20騙したはずのヒトラーが騙された「宥和政策」

騙したはずのヒトラーが騙された「宥和政策」

1942年12月、ゲシユタポ長官のハインリヒ・ミエラーはヨーロッパ本土でソ連のスパイ網を包囲し、英国におけるソ連のスパイや密告者のリストを手に入れた。

それはまるで英国支配者層の紳士録のようで、近代史の真相を明らかにしている。

リストが示すところによれば、ヴイクター・ロスチャイルドばかりか、英国の支配者層の大多数がロシアの共産主義を支持し、「協力者」とされていた。

こうした協力者のなかに、ネヴイル・チエンバレン政権の外務大臣で、「宥和政策」の中心的立案者だったハリファックス卿エドワード・ウッドがいる。

宥和政策はヒトラーに英国がドイツのソ連攻撃を望んでいると思わせるためのものだった。

実際、ハリファックスは間接的にソ連共産党と通じており、宥和政策はドイツ(とヨーロッパ)を倒し、6000万人の命を奪うことになる大戦にヒトラーを陥れようとする狙いがあった。

ミエラーのリストには、名門金融一族の当主で、「ケンブリッジ・フアイヴ」の一人と疑われるヴイクター・ロスチャイルドも含まれている。

興味深いことに、他の四人(パージエス、マクリーン、プラント、フィルビー)がこのリストには載っていない。ちなみに、ハリファックス卿の息子はロスチャイルド家の娘と結婚した。

リストには、「安定化の実力者」として、1934年にナチスヘの出資を続けるイングランド銀行の決定に関わったユダヤ系銀行家、チャールズ・ハングローの名前もある。

ソ連の協力者だったこの男が、ナチス支持者でなかったことは明らかだ。

また、ロバート・ウエーリー・コーエンをはじめ、ウインストン・チャーチルに資金を提供した反宥和政策派の「フォーカス」グループのメンバーの多くも含まれている。

ウエーリー・コーエンはロスチャイルド家が支配するシェルオイルの会長で、英国ユダヤ人共同体の指導者だった。

その他の銀行家や実業家としては、オイゲン・スピア、モーリス・ベアリング、レナード・モンテフイオーリ、エドワード・グツゲンハイム、ロバート・モンド、そしてフイリップ・サッスーンがいる。ベアリングを除く全員がユダヤ系である。

労働党や労働組合の著名な指導者には、アーネスト・ベヴイン、ハロルド・ラスキー、ハーパート・スタンリー・モリソン、ウォルター・シトリンがいる。

また、古くからの貴族家系のメンバーとして、リチヤード・クーム・アブデイ、ストラボーギ男爵、レジナルド・プランケット・アーンリ・アール・ドラックス海軍大将も含まれている。さらに、出版界の大御所J・S・エリアスや漫画家のヴイクトル・ワイス、デイリー・エクスプレスの会長ラ、ルフ・D・グルメンフェルトの名前もある。

著名な公人としては、外務省の有力派閥のレックス・リーバー、そして閣僚兼枢密院顧問官(1919~1938年)として国家機密のすべてを知っていたモーリス・ハンキー卿がいる。スラヴ研究者のバーナード・ペアーズや法学者のハーシユ・ローターパクトも含まれていた。

本質的に異なるはずのこの集団の共通点は何だったのか。彼らの半数以上がユダヤ人であることは間違いない。

しかし、彼ら全員を結びつけているのは、おそらくフリーメイソンだろう。走狗として、あるいは自覚した工作員として、彼らの目的は「光の施与者」としてのルシファー(彼らの分身)に捧げるフリーメイソン、すなわち「イルミナテイ」の世界独裁の確立だ。今日のブッシュ、クリントン、ケリー、オバマ、マケインなどはいずれもそのメンバーである。

ハインリヒ・ミユラーは一九八三年にカリフォルニアで死んだ。CIAは一九四八年にスイス

でミユラーを雇い、このリストを含む一〇〇〇ページに及ぶ証言の見返りとして、彼に一〇〇万

ドルを支払った。ミユラーは、その一部を公開した甥のグレゴリー・ダグラスにマイクロフィル

ムの文書を残した。

宣戦布告を正当化するための「おとり作戦」

イングランド銀行はシユローダー銀行を通じてアドルフ・ヒトラーの台頭に資金を提供していた。

シユローダー銀行の最高経営責任者F・C・ティアークスは、イングランド銀行の重役でもあった。

ユースタス・マリンズによれば、「彼の支持者であるシエローダー家が宥和党の後援をしていたので、ヒトラーは 〔英国との〕戦争は起きないだろうと信じたのであった。

ヒトラーは、いまやチエンバレンがヒトラーを欺くという目的に仕えており、宥和党の支援者たちがチエンバレンを退けてチャーチルを首相にするなどとは想像もしなかったのである」

