0200 仏さま
第二集から
(題) 仏さま 久保ふさ子 大正十年生まれ(奈良県)結婚相談
八十八歳の義理の父は、米寿のお祝いをしてから暫くして、トイレに行く途中に時々、廊下を汚すようになり、そのうち、段々回数がひどくなり、
足もとがおぼつかなくなったため、ポータブルトイレを買って寝室に置きました。
最初の間はそれで良かったのですが、段々一人では出来なくなり、私が手伝うようになりました。
その頃から、奇異な行動が目につき、汚物をもてあそび、衣服や寝具、畳にまで汚物をまき散らしたり、しまいには塗り付けるようにもなり、毎日、洗濯、掃除に追われました。
元来、口数の少ない義父でしたが、ますますものを云わなくなり、孫の名前や顔さえも分からなくなりました。 痴呆が始まったのです。
一時も目が離せなくなり、私は、ついに来るべきものが来た感じで、覚悟せざるを得なくなりました。
以前、お世話になった医院の先生に、往診をお願いした所、「完全に老人性痴呆です。気長にお世話をしてあげなさい」と言われました。
私は、三年間自宅で続けていた点字奉仕の仕事を休ませていただき、義父の看病に専念致しました。
だんだん足が弱り、部屋の中のトイレに立つ事も出来なくなり、ついに寝たきりでおむつをするようになりましたが、これがまた大変で、少し油断をすると、おむつを外して、
畳の上にポンと放り出してあるのです。
大便も小便も、いつ出るか分からず、寝間着は直ぐに濡れてしまい、着替えをして洗濯をして、部屋に戻って来ると、もう汚しているのです。
そんな毎日を繰り返していると、泣きたくなる日もありました。 食事は何でもいくらでも食べられました。
かわいそうに、何を食べているかも分からず、と云っても、食べる事にのみ、意欲を燃やしている義父は、人間の本能か、生き甲斐か、何も言わずに、ただ、食べるだけでした。
人間のはかなさ、みじめさを見せつけられて、悲しくてなりませんでした。
私も障害者で足が不自由でしたので、何とかして無駄な動きをせずに、長期戦に備えねばと、いろいろ工夫をしておむつを外されないように、結び目を堅くするのですが、
いつの間にか外して放り出してあるのです。 おじいちゃんは知らぬ顔をしています。
それからは時間を決めて点検する事にしました。 二時間毎におむつの点検、少し遅れると後の祭、大便は一日に一回か二回、小の方は幾度となく出ますので、おむつの中で
更にビニールの袋を結びつけました。 その点検を頻繁にやりました。
それで衣服の汚れを大分、防ぐ事が出来ました。 洗濯の量も大分少なくなりました。
夏場は良いのですが、雨の日や寒くなって来ると乾かなくて困りました。 そのころはまだ乾燥機もありませんでした。
義父はおむつの中に手を入れようと、必死になるのです。 それを止めさせようとすると、私の手をパチンとたたくのです。 おむつをするのが気に入らない様です。
「おじいちゃん、おしっことりましょうか」と、言っても知らぬ顔をしています。全く赤ちゃんの様です。
汚物で遊びたい様ですが、それはさせられません。 汚れた手で顔までなで回し、洗っても匂いがとれないので困るのです。
おむつの点検と食事の世話、家族の食事、洗濯、掃除、来客の対応、全く目の回る様な毎日でした。 もちろん夜も、おじいちゃんの横に、布団を敷いて寝るのです。
おじいちゃんが一寸動くと目が覚めます。 夜中に二、三回ビニールの袋を取り替えるのです。
日がたつとだんだん上手になりました。 あまり汚さなくなりましたが、油断をしているとやられてしまいます。
おじいちゃんの手を縛ろうかとも思いましたが、それはかわいそうで出来ませんでした。
おじいちゃんが寝付いてから、ちょうど一年が経ちました。 二度目の夏が巡ってまいりました。 私もくたくたに疲れました。 身体が不自由ですので、余計疲れる様です。
起き上がれない日がありました。 主人や子供に手伝ってもらうのですが、それぞれ勤めの有る身、仕事に差し支えてはと、極力、私がするようにしましたが。
主人も見かねて、何処か預かってくれる病院は無いかと、特養にも掛け合ってくれましたが、義父の場合、付添婦を付けねばならず、費用の点やいろいろ、とても経済的には
続きそうになく、親戚にもすがってみましたが、皆それぞれ生活が手一杯で、こんな世話のかかる病人をあずかってくれる所はありませんでした。
ただ一人、主人の妹が遠方に嫁いでいましたのが、最後の親孝行になるかも知れないから、しばらくあずかってみようと言ってくれました。
