22告白「私はヒトラーの上官だった」の余波

告白「私はヒトラーの上官だった」の余波

悪の化身となったその男はおそらく、今も世界を支配している隠れた権力の操り人形だったのだろう。

ニューヨークを拠点とするカレント・ヒストリー誌に、カール・マイル大尉は「私はヒトラーの上官だった」と題する論文を発表した(1941年2月)。

ここでは、このはとんど知られていない興味深い文書について検証してみよう。

ミュンヘンのドイツ国防軍教育局でヒトラーの上官を務めたマイルは、一年三カ月(1919年3月~1920年6月)にわたってヒトラーと「毎日接触」した。

ヒトラー伍長は宣伝活動および潜入作業のグループを任されていた。

マイルによれば、ヒトラーは「飼い主を探している疲れた野良犬」のようで、最初はルーデンドルフ将軍、次はゲーリングの雑用係として、その目的を果たした後はいなくても困らない存在だった。彼は「郵便配達貞として郵便の仕事に就こうとしたが、知能テストが不合格だったために断られた。

オーストリアの村では十分な学校教育を受けたようだが、戦争でガスを浴びてから彼の知能は損なわれた」

この文書は後にヒトラーに反対した(そしてブーヘンワルトの強制収容所へ送られ、殺された)マイル大尉が書いたと思われる一方で、偽情報だった可能性もある。

米国の参戦の一カ月前に発表されたこの論文は、ヒトラーと彼の後継者に指名されたヘルマン・ゲーリングとの間に軋轢を生み出し、ヒトラーを軽視することによって彼を怒らせようとする意図で公表されたのかもしれない。

カレント・ヒストリー誌の編集長スペンサー・ブロドニーは、本名をレオン・グロッキーという長年の共産主義者だった。

同誌は、中央銀行カルテルの手先であるニューヨーク・タイムズ社発行の季刊誌だった。

にもかかわらず、この文書が秘密にされてきたのは、それがヒトラーをもっともらしい人物に見せかけるという銀行家たちの方針と矛盾していたからかもしれない。

偽情報は真実を紡ぎ出すが、その効果はどれだけ多くの事実が含まれているかによる。また、マイルが言っていることの多くは他の情報源とも一致している。

彼が暴露した情報でもっとも信用できそうな話を要約し、そこから示唆されることを考察してみよう。

はみ出し者のヒトラーが「軍事独裁者」になる

マイル大尉によれば、「1919年のヒトラーは仕事を捜し求める何千人という元兵士の一人だった。

当時、ヒトラーは自分に親切にしてくれる人となら誰とでも運命を共にする覚悟だった。 彼はたとえユダヤ人やフランス人の雇い主であっても、アーリア人の雇い主の下で働くのと同じくらい喜んで働いたはずだ」。

彼は「ドイツ国民やその運命などにはまったく無関心」だった。

ヒトラーは「寝ているときもぶつぶつと話したり、歩き回ったりしたので、周囲の厄介者にされることが多かった」。

友人がいなかったのは、「奇形のために内気で人目を気にし、そのことがヒトラーを他とは違った男にしたこの苦悩が彼を一匹狼やアウトサイダーにしたのだろう」

〔ヒトラーには皐丸が一つしかなかったらしい。もしマイルがヒトラーの威信を傷つけようとしていたなら、この逸話に触れないのは奇妙である。

おそらく、当時はこの話を持ち出すのが許される時代ではなかったのだろう〕。ヒトラーは「仲間に絶えずからかわれて」いた。

マイルによれば、第一次世界大戦の英雄エーリッヒ・ルーデンドルフ将軍(1865~1937)は、ミュンヘンのフオーシーズンズホテルで実業家の仲間と毎週会合を開き、ドイツの敗戦に対する復讐を企てた。

その挑戦とは、意気消沈したドイツの労働者を新たな戦いへ動員することだった。ルーデンドルフは、神の声を聞き、彼らを戦いへと導く平民として、ジャンメ・ダルクのような人物が必要だと考えた。彼は神の使者として売り込めるような「赤毛の田舎娘」を探して、バイエルン・アルプスまで歩き回った。