(『民間が所有する中央銀行』)

公式とされる歴史は、ヒトラーが愚直なチエンバレンとハリファックス卿を欺いたように描いている。だが、騙されたのはヒトラー自身のようだ。

彼は大手を振って東方へ戦線を拡大できると思わされていた。チエンバレンはその秘密に通じていなかった(彼は辞職の数カ月後に「癌」で早死にした)が、ハリファックス卿がソ連への密告者としてそれを助けたのは明らかである。

当初から英国の軍備拡張に反対していたハリファックス卿は、ヒトラーの戦線拡大を促し、後にこの独裁者を「真の共産主義嫌い」として賞賛した。

実際、ハリファックスは1937年、ダンツイヒ、オーストリア、チェコスロバキアに関する「ヨーロッパの秩序」の変更をヒトラーに提案した。

「ヴエルサイユ条約がドイツに有利なものとして解釈し直されるかもしれない地域の名を最初に挙げたのは、ヒトラーではなく、ハリファックス卿だった」と、歴史家のアンドリユー・ロバーッは書いている。「ハリファックスはイーデンから止められていたこと、そしてヴアンシッタートが『不安定なヨーロッパ情勢に崩壊をもたらす』と警告していたことをやった。

しかも、彼はそれを会談の過程で一度ならず三度もやった」(ロバーツ『聖なる狡猾者‥ハリファックス卿伝(The Holy Fox: A Biography of Lord Halifax)』1991年)

ハリファックスのもっとも親しい相談役は、秘密結社のロスチャイルド=ミルナー=ローズ=ラウンド・テーブル円卓会議(すなわちイルミナチイ)のメンバー、

ロジアン卿フイリップ・カーだった。

ロバーツによれば、ロジアン卿は 「ハリファックスの友人で、今日の政治ではめったに見られないような議会外の政治的影響力を持っていた」

宥和政策は、西側の宣戦布告を正当化させる行動をヒトラーに取らせようとするものだった。

一九三九年三月、ハリファックスは 「二正面戦争を確実なものにしたい」 と述べた。ポーランドヘの英国の無謀な保証が一九三九年九月の宣戦布告につながったのは、ハリファックスが原因だった。

ソ連もポーランドに侵攻したが、それに対する宣戦布告はなく、スターリンは一九四一年のナチス攻撃をあらかじめ準備していた。その策略は英国を最初に戦争へと巻き込んでいった。

孤立した自由の擁護者としての英国を含めて、一九三九年から四一年にかけて行われた戦争と平和の煩烈なドラマは茶番にほかならなかった。

ドイツは最初からずっと照準を当てられていた。 今日の米国もそれと同じ立場に置かれているのではないだろうか。

宥和政策の賛成派と反対派は、共通の目的を追求するイルミナチイ一族の二つのチームだった。

アスター子爵夫人が所有するクリヴデン館は(ナチス寄りの)宥和政策賛成派の本拠とされていたが、ロバーツが指摘するように、ダフ・クーバーやアンソニー・イーデン、ロシアの外相マクシム・リトヴイノフ (旧名メイア・フインケルスタイン)といった主要な反宥和政策派もその常連客だった。

こうして戦争は創られていく

戦争は、全世界にその触手を伸ばす悪魔的カルト集団、イルミナチィが意図的に作り出したものである。

「ミユラーのリスト」 からはこの組織の構成を垣間見ることができる - あらゆる政治勢力出身の銀行家や実業家、貴族、軍人、学者、労働組合員、そしてマスコミ関係者がいる。

そこには多くのユダヤ人がいるが、イルミナチイがユダヤ人を他と同じように犠牲したのは確かである。ユダヤ人は共産主義、シオニズム、そしてナチズムに対する使い捨て要員にされてきたのだ。

リストに記載された者のなかには、自分が何を進めているのか知らない者もいただろう。イルミナテイはファシズムに反対し、「平等」を推進するふりをした。

今日、彼らは人道主義的な理想郷を築くふりをしている。

元世界銀行総裁のジェームズ・ウォルフエンソンは、自身のウエブサイトに「貧者のための財閥」というスローガンを掲げた。

イルミナチイが戦争を仕掛けるのは、人類を混乱させ、破滅させて、その権力を強化し、莫大な利益と借金奴隷を生み出すためである。

思想や表現を締めつけるこのカルト集団は、まさに現実を定義するものだ。私たちに残された唯一の道は、種々の情報源から真実を見つけ出し、現実を新たに定義し直すことである。