7 手紙に秘められたメッセージ

もちろんこれこそが中心的テーマである。これらの手紙を誰が書いたのかはさておくとして、そこにはどんな内容が含まれ、どんなメッセージが秘められているのだろうか?

わたしには、これが単なる学生の悪ふざけだとは思えない。

圧倒的な言葉の洪水の中には、生半可な知性ではとうてい到達しえないハイレベルの科学情報がひそんでいると判断しているのだ。

そればかりかこの情報はおおいに役に立つものであり、わたしとしてはそのことを証明したつもりである。

ところでユミットの手紙から科学的内容を除くと、全体のトーンはどういうものになるのだろうか。

それはオカルト的と形容しうるような数々の文書とは、まったく様相を異にするものだと言えよう。

ユミットにはある種の論理がある。情報を伝える口調はゆっくりとして甘ったるく、教訓を垂れる感じがするのだが、全体としては見事に一貫しているのである。

情報のなかには正確無比で、数値がはっきり示されているものもある。実際に検証しえたものも、そうでないものもある。

読んでいても技術説明書のような印象を受けるものがほとんどだ。ユーモアは少しもないし、イメージの部分は極端に少ない。比喩が用いられることも滅多にない。

セスマに届けられた手紙のうち、惑星ウンモの日常生活に触れた部分を読み返してみると、なかなか面白い。

惑星ウンモは完全に全体主義の世界で、個々の人間はこの惑星社会の掟に従って暮らしている。絶えざる紛争と殺戟の数世紀を経て、熟慮の末にこのような世界が建設された。

惑星ワンモの歴史においてとりわけ悲劇的だったこのような時代が終わると、歴史が科学によって支配されるようになった。

やがて女性の暴君が現れて、自分こそはユミットのブレーンなのだということを民衆に信じこませた。彼女はいわば惑星全体の導きの師であり、数億もの人々の心を支配していた。

女王は住民全員に対し、生殺与奪の絶対的な決定権を握りつつ、政治警察を使ってたったひとつしかない大陸を碁盤の目に区分して警備にあたらせ、この原則を残忍無比に運用した。知識の増大は、それ自体が目的として追求された。科学者は馬車馬のようにこき使われた。彼らは科学の特権階級ではなく、奴隷となったのだ。

成果がはかばかしくなければ、死刑に処せられた。人間を対象とした実験はひんばんに、大規模に行われた。

ウンモの世界が大改革されるまでは、まるでナチスが夢みたような世界だったのだ。すべての住民は、たった一人の君主に支配されていた。

ユミットからの手虻に載っている科学情報の一部

純度100パーセントのチタンでつくられた記憶素子用の部品。高周波のビ-ムが、結晶に向けて発射されている。三本のビームは、結晶表面を通り抜けて、内部の一点に収束する。

ビームの狙いは、きわめて正確で、収束点は原子一個分という、きわめて小さな誤差の範囲におさまる。

三本のど-ムの相互作用は、単色の低周波電磁波に変換され、チタン原子内の電子にエネルギーを与えて励起する。これは、実はヘテロダイン回路の原理〔入力信号が周波数の固定さ

れた信号とかけ合わされ、うなりが生じる。このうなりは、増幅回路へ入力信号として使われる〕である。結晶は、絶対零度に近い極低温の状態に保たれており、励起された電子の寿命は半無限である(地球でも、1970年代以降の素粒子加速器の発達によって、現在ではきわめて単色のシンクロトロン放射を得ることができる。しかし、私の知る限り、ユミットのようにこの技術をヘテロダイン回路に応用した例は地球上にはない。技術的には、充分可能だと思うのだが。