ルーデンドルフとその仲間たちは「ハリウッドのタレントスカウトのようだった」。

同じ頃、ヒトラーは軍の、ある「実験」に関与していた。彼は酒場でドイツ労働者党の会合を開き、皆にビールやソーセージ、プレッツエルを馨るように金を渡された。

情熱的な歌を何曲か歌った後、誰もが「幸福と感謝」に包まれたところで、ヒトラーは椅子やテーブルに飛び乗り、「労働者の仲間たちよ、ドイツよ、奮起せよ!」と始めた。

「そんな高揚した雰囲気のなかでは、心を奮い立たせ、何かに対して力強く拍手喝采することは労働者たちの喜びだった」とマールは書いている。

「ヒトラーの実験はその出資者たちから高く評価され」、ヒトラーはジャンメ・ダルクの仕事を手に入れた。

「その計画は、多数派の希望的観測に合うように入念に仕組まれていた」という。

指導者たちは「少数派を苦しめなければならない」と考え、「ユダヤ系ドイツ人をその主なスケープゴートとし、彼らの撲滅によって何百万票というナチスヘの支持を得ようとした。

小売商人はユダヤ人がチェーン店を所有していたために彼らを憎み、農場主はユダヤ人銀行家に借金をしていたために彼らの撲滅を望み、知識人でさえユダヤ人が芸術や科学、専門職において有利な地位を占めていたことに嫉妬していた。

共産主義者もまた撲滅する必要があったが、それは彼らがロシアから指示を受け、帝国ドイツに賛成票を投じようとしなかったためだ」

「ナチスの売り込み役は大衆の頭を戦争へ向かわせるため、ありとあらゆる表現を使った ドイツは貧しい国で、富はすべて他国のものだ。

したがって、ドイツは彼らと戦って勝利し、その富を手にする資格を得なければならない」

そのためにナチスは多数派の欲求をつねに満たした。「結果として古き良き時代が復活するのであれば、誰もドイツがどうなろうと気にしなかった」

ヒトラーは「ナチスのイデオロギーの優秀な売り込み役にすぎず、用済みとなればさっさと解雇されるだろう」と考えられていた。

お飾りのヒトラー、真のドイツ指導者は誰だつたのか

マイルはヒトラーがナチスの真の指導者だったことは一度もないと言っている。

「ヒトラーが指導者だったというのは、おそらく世界で他に類を見ないでっち上げである。彼の報告書はいつも書き直しが必要だった。思考力は八歳の子供より低かった。ヒトラーは自分で決断を下すこともできなかった。彼が『わが闘争』の一行も書かなかったのは明らかだ。〔しかし〕自分の名前を本の著者として記すだけの傲慢さはもちろんあった」

「ヒトラーは重要な演説の前にはいつもヘスと引きこもり、それが何日も続くこともあった。

ヘスはどうやるのか、ヒトラーを大衆の前で演説するときのあの熱狂的な状態にさせた。ヒトラーが政治家や外国の特使を迎えるときは、その直前まで言うべきことを細かく指導された。思いがけない質問が向けられると、彼はただ立ち去るか、無意味な政治論をわめき始めた」

ルーデンドルフはやがてヒトラーを抑えきれなくなり、ナチス党内の権力闘争に関与していたエルンスト・レームとヘルマン・ゲーリングにその制御を奪われた。

結果として、その戦いは1934年6月30日の血の粛清においてゲーリングが勝利した。 この頃、マイルはナチズム本来の社会主義の目標を代表するレームに賛同していた。

「もはやゲーリングの行く手を阻むものはなく、彼は時を移さず行動を開始した 徴兵制の復活、ラインランドの占拠、完全再武装化、スペイン介入、そしてオーストリア、チェコスロバキア、ポーランドなどへの侵攻」

「ドイツには多くのファウストがいたが、彼らのメフィストフエレスはゲーリングで、彼はゲッベルスのような狭滑な宣伝者を通して、ヒトラーを愛国的超人として全世界に売り込むことができた。

ゲーリングは単独で国会議事堂放火事件を工作し、その犯人として頭の弱い少年を処刑させた。レームがヒトラーの暗殺を企てているとのデマをヒトラーに届けさせたのは彼だった。

