19ロックフエラー帝国の傀儡、近親交配大統領

ロックフエラー帝国の傀儡、近親交配大統領

1933年、ウォール街の銀行家たちがフランクリン・D・ルーズヴエルトの失脚を企てたという話は、2008年の今でも出回っている。

最近、BBCは「ダビヤ〔ジョージ・W・ブッシュのニックネーム〕」の祖父プレスコット・ブッシュをその陰謀者の一員として挙げた。

新世界秩序はルーズヴエルトとニューデイール政策を今もなお宣伝材料と考えているようだ。彼らは私たちに銀行家が政府を牛耳るようなことはなく、ファシズムが自由主義や社会主義、共産主義の形となって現われることもないと思わせたいのだ。

イルミナチイの銀行家たちは、ルーズヴエルトがウォール街の宿敵であると思わせるためにそのクーデターを企てた。

後に示すように、彼らは偵儲大統領を確立するために、′いつも決まってそうした手を使うのだ。

陰謀者たち(「アメリカ自由連盟」のメンバー)は、50万人の退役軍人を率いてルーズヴエルトを倒し、ムッソリーニのような人物になる男として、スメドレー・バトラー退役少将に近づいた。

スメドレー・バトラーはまさに筋金入りの軍人だった。

輝かしい勲章を持つ海兵隊司令官だったバトラーは当時、ムッソリーニを「狂犬」と呼び、彼のファシスト軍団が「ヨーロッパで野放しにされようとしている」と警告したことで、ハーパート・フーヴアーから退役を余儀なくされた。

発言の撤回を拒んだバトラーは、一夜にして国民的英雄となつた。

彼らはこの男に「米国のムッソリーニになつてくれ」と頼んだ。

だが、クーデターを意地でも暴きたてる人物として、バトラーは頼りになる男だった その話に「どうも反逆罪の匂いがする」と直感したバトラーは、実際にそれを暴いた。

バトラーはウォール街の仲間ではなかった。

彼は全米を回って講演し、銀行家たちが米軍を「資本主義の暴力団」殺し屋や借金取り立て人として利用していると訴えた。

「振り返ってみると、私はアル・カポネにちょつとした着想を与えられたのではないかと思う」とバトラーは述懐している。

「カポネにできたのは、せいぜい三つの地区でゆすりを働くことだったが、私は三つの大陸で働いたのだ」(『戦争はいかがわしい商売(War is a Racket)』1933年)

「この事件はどう考えても変だった」とカート・ジエントリーは書いている。

「ファシズムに反対する発言で一躍有名になつたバトラーに、アメリカの総統になつてくれと頼むなどとは....」(『フーヴアー長官のファイル』)

にもかかわらず、ジエントリーをはじめとする多くの歴史家がその話を受け入れ、高い報酬の宣伝係としての役割を果たした。

この話がもっとも広まったのは、ジュールズ・アーチヤーの著書『ホワイトハウス掌握の策略(The plot to Seize The White House)』(1973年)によってだった。

アーチヤーの他の作品から判断して、彼はイルミナチイの最高の宣伝者か、最大の走狗のどちらか(あるいはその両方)だ。

彼の他のテーマには、トロッキー、毛沢東、周恩釆、ホー・チ・ミンといった「人民の擁護者」(イルミナチィの看板フロント役)が含まれている。

また、フェミニズムや公民権、環境保護といったエリートの出資による社会運動に関する本も執筆している。

フランクリン・Dルーズヴエルトとは何者だったのか

フランクリン・D・ルーズヴエルトとは果たしてどんな人物だったのか。

その答えについては、勇敢かつ正直で、高い見識のあるニューヨーク在住のエマニュエル・ジョセフソン博士の著書『ルーズヴエルトが20世紀をダメにした』によるところが大きい。