コスモロジーについての手紙。イラストは非常に啓蒙的なもので、時空の曲率の変化を描いている。

1967年に送られてきた手紙の一部で、人間の頭脳がどのようにして物事を記憶していくのかをイラスト入りで説明している。

ところがこの女性が召使による爆弾テロに倒れてしまうと、人々は堰を切ったように研究所に殺到し、何もかも破壊してしまった。

蓄積された知識のかなりの部分が無に帰したために、「先端科学」 の分野では大幅な後退が生じたのである。

なおも手紙の内容を紹介しょう。それ以来ユミットは、人文科学や心理学や社会学の研究に精力を注ぎ、こうした行き過ぎを繰り返さないための解決策を探った。

最初に浮上してきた考えは、人間の行動を一世代の間に変えることは不可能だということである。

原理原則は公布することができても、人間の精神構造が変わらなければ、何の成果もえられないのだ。

この考え方は、地球における革命理論の挫折とか、特定の集団が愛他的感情の高揚を、少しずつ時間をかけて自分たちの都合の良いように変えてしまうやり方などと

比較することができよう。 そこでユミットは人口の一部、とくに幼い子供たちを親から隔離して、新しい世代を「孵化」させていった。

この考え方には、取り立ててE.T.らしいところはない。全体主義思想で、家族には子供の教育や教化を任せられるほどの能力はないとする場合は多々ある。

今日のウンモ社会では、子供は一三歳で親もとを離れ、専門のセンターで必要とされる教育を行うことになっているのだそうだ。

両親はビデオを見ながらわが子の進歩を遠目に追っていくことはできるが、このシステムは一方的にしか機能しない。親が子供を感化することは、もはや不可能になっているのだ。

これがユミットの手紙に記述されている社会システムの第一の側面であるが、ユミットはモデルとしてこれを紹介しているわけではない。むしろその逆だ。

ある惑星で有効であるやり方が、べつの星にはまったく馴染まないこともありうると、手紙の著者たちは強調しているのである。

この社会システムの第二の側面は、惑星内での完全なコンピューター管理である。人の誕生を含め、すべての生産はコントロールされている。

ユミットは異性と交わったり子供をつくったりするなどという重大な決断を、とても自分一人だけではできやしないのだ。

この種の作業は、まず未来の配偶者の心理学的プロフィールを徹底的に分析し、両者の相性を確認したうえでなければ行われない。

ちなみに惑星ワンモの人口はほぼ二億に限定されており、出生はきわめて計画的に行われている。生活に必要な物は何でもそろい、全員が働いている。

地球と比べると、個人差ははるかに少ない。起こりうることの振幅は、もっと限られている。

つまりこの惑星は全体が蟻塚か、一個の巨大な生物のように機能しているのだ。絶対に超えることのできない枠の範囲であれば、それなりに自由にふるまうことができる。

地球人にしてみればこのような生活はきっと耐え難いだろうが、想像力に富んでいる様子もないこの人たちには、このくらいが丁度いいのだろう。

独立という言葉は、その意味を失ってしまっている。この星では中央コンピューターにきちんと連絡先が伝わらないうちに、散歩できるような者は誰もいない。

機械は決定こそしないが、すべてを管理し、これを逃れるものは何もないのである。

このようなシステムで完璧を期するには、法体系の整備が不可欠となる。全体主義にとつての第一の障害は、党とか特権的官僚とかの特権者の存在である。

ユミットはこのような困難を回避するために、一人ひとりの個人について、誕生の瞬間から成長の過程における能力は、きわめて高精度に評価されていると信じている。

個々人は、社会からあえて言えば現物で特典を与えられるのだ。所有の概念や蓄財といったものは存在しない。この惑星社会では、住人一人ひとりに特別手当が支給される。

これは本人が実際に生産したものから出るわけだが、本人の能力で生産しうるはずの量と比較のうえで査定が行われる。

査定の方法の信頼性が高いのであれば、このシステムによって社会的公正が保たれるわけだが、なかなか厳しいやり方ではある。

人によって心身の発達に違いが生じるのは認めるのだが、人は皆同じだと一方的に断定し、その人の心身能力相応の割当量を満たしていれば、今後報酬は同じにすると決めてしまう

のである。わたしに言わせれば、これは不意打ちというものだ。

ぶどう糖の工場を想像してみよう。知的能力の限られた人は、倉庫係として雇われる。

この人に精密な知識を与えようといくら努力しても、彼の弱々しいニューロンでは大したことは覚えられない。脳の出来がはじめからもっと良くて、その能力にふさわしい教育を受けてきた別の人物が、生産を指導することになる。なのにこの二人は同じ生活水準で暮らすのだいいだろう。

それならわたしも責任を放り出して倉庫係になってやる、と工場長が言い出すかもしれない。それは誤りだ。そんなことをすれば今の生活水準はすぐにガタ落ちになってしまうのだから。