ヒトラーに対するゲーリングのへつらいは、世論を惑わすための見せかけにほかならなかった」

歴史家の一般的な見方としては、ゲーリングは無能な指導者とされ、ドイツ空軍を指揮するよりも美術品の捜索や収集(あるいは窃盗)を好んだ。

彼はヒトラーに怯えながら生きていたと言われている。

イルミナティ演出の輝ける実験作品

マイルの見方はヒトラーに対する世間一般の見方とまったく対照的だ。

マイルが嘘をついているのか、それとも現代史家の多くがヒトラーをもっともらしい指導者や悪の化身に仕立て上げているのか。

私はヒトラーがイルミナチイに演出されたもの、つまり、金融経済の独占を守ろうとするロスチャイルド家の世界独裁のためにフリーメイソンによって計画されたものだと思う。

『シオン長老の議定書』によれば、反対勢力はすべて抑圧されるという。もしどこかの国がロスチャイルドの支配に異議を唱えたとしても、「それは我々の裁量、そして我々の指示による形式的なものにすぎない。なぜなら、そうした反ユダヤ主義は我々の下層の兄弟たちを監視するために必要だからである」(第九議定)

私の現在の仮説では、ヒトラーとロスチャイルドの計画の間には、「スパイ同士の連絡係」による長いパイプを介した直接の結びつきがあった。

こうした連絡係のなかには、ロスチャイルドのイングランド銀行がヒトラーに資金を提供していると知って政界を退いたエーリッヒ・ルーデンドルフのような

「役に立つ愚か者」も含まれていた。

ドイツ軍諜報部の長官で、ロスチャイルドと結びついた金融一族のメンバーで、1919年にマイルの上官だったマックス・ウォーバーグは、おそらく「ヒトラーの実験」における中心人物だった。「秘密のフリーメイソン」を通じて、中央銀行家たちは共産主義とナチズムの両方を生み出し、それは第二次世界大戦により、西側(キリスト教)文明の破壊を進めた。

人類は急速にロスチャイルドの犠の巣となりつつある。マスコミや教育は彼らに支配され、情報や娯楽ははとんど社会統制と行動修正の手段になっている。

マイル大尉の「私はヒトラーの上官だった」のような世に知られていない文書は、私たちが卑劣極まりない方法で操作され、裏切られていることを気づかせてくれる。

ヒトラーを狂人化した洗脳タヴィストック機関

グレッグ・ハレットの著書『ヒトラーは英国の工作員だった(Hitler Was A British Agent)』では、戦争はオカルト魔術師が呼び起こした残酷な幻覚であり、その目的は人類を堕落させ、最終的に世界政府の奴隷にすることだとしている。

ヒトラーが「英国の」工作員だったというハレットの主張は、元諜報部員の怪しげな組織の証言に基づいている。

ハレットは証拠書類こそないが、説得力のある状況証拠を提示している。

たとえば、アドルフ・ヒトラーは1912年から1913年まで英国に滞在しており、その事実は彼の義柿の著書『ブリジット・ヒトラーの回想録(The Memoirs of Bridget Hitler)』(1979年)によって裏づけられている。

しかし、ヒトラーの伝記作家ジョン・トーランドをはじめ、多くの歴史家がこの驚くべき事実を無視してきた(もしハレットが正しければ、トーランドのような歴史家はヒトラーについて不都合な事実を削除し、彼を大物に仕立て上げたという罪を犯したことになる)。

ハレットによれば、ヒトラーは1912年2月から11月まで、デヴオン州タヴイストックの英国軍心理作戦訓練学校とアイルランドで洗脳の訓練を受けていた。

「軍事機構は戦争を必要とし、〔それは〕その走狗となり、手先となり、傀儡の敵となるために資金提供や訓練、支援を受けた二重スパイ〔が必要であることを意味する〕」と、ニュージーランドを拠点とするハレットは記している。

ヒトラーの義姉は、リヴアプールの彼女の家へ手荷物もなしにやってきたヒトラーを、惟悸しきった様子だったと述べている。「彼〔アドルフ〕は病気のようだった。ひどく顔色が悪く、目つきも変だった」と彼女は書いている。