娘だったらと安心して、その厚意に甘える事になり、明日、車で迎えに来てくれるという前日、荷物の準備をしていますと、修行僧が見えられて、門口に立たれました。
報謝に出ると、そのお坊さんは、「奥さんは大きな悩みをかかえておられますね。右か左か、大変にまよっておられますね」と言われたので、私はびっくりしました。
私の悩みが分かるとは、大変な修行をされた方だと思い、簡単に事情を話しました。 すると即座に、
「おじいちゃんを家から出してはいけません。 今までの奥さんのご苦労が水の泡になります。 一生、後悔が残ります。 もうしばらく辛抱しなさい。
そして今までと違う心でお世話をしなさい。 お父さんはもう人間の心を失っておられます。 人間ではありません。 仏さまです。
仏さまに仕える心で、毎日手を合わせてお世話をしなさい。 必ず変わった事が見られます。 お父さんは必ず満足して、成仏されるでしょう。
その後の奥さんは、後悔も無く、爽やかな一生を送る事が出来るでしょう。 もう一息頑張りなさい」 と、言われました。
私は恥ずかしくなりました。 おじいちゃんを憎らしく思った日もありました。 嫌だと思った日もありました。
今、ここで、修行された方に、心の底を見透かされた思いで、本当に恥ずかしくて、申し訳ない心になりました。
私も及ばずながらも信仰させていただいている人間です。
「有難うございました。必ず、そうさせて頂きます」と心からお誓いさせて頂きました。
それから早速、明日迎えに来てくれる方に断って頂きました。 そして、おじいちゃんに心から詫びを致しました。
「おじいちゃん、堪忍してね、おじいちゃんを他所にあずかってもらおうなんて思って。 でも、もう決して、おじいちゃんを他所へはやりません。
私が最後までお世話をさせてもらいます。 かんにんして下さい」と叫びました。
涙があふれてきました。 私は行き届かぬ嫁でした。 自分が精一杯やっていると思い上がって、私の真心など、ちっとも、こもっていなかったのだと、心から懺悔しました。
涙がとどめなく頬を伝いました。 おじいちゃんは相変わらず何も言いませんでしたが、私には仏さんに見えました。 手を合わせて拝みました。
それから心をとり直し、いろいろ集めて作った荷物を方付け、夕食になりました。
例によって、半身を起して夕食を食べてもらいました。 食事が終わると驚きました。 「ごちそうさん」おじいちゃんの口から言葉が出たのです。
今まで一度も言われなかったことを、おじいちゃんが、たった一言、それだけ言ったのでした。 頭はかなり痴呆が進んでいるのです。
それだけではありません。 おしっこを取ってあげると、「ご苦労さん」とはっきり聞こえました。
私は空恐ろしくなりました。 思わず手を合わせました。 おじいちゃんと思って、不満に思ったり、腹を立てたりした事が申し訳なく、ただただ悔やまれました。
仏さまだったのだと、真実そう思いました。 おじいちゃんの顔が一変して、円満な、にこやかな顔になりました。
それからは、本当に手を合わせてお世話させて頂きました。
あんなに疲れて苦しかった私は、うそのように元気になり。「ごちそうさん」ご苦労さん」の声が毎日聞けるようになり、私も心からお世話が出来て、楽しい日が流れました。
もう汚される心配も殆どなくなりました。 熱い湯で身体を拭いても、「おおきに、ご苦労さん」と言われて、びっくりしました。
こうした日が続き、秋も過ぎ、師走の候となりました。 暮れも押し迫った土曜日、久しぶりに小春日和の穏やかな日でした。 主人が半休で、お昼に帰って参りました。
珍しくおじいちゃんに、昼ご飯を食べさせてくれました。 私もお茶を持って行ったりして、二人でおじいちゃんのことを話していました。
ご飯を半分食べた時、急にむせ返り、喉がつまり、あわててお茶を飲ませようとしましたが、お茶も飲めなくなり、あっという間に息を引き取りました。
あっけない最後でしたが、苦しみも無く、九十才の天寿を全うした大往生でした。 床に就かれて一年半、長い様で過ぎれば短い日々でした。
あれからちょうど十七年、法要も過ぎました。
今も当時のことが鮮やかに思い出せます。 私は貴重な体験をさせて頂いて、本当にありがたいと思います。
修行のお坊さんに出逢わなかったら、私は一生、後悔の日々を送ることになったのでしょう。
身体は不自由ながら元気に、見守って頂き、少しでも社会に貢献出来たらと、結婚相談を始めて十四年、まだ百組には届かないですが、幸せなカップルが育っていきました。
人間は、日頃の心使いが如何に大切か、感謝の日々を送らせて頂いてます。
合掌。