ユミットのシステムにはある程度の幅があるから、怠け心を起こしたりしても、逆にあくせく働いたりしても大丈夫なのだ。

とはいえ、ある程度の自由裁量の枠を超えてしまうと、耐え難いほど不愉快な思いをしなければならなくなる。

何もしないでぶらぶらしたり、人にたかって生活することは問題外なのだ。もちろんパーセンテージでは示されていないが、犯罪だってないわけではない。

惑星ウンモで殺人や野蛮な行為で罪に問われるとする。ここまでくると完全な権利をもった市民ではなくなり、見せしめのために社会がこうした人の主人としておさまる。

恩赦という発想はない。終身刑に処せられたユミットは、モルモットとして実験材料にされるが、それは本人の心身が損なわれる危険のない実験であることが強調されている。

手紙の中には、あまりに平然と語られているので背筋がうそ寒くなってくるような話がひとつある。

ウンモの歴史のある時期に、突然異変によって体に異常の認められる集団が発生し、他の多くの住民たちの活動に大変な支障をきたすようになった。

この病気の正体が突きとめられ、「あわれな病人」が特定できるようになると、ただちに対策が施された。患者たちはマイクロ波のビームで射殺されたのである。

これがしごく当然の予防措置として紹介されている。ユミットの手紙に従えば、個人は完全に全体主義に従うべきものなのだ。ちょうど細胞が有機体の要請に従うもののように。

これらの手紙にエデンの園のようなモデルを期待していた人々は、本当にがっかりしてしまった。

たしかに自然はどこにでも見いだされ、ユミットたちは自然との調和のうちに生きている。住民は一箇所に固まらず、一極集中は禁止されている。

生活の質は最適なものになっており、個人にほんとうに必要なものは、十二分に満たされている。

われわれについてはとてもそうは言えないし、この社会では不正や強権の発動が、日常茶飯事だ。

ウンモの世界には、どこか「すばらしい新世界」を彿彿させるものがある。不変こそ安定であるという、あの原理を思い出そう。

だがハックスレーの小説の世界※1には、魂というものがない。憂愁や生きることの不安は、精神安定剤や酒で癒される。

ウンモの世界は後述するが、形而上学的性格のコンセプトを土台にしているとされる。

たとえこれらの手紙が地球外知的生命によって書かれたものだとしても、惑星ウンモに行った人はいないのだから、このような歴史のあらましや、社会構造が真実なのかどうか、

誰にも断言することはできない。

誰が書いたものであるにせよ、手紙には少なくとも、社会における安定と平等を保証する「フィードバック」システムという、独創的な発想が含まれている。

わが地球では、マルクス主義によって人間が幸福になることはできない、ということはすでに立証されている。

資本主義にしても、自由競争によるさまざまな弊害が生じているわけだから、やはり人類を幸福にするものとは言いがたい。

それなら保守的な宗教ドグマにもとづいた社会がいいかというと、そういうわけでもない。

そのような社会は時として他人を愛することを説き、ある種の行き過ぎを抑えようとするが、それ以外の面も見せることがあって、人間的価値の進歩に対しては妙に遅れをとっている。最大の欠陥は、それが進歩不能なほどの動脈硬化を起こしていることであり、現実をまるっきり無視して独断的に教えを垂れるのを本性としていることなのだ。

ユミットと前述の四人の接触者との電話での接触が頻繁になってきたある日のこと、ファリオルスは電話の相手にこう聞いてみた。

「ところであなたたちは他にも適当な人はいっぱいいるのに、なぜわたしたちを選んだわけですか」

「あなたがたの脳の形※2が、他の地球人とは違っているんです」

わたしの記憶では、相手のユミットは地球人の脳の構造にこれから変異が起ころうとしていると言うのだった。

ちょうど良い機会だから手紙に扱われているこの突然変異の問題にも触れておこう。全体の図式は記憶の重層構造によるもので、その点ネオダーウィニズムとは異なっている。

ユミットの手紙では、情報という観念が何よりも重要である。それはどの手紙にもくり返し現れている。

情報とはすなわち記憶である。人間においてこれらの情報は三つの組織に分配されるようなのだが、われわれはそのうちのひとつ、DNAしか知らない。

二番日のものは細胞の血祭中の水分なのだそうだ。この水分の非分子的組み合わせが、電磁性を帯びたホルモン分泌刺激物を非常に長期間保存しておくのである。

三番目は稀少ガスの原子集団の中にあって、科学的には不活性なものだが能力的には最初の二つをはるかにしのぐものだ。この八六の原子を前述のものと混同すべきではない。

これはDNA連鎖の先端にあるものなのだ。

手紙によれば、この原子力タイプの記憶は細胞と連携しており、巨大なデータバンクのように一般には生命の形態に関するすべての可能性についての情報を蓄積しているが、

惑星系ではそのうちごく僅かの部分しか使われていないのである。

「突然変異の圧力」が働き、新しいフオーミユラの誕生にふさわしい環境が整えば、もしくは変化した環境のもとで既存の生命の形態がもう通用しなくなったとき、この原子力記憶がDNAを利用して突然変異を引き起こす。だからこの変異は偶然によるものではない。手紙から関連するイメージを引用しょう。