「彼はいつも本ではなく、ドイツ語で書かれた小冊子を読んでいた。

そこに何が書かれていたのか、それをどこから持ってきたのかはわからない」。ハレットはこれらがタヴイストックの訓練用マニュアルだったとしている。

『ヒトラーは英国の工作員だった』は、既存のものとは異なる理論的枠組みを提示している(たいていの場合、私たちは「教育」というフィルターによって間違った理論的枠組みを与えられているため、真実に気づかない)。

ハレットが「英国」と言うとき、それはカルテルのネットワークを支配する富豪の銀行家たちによるフリーメイソンのカルト集団、イルミナチィを意味する。

彼らはロンドンの金融街シティーを拠点としながら、英国をはじめとする多くの国々やイデオロギーを、歴史という人形劇の操り人形として利用している。

ハレットの主張は、第二世界大戦における数々の不自然な出来事を浮かび上がらせる。たとえば、ヒトラーはなぜダンケルクで33万5000人の連合軍兵士を追撃せず、撤退を許したのか。

この非現実的な命令は寛大な和平工作として説明されているが、もしその軍隊をナチスが捕虜としていたら、英国はその後の戦闘でもっと従順だったはずだ。

1940年5月のナチスの勝利は、第一ラウンドでのKO勝ちのようなものだった。

イルミナテイはその戦争をそれほど早く終わらせるつもりはなかったし、ナチスに勝たせるつもりもなかつたのだ。

英国が劣勢にあった1940年夏、ナチス情報部長官のヴイルヘルム・カナリス海軍大将はルーマニアの外相プリンス・ミヘル・ストゥルザに、「戦争に勝つのは英国なので中立を守るように」と言った。 彼はこのメッセージをスペインの独裁者フランコにも伝えた。

ハレットの理論はまた、ユダヤ人銀行家の第一の敵とされたヒトラーが、ほとんど周知の事実であったロスチャイルド家による英国(および米国)支配について、なぜ知らないふりをしたかも説明している。 もしヒトラーが本気であったなら、ロシアを攻撃する前に英国へ侵攻していただろう。

ハレットの仮説は次のような疑問に答えている

(1)なぜヒトラーは報復を恐れることなく、ラインラントなどへ拡大できたのか?

(2)なぜナチスの軍事機構はイルミナテイに支配されたイングランド銀行や英米企業の有力者から資金援助を受け、構築されたのか?

(3)なぜヒトラーはジブラルタルで地中海を封鎖しなかったのか?

そしてなぜスペインの独裁者フランコはスペイン内戦でナチスに巨額の借金をしていたにもかかわらず、中立を守ったのか?

(4)なぜIGファルベンのフランクフルトの本社は爆撃されなかったのか?(この建物は戦後CIAのドイツ本部となった)、

(6)なぜイングランド銀行はプラハを占領したヒトラーに対して、ロンドンに預託されていたチエコの金準備を与えてそれに報いたのか?

それはヒトラーがなぜ戦争に勝つことよりも、愚かな人種政策を優先させたのかという疑問にも答えてくれる。

彼はソ連を倒すために何百万人ものスラヴ人(やユダヤ人) の協力を得ることもできたはずだ。にもかかわらず、ヒトラーは彼らを和解しがたい敵にした。

さらに、なぜドイツの同盟国である日本はロシアではなく米国を攻撃したのか、なぜナチスはその情報が漏れていることを知らなかったのか、なぜヒトラーはその機会があったにもかかわらず、ロシアや中東の油田を獲得しなかったのかといった疑問もある。

もうおわかりだろう。そこには裏工作があったのだ。

ヒトラーはソ連に侵攻することで、英米の資本家たちに役立っていると思っていたのかもしれない。おそらく彼は自分(とドイツ)が騙されていることを知らなかったのだろう。

ロスチャイルド血縁者・ヒトラーとは何者だつたのか

何よりも不自然なのは、オーストリアの浮浪者であり、清掃作業員であり、男娼であった男がドイツの首相になれたということだ。

ヒトラーは卑しい身分でありながら、目に見えないカを借りて一躍世界に名を馳せた者たちの一人で、恐喝されてもおかしくない人物だ。

ハレットはヒトラーの祖父がネイサン・マイヤー・ロスチャイルドであると記している。

ヒトラーの祖母マリア・シクルグルーバーは、ロスチャイルド家のウィーンの屋敷で女中をしていたとき、悪魔崇拝の儀礼強姦によって「恐怖のうちに」、彼の父アロイスを身ごもった。ロスチャイルド家は一族の間でしか結婚できないため、匿名の工作員として働く非摘出子をつくつた(これはイルミナチイの定法のようだ。あくまで噂の域を出ないが、ビル・クリントンもロックフエラー家の人間だという巷説がある)。

