14シオン長老の議定書の誤謬を衝く
議定書 「偽書論」 の誤謬を衝く
『シオン長老の議定書』は、聖書についで全世界で広く読まれている書物かもしれない。
1903年にロシアで出版された同書は、「ユダヤ人の世界支配」のマスタープランを暴露したものだとされる。 本来ならオカルト結社の秘密学習会で読まれる類の本だ。
ユダヤ原理主義者とナチスは形態は異なるにせよ、激しい反ユダヤの立場と民族抹殺を目指している点で一致している。
もっとも、知らない者も多い秘密結社の謀略の責めをユダヤ人全体に負わせるのは酷というものだろう。ユダヤ人の大多数は、たとえそのようなマスタープランが存在すると考えていても、自分は無関係だと言うに違いない。
あらゆる人種差別と民族抹殺を口をきわめて批判している人のなかにも、議定書が本物だと信じている者はいるかもしれない。
ただ、私自身は、反ユダヤの同一視はマスタープランから注意をそらす策略だとにらんでいる。
議定書が剰窃(ひようせつ)だという主張も、学術界やメディアの協力者(無意識に関わっている人も含む)によるプロパガンダだ。
頑として偽書だと主張する人々への反証
『シオン長老の議定書』が偽書であり、オフラーナ(帝政ロシアの秘密警察)が反ユダヤを煽って革命家の信用を失墜させるためにでっちあげたものだと「すでに証明されている」と頑として主張する人々がいる。
しかし、その「証明」に説得力があるとはお世辞にも言えない。根拠とされているのは、1921年8月16日から18日にかけて『ザ・ロンドン・タイムズ』に掲載されたフイリップ・グレーヴズの記事だ。
グレーヴズは『議定書』が、モーリス・ジョリーが1864年に著わした『マキヤヴユリとモンテスキユーの地獄における対話(Dialogue in Hell Between Machiavelli and Montesquieu)の各章を荒っぽく剽窃したものだと主張した。
ジョリーの著書は当時入手不能だったので、このような主張は誰にでもできた。
ナポレオン三世の治世下で、警察が出版直後に回収してしまったのだ。 だが現在は、回収を免れたものが見つかっている。二冊を比べてみることにしよう。
私見では、二つの本は文体も内容も、目指している主題も完全に異なっている。また、『対話』は全140ページで、『議定書』の二倍の長さだ。
その大部分は『議定書』にはまったく出てこない。
グレーヴズの主張の最大のポイントは、『議定書』の一部のくだりや言及内容が『対話』から取ってきたものだというものである。 そのような箇所が50はあると主張し、10あまりを示している。
これらは確かに驚くほど似ており、実際に剽窃があったことは疑いようがない。
グレーヴズ自身も「剽窃を隠そうという意図が一切感じられないことに驚いた」と言っている。 しかし、私は『議定書』ではなく、ジョリーのほうが盗用したのだとみる。
『議定書』に書かれた陰謀は 「数百年前」からあるとされており、『対話』の1864年より前である可能性が高い。
ジョリーは『議定書』のことをよく知っていて、不評だったマキヤヴユリの権威主義的立場を肉付けするために借用し、ナポレオン三世に当て付けたのだ。
ユダヤ人のジョリー(本名ヨセフ・レヴイ)はフリーメイソンの終身会員で、『議定書』の文書の出所である「ミズライム・ロッジ」に属していた。
ジョリーは、ユダヤの支援を受けていたレオン・ガンベッタ政権で大臣を務めたこのロッジのトップ、アドルフ・クレミユ(イサーク・モイーズ・クレミユ、1796~1880)の子飼いだった(ケリー・ボルトン 『議定書の背景(The Protocols in Context) 2003年)。
ジョリーは1879年に自殺したが、生前は「借用」で有名だった。ユージーン・スーの人気小説『パリのミステリー(Les Mysteres du Paris)』(1845年)の剽窃を非難されていたほか、やはりクレミユの子飼いだったジエイコブ・ヴエネデイが書いた『マキヤヴユリ、モンテスキユー、ルソー(Machiavelli,Montesquieeu,Rousseau)』(1850年)という本も彼の問題の本に先行している。
1884年、パリに住むロシア外交官の娘ジャステイン・グリンカが、機密情報を得るためにジョリーのミズライム・ロッジのメンバー、ヨセフ・ショルストを雇った。
ショルストは250フランと引き替えに、グリンカに『議定書』を渡している。 その後ショルストは追われ、エジプトで殺害された。