フランクリン・D・ルーズヴエルトは二つのイルミナチイ一族 デラーノ家とルーズヴエルト家の子孫である。

彼は12人の米国大統領と血縁関係にあり(ルーズヴエルト側に四人、デラーノ側に八人)、エリザベス女王と国王ジョージ六世の三親等の従兄弟に当たる。

二つの一族はユダヤ系だが、オランダ、ドイツ、スウェーデン、そして主に英国の血筋も持っている。

ルーズヴエルトの母方の祖父ウォーレン・デラーノはアヘン貿易で富を築き、父親のジェームズ・ルーズヴエルトは鉄道会社の副社長を務め、複数の会社の重役だった。

ルーズヴエルトはいつも自分の気まぐれでルールを変えるような甘やかされた子供だった。

個人の家庭教師をつけていた彼は、ロースクールには落ちたが、何とか弁護士の資格を取った。 しかし、彼が実質的な弁護士業務をしたことは一度もない。

1920年代、いくつかの株式詐欺事件を手伝ったが、知事として、そして後には大統領として、ルーズヴエルトはきわめて影響されやすく、責任回避的で狡猾だった。

彼の表向きの人物像を作り上げ、そのブレーンとなつたのはルイス・ハウだった。 ハウはルーズヴエルトの「より賢明な『自我』」だったのである。

ルーズヴエルトはかなり多数のスピーチライターを抱え、何度か失敗もした。

1932年、民主党の指名受諾演説にあたって、彼は正反対の見解の二つの原稿を手渡され、その両方を読んでしまった。

ルーズヴエルトが髄膜炎を起こすと、ロックフエラー家は彼にジョージア州ウォームスプリングズの療養施設を譲った。

彼らはさらにルーズヴエルトの「財団」に寄付と称して何百万ドルもの金を注ぎ込んだ(ジョセフソン博士は財団が扶助患者を受け入れず、財務諸表も提出していないことを知った)。

ジョセフソンの言葉を借りれば、「ルーズヴエルトの財団は自身の利益のための隠れ蓑だった。

1930年末までには約70万ドルが財団の金庫に注ぎ込まれていた。

ルーズヴエルトは、共和国の民主主義を破壊し、アメリカに君主制を樹立しようとする陰謀家たちの痛ましい隠れ蓑であつた。

その見返りとして、ルーズヴエルト政権の米国財務省はスタンダードオイルに利益をもたらすため、何億ドルもの金を費やしてサウジのイブン・サウド国王を買収し、サウジアラビアに石油インフラを建設した」

ジョセフソンによれば、ロックフエラー帝国の基本原則は「封建的君主政体」で、「国民生活、国家の存続、そして絶対的独裁制に必要なすべてを独占すること」である。

そこでは富裕層による「分割支配」がなされ、「大衆は米国民としてではなく、互いに対立する少数派 たとえば、労働者対資本家、黒人対白人、カトリック対プロテスタント、キリスト教徒対ユダヤ教徒 として扱われなければならない」。

彼はさらに男性対女性、同性愛者対非同性愛者といった対立も加えることができただろう。

ウォール街の見せかけの反対、世論誘導者の妙技

大統領選への出馬を狙う裕福で堕落した近親交配者たちは、当然ながら公共の利益を擁護するふりをする。同じく当然ながら、彼らに出資する銀行家たちも不満と反対を装う。

ルーズヴエルトは、トラストの構築を継続し、この国を彼らに引き渡す一方で「独禁法取締官」のふりをした従兄弟のセオドア・ルーズヴエルトから、その手の内を学んだ。

1932年のルーズヴエルトの選挙運動には、米国の財界エリートのほか、おそらく一年後には彼を打倒しょうとする同類の連中ハースト、ロックフエラー、モルガン、バルーク、

デユボン、アスターが資金を提供した。

1933年、「広報員」の一団は、ファシズムは米国内では極端に不人気になりつつあるので、ルーズヴエルトはナチスに反対することで点を稼げると助言した。

「彼らはウイリアム・ランドルフ・ハーストと彼の刊行物が、もしルーズヴエルトに見せかけの戦いを仕掛け、同時にナチズムとファシズムを支持するふりをすれば、反ナチス、反ファシストたちをルーズヴエルト陣営に引き込むことになると提案した」

「世論誘導者の期待どおりに、騙されやすい世間はハーストに激怒してルーズヴエルトの旗の下に参集したが、ルーズヴエルトが彼らに対して、ファシストと同じような独裁制を実施しょうとしている事実にはまったく気がつかなかった」

両者の対立は完全な見せかけだった。 ハーストはルーズヴエルトの息子エリオットと彼の娘夫婦の雇い主だった!

同じく、軍需品を製造するデユボンヘの公の敵意も見せかけだった。 エセル・デユボンはルーズヴエルトの息子と結婚したのである!

「ルーズヴエルトを攻撃しその再選を阻止するという表面上の目的のために、アメリカ自由連盟が設立された。

結局、これで平和主義者の票がルーズヴエルト陣営に流れる一因となり、彼の再選を助けたのだ」

「ファシスト・クーデター」もまた、明らかに「広報貞」がでっち上げた策略だった。

F D Rがレールを敷いたアメリカの独裁制

カーティス・ドールは銀行家であり、フランクリン・D・ルーズヴエルトの義理の息子だった。

彼はルーズヴエルトを指導者としてではなく、ほとんど実権のない「クォーターバック」として描いている。

その「コーチ陣」は、国際銀行カルテルを代表する側近グループ(ルイス・ハウ、バーナード・バルーク、ハリー・ホプキンスのような「アドヴアイザー」)から構成されていた。

ドールにとって、ルーズヴエルトは「世界政府金融資本勢力」に操られ、自惚れと個人的野心に突き動かされた売国奴にすぎなかった(ドール『操られたルーズベル大統領に戦争を仕掛けさせたのは誰か』)。