ヒトラーの祖母は、おそらく彼の祖父の仲介者だったユダヤ人実業家から養育費をもらっていた。

ブリジット・ヒトラーは彼の妹パウラのこんな言葉を引用している「〔アドルフが〕人種政策を始めてから、アドルフと私には祖父がいないの。望めば誰だってそこからうまい取引ができるはずよ」(『ブリジット・ヒトラーの回想録』)

ヽ ヽ

ロスチャイルドの息子、アロイス・ヒトラーは姪のクララと三度日の結婚をし、彼女がヒトラーの母親となった。父親は虐待的で、母親は過干渉だった。18歳で母を亡くし、極貧となったヒトラーは、同性愛者のたまり場だったウィーンの男性用宿舎で暮らした。

ドイツの歴史家で教授のロータル・マハタンによれば、ヒトラーはミュンヘンとウィーンの両方で男に嫌がらせをしたという長い前科を持つ同性愛者だった。

こうした調書はロシアと英国にも届いたが、それが宣伝に使われることは一度もなかった。

これはその戦争が茶番だった可能性を示すさらなる証拠である(マハタン『ヒトラーの秘密の生活』)。

世紀の殺戮者はこうして形成された

ハレットによれば、ヒトラーは1912年、ドイツ語で行なわれる訓練を受けるために英国へ向かった。

この「訓練」とは、その後のドイツにおける彼の役割を意識に植えつけ、聴衆を魅了する方法を学ばせるものだった。

それにはトラウマとなるような洗脳も含まれていた。

残虐行為を見せられ、性的虐待を受ける様子をすべて撮影されることにより、「もう一人の自分」の意識が粉々に打ち砕かれる。そして様々な意識の断片が心にプログラムされ、特別な暗語によってアクセスできるようにされる(イルミナテイによるマインドコントロールの詳細については、フリッツ・スプリングマイヤーとシスコ・ウイーラーの著書が参考になる)。

ヒトラーは1922年五月にドイツヘ戻り、ドイツ軍に入隊した。

第一次大戦中、彼は伝令係を勤め、英国軍に二度捕まったが、いずれの場合も英国諜報部の「ホモ」によって処刑を免れた。

ハレットによれば、ヒトラーには自分の上で女性に排便させるという嗜好があった。また、彼は性器が小さく、皐丸が一つしかなかった(ヒトラーが付き合った女性の多くは自殺した。生涯の恋人は姪のゲリだったが、彼のお抱え運転手の子供を身ごもった1931年にヒトラーによって殺された。