すでに多くの手先が入り込んでいた帝政ロシア政府は、この文書にだんまりを決め込んだ。
グリンカはその後『議定書』を友人に渡し、その友人から同書を受け取ったセルジユス・A・ニールス教授が1903年に初めて書籍として出版した。
ニールスはポリシエヴイキ革命後の一九二四年にキエフで逮捕され、収監されて拷問を受けた。裁判所長官は彼に、「お前が議定書を出版したおかげで我々は計り知れないダメージを受けた」と言っている(パキータ・ドウ・シシユマレフ『東に流れる水(Waters Flowing )』1999年)。
ただし中身を読むと、文書が出版されたのが1884年ではなく1894年であることを示唆する部分もある。第10議定には1892年のパナマ・スキャンダルに言及したと思われる、彼らの偽儲政治家たちには「公に知られることのない汚点(パナマなど)」があるはずだ、という記述がある。
第一六議定の終わりには、「我々の最も優秀な手先の一人ブルジョア」という一文もある。レオン・ヴイクトール・オーギユスト・ブルジョア(1851~1925)は1890年に指導相になり、若者への教育を骨抜きにしていた。この事実を考えると、グリンカが1984年ではなく1894年頃に文書を受け取ったと見るのが妥当だ。
ただし、「何世紀も前からある計画」だということを考えれば、ジョリーがより初期の文書を目にしていて、それが類似点につながった可能性はあるだろう。
偽書説跡陰に見え隠れするシオニストの暗躍
フイリップ・グレーヴズは記事中でユダヤ原理主義者のプロパガンダ活動を徹底して批判している.
『議定書』の暴露記事が登場した1928年8月は、パレスチナをイギリス委任統治領という形でユダヤ人の祖国にするため、シオニストが国際連盟に圧力をかけていた時期だった。
グレーヴズはコンスタンチノープルで『タイムズ』の特派員をしていたときに、「Ⅹ氏」なる人物から『対話』を譲り受けたという、少々信じがたい経緯を記している。
Ⅹ氏は『議定書』が剽窃である「決定的証拠」として同書を差し出したそうだ。
このⅩ氏は白系ロシア人だった。ポリシエヴイキ革命でユダヤ人が果たした役割を考えると。白系ロシア人が『議定書』の嘘を暴くことに協力するとは少々考えにくい。
しかも驚くなかれ、グレーヴズはⅩ氏が、コンスタンチノープルに逃れた「元オフラーナ」から同書を買い取ったと言っている。
それがオフラーナが『議定書』の剽窃に用いていた本だなどという話を、私たちに信じろとでもいうのだろうか。
ダグラス・リード著『シオンの論争(The Controversy of The Zion)には、これに関連した当時の『タイムズ』関係者の文章が紹介されている。
1920年5月、『ザ・タイムズ』の共同社主ノースクリフ卿が「ユダヤの危機、不穏な小冊子、待たれる調査」という『議定書』がらみの記事を載せた。
「経緯も含め、この″文芦なるもの公正な調査が求められる。(中略)何の調査もせずに、このような本が与える影響を放置してよいものだろうか」
ポリシエヴイキ革命後、ユダヤ人が本質的に共産主義であり、西側文明を脅かしているという認識が一時的に広まったが、これはそのような状況下で書かれた記事だった。
ウインストン・チヤーチルも、「ユダヤ原理主義対急進的社会主義 -ユダヤ民族の魂をめぐる闘争」という有名な論説でこの流れに加わっている。
1922年5月、ノースクリフ卿はパレスチナを訪れ、70万人のイスラム教アラブ人の土地である同地をユダヤ人に与えることをイギリスが約束したのは、拙速であったとする記事を書いている。
1921年に『ザ・タイムズ』の編集者を務めていたウイツカム・ステイードはこの記事の掲載を拒否し、ノースクリフ卿は彼を解雇しょうとした。
だがノースクリフ卿の欧州旅行中、ステイードは卿が「錯乱している」という話をでっち上げて施設に収容させてしまう。ノースクリフ卿は毒を盛られていると主張した後、1922年に急死している。
ダグラス・リードはこのノースクリフ卿の秘書だったが、1950年代に『ザ・タイムズ』の社史が出たときに初めてこのいきさつを知った。
『議定書』の信憑性を擁護してイギリスのパレスチナ委任統治に反対したノースクリフ卿が、一部の″大物″の不興を買ったのは間違いなさそうだ。
『対話』による盗用を示す証拠筒所
フイリップ・グレーヴズをはじめとする偽書派の主張には誇張が多い。『議定書』が『対話』の各章を剽窃したというのも間違っている。