1933年の「銀行家クーデター」は、大衆を欺くための金融エリートによるでっち上げだったようだ。

ジョージ・W・ブッシュが登場するまで、フランクリン・D・ルーズヴエルトほど米国を独裁制に近づけた大統領はいなかった。

知能指数184の工作員ヴィクター・ロスチャイルド

1942年、英国の一流物理学者であるマーク・オリファントは衝撃を受けた。

彼が開発した新型レーダーの部品とともに、MI5(英国軍事諜報部第五部)の危機管理監察官ヴイクター・ロスチャイルドから「警備を強化せよ」との警告が届いたからだ。

数日前、ロスチャイルドはバーミンガム大学のオリファント教授の研究室を訪れ、オリファントの研究について質問し、直径約八センチのマグネトロンをこつそりポケットに入れた。

何という大胆不敵な男だろう! このロスチャイルド男爵こそ、ソ連のスパイだった。マグネトロンを返す前に、彼はモスクワヘ詳しい図面を送っていたこれはKGBの監督官によって

後に裏づけられた事実である。

1994年、オリファント教授はこの話を『第五の男(The Fifth Man)』(1994年)の著者で、オーストラリア人のローランド・ペリーに語った。

このレポートは彼の著書に基づいている。

1935年から1963年にかけて、ソ連はMI5やMI6(英国軍事諜報部第六部、海外担当)、および外務省で活動していたスパイ組織「ケンブリッジ・ファイヴ」 から、英国の軍や科学研究についてのあらゆる情報を入手していた。西側の諜報機関は無力化され、原爆の設計図を含む連合国側の機密が盗まれた。

このスパイ組織には、キム・フィルビー、ドナルド・マクリーン、ガイ・パージエス、そしてアンソニー・プラントがいた。しかし、「第五の男」が第三代ロスチャイルド男爵のナサニュ

ル・マイヤー・ヴイクター・ロスチャイルド(1910~1990)で、イングランド銀行を支配する世界一富裕な名門金融一族の英国の首領だったなどとは容易には信じがたい。

旧ソ連崩壊後の1993年、モスクワの六人の元KGB高官が、ロスチャイルドの正体についてローランド・ペリーに証言した。

スパイ組織の監督官だったユーリ・モデイン大佐はその仕事ぶりについて話した。

ペリーはこう書いている「モデインによれば、ヴイクターは英国諜報部でのケンブリッジ団によるスパイ活動の中心人物だった。

『ヴイクターには特別なコネがあった』とモデインは述べている。『彼はパージエスやプラントたちを、MI6を監督する外務省のスチェアート・メンジーズやデイツク・ホワイト、ロバート・ヴアンシッタートといった牒報部の重要人物に紹介することができた』」

信じがたい気持ちは理解できる。しかし、ロスチャイルド家が世界の中央銀行体制における最大株主であることは間違いない。

ヴイクター・ロスチャイルドが旧ソ連のスパイだったことは、ロンドンを拠点とするこれらの銀行家たちが、共産主義に通じる「世界政府」の独裁をもくろんでいることを裏づけるものだ。

それは彼らがボルシエヴイキ革命の背後で糸を引き、その世界覇権を推し進めるために冷戦や9・11をでっち上げ、「対テロ戦争」を利用したという主張に信憑性をもたらす。

どちらがよりもっともらしいだろう。世界の名門金融一族の一人であるヴイクター・ロスチャイルドが、自身の途方もない富と地位を奪うような共産主義の理想を信奉したのか。

それとも、共産主義とは実は「経済的平等」や「友愛」の名の下に私たちの富と自由を奪うために計画された策略だったのか。

大統領にも首相にも命令する 「やり手の男

『第五の男』によれば、ヴイクター・ロスチャイルドの知能指数は184だった。

彼は優れたジャズピアニストであると同時に、あらゆる科学的専門分野を直観的に理解する能力を持っていた。

銀行業を退屈に感じていたヴイクターは、ベンジャミン・デイズレーリの小説『コニングスビー(Coningsby)』(1844年)で、「シドニア」のモデルとなった祖父ライオネル・ロスチャイルド(1808~1879)の刺激的な生き方に惹かれていた。

「国家のどの大臣であれ、シドニアほど秘密諜報員や政治スパイと通じていた者はいない。彼は世界から除け者にされた利口な連中とつながりを持っていた。

ギリシア人やアルメニア人、ムーア人、隠れユダヤ人、タタール人、ジプシー、さまよえるポーランド人、そしてカルポナリ党といった彼の知人リストは、世間一般にはほとんど知られていないが、実は公の事件に大きな影響を及ぼしている秘密機関に興味の光を投げかけるだろう。