マハタンはヒトラーが真に愛していたのはそのお抱え運転手だったとしている)。

ナチスの同性愛の詳細については、「ピンクの鈎十字(The Pink Swastika)」のサイトを参照していただきたい。

ことごとく達成されたイルミナティの野望

歴史はイルミナチイの長期計画に従って展開している。

戦争は何十年も前から画策され、権力と富の獲得はもちろん、国家や生来のエリートたちの破滅、人口減少、士気喪失を成し遂げるために着々と組織されている。

ハレットによれば、スターリンもイルミナチイの「戦争工作員」であり、彼は1907年にタヴイストック心理作戦訓練学校へ通った。

クリフォード・シャツクはスターリンがロスチャイルド家の非摘出子であったともはのめかしている。

ハレットはヒトラーの死が偽装で(替え玉が殺された)、彼はバルセロナヘ逃れ、1950年に胃癌で死ぬまでその地で暮らしたとしている。

グレッグ・ハレットは異端児で、まとまりのないその著書は残念ながら重複と脱線に満ちている。 今のところ、私はハレットの主張を全面的に信用するつもりはない。

しかし、彼は強引とも言える一方で、一般的な認識よりももっともらしい歴史観を提示してくれた。

それを受け入れるか、拒否するかは私たちの自由として(いわゆる「判断の保留」)、様々な推論的見解を検討してみるべきだ。

第二次世界大戦はイルミナテイの目的をすべて達成した。ドイツと日本は焼け野原となった。

ホロコーストはロスチャイルドの世界政府の拠点をイスラエルに確立する動機をユダヤ人に与えた。

両陣営の理想家や生来の指導者たちは虐殺された。国々は借金を負わされた。国連は灰の中から不死鳥のごとく蘇った。ヒロシマは世界に恐怖の暗影を投げかけた。

ソ連は超大国となり、東欧を支配した。そして冷戦という次なる幕に向けた舞台が整った。

人類のこうした暗い展望を受けて、ヒトラーを中央銀行家の覇権への反対者として理想化する向きもある。

しかし、ハレットの本は、ヒトラーもまたスターリンや毛沢東と同じく、工作員だつたことを思い出させてくれる重要な資料だ。

イルミナテイは紛争を煽り、人類をそれに捕らわせておくために「敵」を支援するのである。

すべての戦争には青写真がある

ヴエルサイユ条約のインクがまだ乾かないうちに、イルミナチィはアドルフ・ヒトラーとナチスを生み出すことで第二次世界大戦への準備を始めた。

1919年以前、ヒトラーは多くのユダヤ人の友を持ち、共産主義と社会主義の両方にちょっかいを出していた政治的「殺し屋」だった。

その彼が一夜にして激しい反共産主義・反ユダヤ主義者になった、 いったい何が起きたのか。

彼は軍諜報機関の将校となった。1920年代を通して、ドイツ国防軍は密かにヒトラーと彼の党に資金を提供し、ナチ「突撃隊」の訓練を行なっていた。

私はクルト・フォン・シユライヒヤー将軍が、マックス・ウォーバーグのようなイルミナティの銀行家の中心人物だったのではないかと考えている。

実際、フランクフルトにある彼のIGフアルベンの本社は連合軍の爆撃を免れ、彼のユダヤ人の母親も戦争中ずっとハンブルクで悠々と暮らしていた。

『シオン長老の議定書』の中で、イルミナチイの銀行家である起草者は、それが彼らの目的にかなう場合は反ユダヤ主義を生み出したり、正当化したりするとしている。

「反ユダヤ主義は我々の下層の兄弟たちを監視するために必要だからである。(中略)これについてはすでに討議が重ねられてきた」(第九議定)。

ヒトラーは反ユダヤ主義がいかにして生み出されたかの一例である。

起草者はこう続けている。

「すべてを飲み込んでいく恐怖は我々が生み出している。あらゆる意見、あらゆる学説を持った者たちが我々の用を務めている。

帝政復興主義者や民衆扇動家、社金主義者、共産主義者、そして各種の空想論者が(中略)既存の株序を覆そうとしている。全世界がこれに悩まされている。

(中略)しかし、我々は彼らが公然と我々の国際的超政府を受け入れるまで、彼らに平和を与えるわけにはいかない」

新世界秩序、国際連合、欧州連合、北米連合、そして今日までのすべての戦争の背後には、明白な形での青写真がある。

しかし、銀行家たちはそれに注意を向けることが「人種差別主義」になると私たちに思わせてきた。まるでユダヤ人の多くが、彼らの邪悪で忌まわしい陰謀の意識的な加担者であるかのようだ。

近代史は、無用の戦争を煽り、国家や宗教、民族や家族に基づく私たちのアイデンティティーを破壊することによって、人類を奴隷化しようとするこうした長期計画から成っている。

ほとんどの歴史家は買収され、アウシエビッツやグーラグ、ヒロシマ、そしてヴエルダンに関して最終的責任を負うべき連中が今も世界を動かしているという恐るべき事実を覆い隠している。

9・11やイラク戦争を招いたのも彼らである。

私たちの指導者はいかに嘘をつき、命令に従えるかといった能力によって選ばれる。紛争とは、実は同じ主人に仕えている「敵対者」の間の茶番にすぎない。

ヴエルサイユ賠償金とドイツ再軍備の秘密

ロンドンのデイリー・テレグラフ紙のE・1・デイロンは、著書『平和会議の裏話(The Inside Story of The Peace Conference)』(1920年)にこう記しているー多くの代表が「今後、世界はアングロ・サクソン人によって統治され、さらに彼らはユダヤの構成分子〔すなわち中央銀行家とその雑用係〕に支配されている」と推測した。