『地球のある国、技術開発の非常に進んだ国が、大規模な飛行機工場をつくるものとしよう。この計画のための資金に限度はなく、借金も必要なだけできた。

そこで何千という送風機や実験室がいくつもの建物に設置され、資料情報室は地球上のすべての研究センターとのネットワークに接続された。

そして何万人ものエンジニアや物理学者や電子工学の専門家が協同して、この研究の計画をたてることになる。

どのプロジェクトも単なるフィクションにすぎないことは想像に難くない。それは製作にまつわるすべての技術的要素と、液体つまり空気中を移動する航空機のすべてのモデルを

備えた設計図をつくること以上でも以下でもないはずだ。

そのようなプロジェクトには何百万というモデルがありうることを理解するには、何も技師である必要はない。

航空学上の条件もしくは、航空条件の個々の要請に応じて考えられた設計図は、片っ端からコンピューターにインプットされていく。

ある日、上昇限度が一二〇〇キロに設定されたエンジンを備えた最新式の飛行機が、一機離陸する。機体は赤外線誘導ミサイルが配備された敵の領空を飛ばねばならない。

おかげで生産された飛行機は、次から次へと破壊されて、もう運航可能の飛行機が底をつくほどになる。

周囲の環境がこの種の飛行機にふさわしいものではないわけだ。だが乗り込んだエンジニアたちも、手をこまねいて見ているわけではない。

搭載された機器を駆使して失敗の原因を探り、問題点を体系的に把握しょうとする。

たとえば敵ミサイルのプラスチック製弾頭内には放物面鏡があるが、これは高周波を出していないからレーダー波を出すためのものではないと解釈するわけである。

そしてこのミサイルが自分たちの装置に(ノズルに)向けて、どのようにして方向が定められるのかを統計的に確かめ、そこからこのような空対空ミサイルには高感度の赤外線探知器

がついているという結論に達する。

そうなると今度は機体の設計を変更せねばならないが、プロトタイプを作ってテストするほどの時間があるわけではない。

そういうときは記憶センターを呼び出して、前のモデルとよく似ていて同等の性能を有しながら、赤外線の散乱をおさえるためにノズルを保護する環をつけたものを取り出す。

新型モデルの設計図はすでに準備されてあるから、制作もそれだけ簡単だということになる』

突然変異を誘発する状況が地球上に存在しているために、正確には分からないが脳に何らかの違いがある人間が生まれてくる。

接触者、あるいは接触者として名乗りをあげた人のことで、接触を操作する側から合理的な説明が得られたのは、今回が初めてである。

このような説明は、形而上学的とも言いうる計画を練ることと矛盾するものではない。

ユミットのモデルでは人が何か厳密なことを考え、書かれたものを読み、一定のテーマについて話をする場合には、集合的魂という巨大な精神構造に「情報を与える」ことになる

のだが、だからといって個々の惑星にひとつである集合的魂が互いに情報交換し合うようなことはないのだそうだ。

そこでユミットたちは地球の巨大な集合的魂に働きかけようとして、このような少しばかり変わった脳の持ち主である少人数の接触者を選び、彼らを一種のアンテナとして機能させる

ことを思いついたのである。これは冗談なのか、作戦なのか、新興宗教をつくる試みなのか、情報操作なのか、現実なのか?

この個人的もしくは集合的な形而上学的構造としての魂の機能に関する情報が記載されている膨大な数の手紙が届けられた。

四人の接触者は、すこぶる難解ではあるが、あくまで「科学主義的な」文面を丹念に読んでから意見交換を行った。ユミットもそれには満足していると言ってきた。

その後突如として一九八九年になると、すべてが台無しになってしまった。

ドミングスが一方的に「遮断」してしまったのだ。彼は二〇年近くも続いた接触の緊張に耐え切れず、激しく徹底した拒絶反応を示しはじめた。

グループは急速に解体し、「実験」は中断された。それ以来ドミングスはユミットの話となると、何がどうあろうと耳をふさいでしまうのだ。

彼にとってはユミットは呪われたも同然である。そうこうするうちに手紙もめったに来なくなった。ネットワークは新たな沈黙の段階に突入して、凍結されたかのようである。

※1 オルダス・ハックスレー二八九四~●九六三)詩人・小説家・思想家。十八歳で盲目に近い状態となり医学から文学に転向。現代文明に対する知的観念的な風刺小説を数多く

発表する。晩年は宗教的神秘主義・絶対平和主義へと移行していく。『クローム・イエロー』『すばらしい新世界』など。

※2 これはl九六七年にアリシア・アランホが受け取った「宇宙に住む生物の発生基盤」というタイトルの報告書である。