世界の秘史は彼の気晴らしだった。彼の大きな喜びは、取引における隠された真意を表向きの口実と対比させることだった」(『コニングスビー』)

ヴイクター・ロスチャイルドはケンブリッジで動物学を学んでいた1963年、アンソニー・プラントをKGBの秘密要員に採用した。

ヴイクターは後にMI5に加わり、対妨害工作を任された。 彼は軍に爆弾の見分け方や処理の仕方を指導した。 ヴイクターはウインストン・チャーチルの個人的友人でもあった。

ペリーは次のように書いている。

「二人は戦時中もしばしば交流した。ヴイクターはその富や地位を利用して、首相を非公開のパーティヘ招いた。

彼は戦時指導者に加わり、諜報機関のあらゆる機密や主要な兵器開発に近づき、英国の対妨害工作活動を指揮したことで、密かに有力者となつた。

その結果、スターリンはきわめて重要な情報をチャーチルと同じくらい知ることとなつた。ときには英国最高司令部よりも先に知るほどだった」

ヴイクターは、英国に支援を求めてきたソ連の敵を無力化することにも加担した。

事実、彼は一九四四年七月、ポーランドの戦争指導者ウラデイスラフ・シコルスキーが航空機爆破によって暗殺された事件の隠蔽工作に関与している。

シコルスキーは、KGBが1940年にカティンの森などで1万6000人のポーランド人将校を虐殺した事実を知ると反ソに傾きスターリンの重荷になつていた。

1944年、プラント、パージエス、そしてフィルビーの三人はヴイクター上ともにパリのロスチャイルド家の屋敷に滞在していた。ヴイクターはパリで一時的に連合国の諜報活動を任され、多くのドイツ兵捕虜を尋問している。

戦後、ヴイクターは米国で原爆研究の監視に時間を費やした。

「ケンブリッジ・ファイヴ」の力もあって、「ロシアは1945年から1963年にかけて、自国に対する主な諜報活動のすべてを知っていた」とペリーは言っている。

悪魔の陰謀に抗して自殺したマイヤー・アムシェル

ヴイクター・ロスチャイルドは、イルミナチイ最高評議会のメンバーだったとされるその真の役割を偽るために、多くの仕事を持っていた。

彼は下級スパイではなかった。おそらくチャーチルやルーズヴエルト、そしてスターリンといった人々に命令を下す立場にあったはずだ。

たとえば、彼はソ連が必ずイスラエルの建国を支持するようにした。

「ヴイクターはモスクワの政策決定者と接触するための裏ルートを知っていた」と、元KGB大佐はペリーに語っている。

「要するにヴイクターはやり手だった。トップに接触したらこつちのもの。彼には非常に説得力があった」

米国が思い知ったように、貨幣供給を支配する者は相応の説得力を持つというわけだ。

世界の大富豪というのは、それ以外の人々に対するよりも互いに対する共通点の方が多い。彼らは人類の指導者や支援者としての本来の役割を放棄し、代わりに私たちを支配しようと企んでいるようだ。残念ながら、彼らがまだ手にしていないのは愛だけである。

ロスチャイルドが死ぬまで守られていたという事実は、支配階級の陰謀を示唆している。

グレッグ・ハレットによれば、スパイ仲間だったアンソニー・プラントはジョージ五世の非嫡出子で、ウインザー公エドワード八世の異母兄弟として彼にそっくりだった。

1964年に事実が明らかになるまで、プラントはナイトの称号を持ち、女王の美術鑑定家を務めていた。プラントは自白と引き換えに、刑事免責を受けた。

多くの人々はこの陰謀が「ユダヤ人によるもの」だと思っている。シオニズムや新保守主義(ネオコン)、共産主義(いずれもその形式)がその重要な役割を果たしたことは確かだ。

しかし、第四代ロスチャイルド男爵である現在のジエイコブ・ロスチャイルドは、ヴイクターの最初の妻で、改宗した非ユダヤ人のバーバラ・ハッチンソンとの間の子である。

ユダヤの掟によれば、ジエイコブ・ロスチャイルドはユダヤ人ではない。

彼はセリーナ・ダンと結婚した。また、ヴイクターのテレサ・メイヤーとの二度目の結婚による一人息子、マイヤー・アムシェルも非ユダヤ人で、彼は1996年に「自殺した」。

おそらく悪魔の陰謀に反抗したのだろう。

ヴイクター・ロスチャイルドは 「社会主義の理想」を装ってみせたが、明らかな裏切り者だった。

反逆罪は現代政治のテンプレートである。中央銀行カルテルは両陣営にまたがって戦争を促すことで、密かにその「世界政府」独裁制を進めている。

「神々の手にある人間は腕白どもの手にある虫だ、気まぐれゆえに殺されるのだ」(『リア王』小田島雄志訳)