イルミナチイの世界支配に向けて英国と米国を利用する上で、ドイツは大きな障害だった。 そこで、より破壊的な世界戦争を新たに引き起こすため、重い賠償金が課せられた。

いったんそれが始まると、英国はヒトラーの暗殺や政権転覆の試みを拒否し、「無条件降伏」を主張した。

ヒトラーが権力の座に就いたのは1933年だったが、ドイツはヴエルサイユ条約に違反して1919年に再軍備を始めていた。

空軍や機甲師団、化学戦のための専用部隊を含めて、共産党とドイツの兵士がソ連で最新兵器による訓練を行なうという計画に連合国は目をつぶった。

ヒトラーが1933年に政権を握ったとき、ドイツはすでに高度な空軍戦力を有してていた。

ヴエルサイユ条約を逃れるためのもう一つの方法は、ドイツ国防軍が、後に正規軍に組み込まれたナチ突撃隊のような準軍事的組織に資金を提供し、訓練を行なうというものだった。

クルト・フォン・シエライヒヤー将軍、カール・マイル大尉、エルンスト・レーム大尉はこの「不正なドイツ軍」を任されていた。

デイリー・エクスプレス紙のベルリン特派員だったセフトン・デルマーは、自伝『邪悪な爪痕(Trail Sinister )』(1961年)でこれについて書いている。

彼はヒトラーが 「弱小のドイツ労働者党に入り、それを増強し始めたとき、マイルの命令下で行動していた」ことを示す文書に触れている。

デルマーによれば、マイルはヒトラーがユダヤ人を激しく非難する大集会や小冊子にも資金を提供していた。「こうした反ユダヤ主義運動は(中略)ドイツ国防軍の幕僚にも劣らぬ権力

者によって促されていた」

ドイツ国防軍の目的は、第二次世界大戦に対する国民の政治的支持を生み出すことだった。 デルマーによれば、「シユライヒヤーはドイツ国防軍の機密費から二〇〇万ポンドもの金をナチ突撃隊に払った」。彼らはまた、イルミナチイの実業家や銀行家からも資金を得ていた(ベルリンで生まれ育ったセフトン・デルマーはヒトラーを個人的に知っており、幅広い秘密情報源を持っていた。戦争中、彼は英国の「偽情報」を担当し、ドイツ兵向けに様々なラジオ局を運営した)。

プーチン、アハマディネジヤドも祭り上げられた偶像

共産主義・ナチズム・シオニズムは、人類を騙し、操るためにイルミナチイによって考案され、推進された三つ揃いの運動である。

ブレーメン大学の歴史学教授であるロータル・マハタンは、著書『ヒトラーの秘密の生活』で、ヒトラーが1918年に共産党へ入ろうとしたと述べている。

ヒトラーは働かなくても済むように党内での幹部の地位を望んだが、拒否された。

「ヒトラーは極右陣営に参加する以前、左翼グループヘの参加を希望したが認められなかった」と、マハタンは書いている。

イアン.カーショーによれば、ヒトラーは1918年から1919年にかけて親社会主義・共産主義のデモに参加し、社会主義兵士評議会の代表を務めていた(『ヒトラー:1889年1936年(Hitler :1889-1963)』)。

ブリジット・ハーマンによれば、戦前のウィーンでのヒトラーの親友はユダヤ人だった。 彼はユダヤ人に慈善やもてなしを受け、自分の絵画作品のはとんどを買ってもらった。

このため、真の反ユダヤ主義者たちは彼に寄りつかなかった(『ヒトラーのウィーン‥独裁者の見習い期間(Hitler's Vienna: A Dictator's Apprenticeship)』)。