グレーヴズは、「対話7が、第5~第7議定と第8議定の一部に対応している」と書いている。
ところが『議定書』の該当部分は8ページあり、対話7の倍の長さだ。対話7にも他の部分にも書かれていないことも、たくさん書かれている。
とりあえず第5議定からいくつか例を示そう。
第5議定では「我々の王国は気宇壮大なる専制により異彩を放ち、我々に逆らう言動を示すゴイムを排除できるようになる」。 一方、対話7のほうは「近代国家の国際政治においては、死、徴発、拷問などが大きな役割を果たすようなことがあってはならない」となっている。
第五議定には「〔ゴイム(非ユダヤ人)から〕神への信仰を奪い、彼らの心に人権意識を植え付けて」、王の権
威を失墜させるという記述があるが、対話七には該当する文章はない。
第五議定の「ゴイムを疲弊させて我々に国際的なカを引き渡すよう仕向ける。〔それによって〕
徐々に世界の国々のカを吸収し、超政府を形成する」についても同様だ。
さらに第5議定は、すべての国家の「原動力」が「我らの手中にある」、その原動力とは「金(きん)」であり、「我々は地上全体を統べるべく神に選ばれた民である」としているが、そのような記述は対話7には一切ない。
『対話』には、『議定書』をそのまま写したり、やや変えて書いたと思われるくだりや言及箇所がいくつかある。
たとえば『対話』には「いかなる地においてもカが権利に優先する。政治的な自由は相対的概念に過ぎない。生きることへの要請は、個人を支配しているのと同様に国家をも支配する」
一万、『議定書』にはこんなくだりがある「自然の理により、権利はカに内包される。政治的自由は概念であり、事実ではない。
権力の座にある党派を引きずり降ろすために(中略)特定の党派に大衆を惹き付ける必要が生じたとき、〔その政治的自由を〕どのように活用するかを知っておく必要がある」(第1議定)
グレーヴズは類似を誇張するため、最後の部分にはあえて触れていない。
『対話』(七)の「祖国で抑え込まれている革命の動乱を、ヨーロッパ全体に広げる必要がある」という部分に対応する『議定書』(第7議定)の記述は「ヨーロッパ全体に(中略)動乱、不和、敵意を醸成しなければならない」となつており、祖国で抑え込まれている云々の表現はない。
これらの記述は、『議定書』がジョリーの著作に先行し、彼が内容を知っていたことを考慮に入れれば説明がつく。
議定書否定はイルミナティのダメージコントロ-ル戦略
二冊の本はトーンも現実との関連も異なつている。
『対話』は今日の視点で読むと、学術的で堅苦しく、解釈しながら読み進めなければらない。この本で、ジョリーはマキヤヴユリの考え方に染まっている印象を抱いていたナポレオン三世を間接的に椰捻した。 そのために『議定書』を利用したわけだが、ナポレオンは騙されず、ジョリーは逮捕された。
これとは対照的に『議定書』のほうは、事情を知っている偏見のない人間の目から見れば、偽書でないことは自ずと明らかである。
同書は私たちの暮らしている世界を的確にとらえている。
世界支配の計画が漏れた場合、あなたならどうするだろう。そのことを認めるだろうか。
もちろんそんなことはせず、思い通りに動く連中を集めて、「偏見」や「反ユダヤ」を背景とした捏造文書だというレッテルを張るだろう。
彼らはそのような「ダメージコントロール」を完璧にやつてのけた。真実が漏れても煙に巻いてしまうだけのカが、彼らにはあるのだ。
青写真がどこでも目に入るにもかかわらず、唯一陰謀として知られるようになったのはこの文書だけである。
このことは、知識層や大衆がいかに騙されやすいか(あるいは買収されやすいか)を示している。
イルミナチイ(フリーメイソン上層のユダヤ人と仲間の非ユダヤ人)は、自らの究極の権力を保全するために、自由主義や社会主義の名で富やカの一部を大衆に分与した。
『議定書』によると、「見えない政府」が確立されたあかつきには、これらは再び奪われる運命にある。「テロとの戦い」についても、そのような視点で眺める必要がある。
私自身は、「議定書否定派」がこの陰謀に加担している連中だと睨んでいる。
この陰謀のために私たちはすでにかなりの犠牲を強いられた。今後もさらに多くの苦しみを味わうことになるだろう。私は一人のユダヤ人として、その責めを負うことには耐えられない。他の罪なきユダヤ人やフリーメイソンの人間にとってもまったく迷惑な話だ。