダー愛好家にはよく知られるところである。大気が極端に安定してしまうと状況は逆転し、自然の対流はもはや生じない。

※11 アンドレイ・サハロフの研究書を見ると、彼がメガトン級の地下核実験を断念したことが分かる。ベトラトロンタイプのシステムと核爆弾を結合させると、5000テスラにも達する

磁場が形成されることになるが、これは100メガバール気圧に相当するものである。また、サハロフはソ連版MHDの父とも称されるべき人である。

※12 科学者が「神経的に参ってしまう」ような状況に陥ることもままある。科学者だってただの人間なのだ。

1985年2月、高エネルギー物理学者のゴスプナーは軍事目的の反物質を製造するために、CERNの素粒子加速器が濫用されているところを目の当たりにしている。

彼はある日突然ガンに冒されたことを知って「物思い」に沈み、とうとう雑誌『リサーチ』La Recherche誌上に公表した。

このようにして反水素として製造された反物質を単純極まりないやり方で水晶の中に貯蔵し、水晶の電子によって陽電子を消滅させ、マイナスの反粒子を静電気的に閉じ込めて

おく方法があることを暴露したのである。それ以来反物質兵器のアイデアは、俄然具体性を帯び始めた。

今日では核軍縮のために皆が努力する中で、この種の兵器に対する関心も薄らいでしまっている。

※13 ユミットの以前の手紙では、1967年と1974年に一触即発の核戦争の危機があったことになっている。

もちろんこれは確認のしようがない話だが、頭から否定してかかれるようなことでもない。リベラの著書にも説明があったように、ユミットはスペインのグルドス山脈に、

70人の選ばれた人々を18カ月問、外界から完全に遮断された状態で収容できる核シェルターを建造したと言っている。現代のノアの箱舟ということだろうか。

※14 もっと具体的に言えば、400グラムの反物質は、世界の主要大国がこの十年間に蓄積した熱核融合エネルギーの総和に相当するものだ。