ハーマンはアーリア人の純血や優越性というヒトラーの思想がユダヤ教に基づいていたとして、ヒトラーの次のような言葉を引用している。

「モーセを通して、ユダヤ人は生涯にわたる生き方の掟を授けられ、それは彼ら民族の本質に合致した宗教へと昇華された。

そこには信仰をめぐる教義や怪しげな規則は一つもなく、あるのは彼ら民族の幸福に役立つもののみで、他の民族への配慮はない」

ヒトラーが新世界秩序に抵抗したとする見方から、彼を評価する向きもあるようだが、実際は、ヒトラーは新たな戦争を始めるためにイルミナテイが生み出したものだ。

人々は現在、プーチンやアハマデイネジヤドのような指導者に期待を寄せているが、彼らもヒトラーと同様、目に見えない手によって権力の座に祭り上げられた無名の人物だった。

私たちに真の政治的(あるいは文化的)指導者など一人もいない。いるのはイルミナチイの手先だけだ。

人類の歴史は同じことの繰り返しである 少数派が多数派を犠牲にして富と権力のすべてを独占しようとし、大量殺戦が行なわれる。

どれほど愛想よく振舞っても、それは結局、元の形に戻るだろう。

『わが闘争』口述筆記タイプライターの秘密

象徴的な細かい要素がときに多くを物語ることがある。

ドイツ最大の銀行であるドイツ銀行の総裁エミール・ゲオルク・フォン・シユタウスは、ヒトラーにレミントン製のポータブル・タイプライターを貸し、ヒトラーはそれを使って

あの悪名高き反ユダヤ人銀行家宣言、『わが闘争』を書いた。

ナチスの第1の資金調達者であったフォン・シユタウスは、ロスチャイルド家の長年の仕事仲間でもあった。

ヒトラーが『わが闘争』をタイピストのルドルフ・ヘスとエミール・モーリスに書き取らせたのは、1924年4月から12月にかけての8力月、ランツベルク刑務所で快適な滞在生活を送っているときだつた(彼の五年の刑は減刑され、眺めのいい二間続きの部屋で差し入れや面会も許されていた)。

フォン・シユタウスは裕福な後援者からなる「ヒトラー支援グループ」の一人だった。ピアノ製造業者の妻であるヘレーネ・ベヒシユタインはヒトラーの養母を装い、その原稿の一部をこつそり持ち出した。 彼女はヒトラーの生計をすべて引き受け、彼が娘のロッテと結婚してくれることを望んでいた。

鉄鋼連合の議長フランツ・ティッセンは、ヒトラーの誕生日に10万マルクを贈った。

ベルギーの作家スタン・ラウリセンスによれば、この話はルドルフ・ヘスが妻に宛てて書いた手紙に基づいている(『ヒトラーに盗まれた第三帝国』)。

それは草の根の弱小政党を率いていた一九二四年のヒトラーに対する私たちのイメージと矛盾する。実際、彼はそれに反対するふりをしながら、国際銀行家の看板役だった。

ナチズムと共産主義は、いずれもイルミナティの銀行家がでっち上げた偽りの反対勢力だった。

私たちを次なる世界大戦へ向かわせようと、貨幣を発行する連中があらゆる戦争の背後で糸を引き、両陣営を操っていることを忘れてはならない。

悪の連環=ドイツ銀行、シユタウス、ロスチャイルド家

ドイツ銀行がヒトラーを生み出す手助けをしたのは、彼が戦争の利益を象徴していたからだ(支店長や重役はナチスに属していた)。

第二次大戦中、ドイツ銀行は占領下の国々の銀行や産業、「アーリア化された」ユダヤ系企業やユダ人の預金口座を支配し、莫大な利益を得た。

ドイツ銀行の総裁になる前、フォン・シユタウスは同銀行が所有していたルーマニアの石油会社ステアウア・ロマーナの責任者だった。

また、石油カルテルである欧州石油連合の最高経営責任者でもあった。 欧州石油連合は、「その生産物によって最大限の利益を得ることを目的とした実業家の国際組織」だった。

欧州石油連合はロスチャイルドの利益、ノーベルの利益、そしてドイツ銀行の利益を代表していた。 もちろん、後者の二つにはロスチャイルド家の利益も含まれていたはずだ。

ナチスの政権掌握後、フォン・シユタウスはドイツ銀行と関係のあったダイムラー・ベンツやBMWといったドイツの主要企業で戦争の根回しを行なつた。

ある研究者はシユタウスを、「歴史研究で正当な扱いを受けることはめったにないが、ワイマールおよび国家社会主義時代における謎めいた人物」と表現している。

彼はナチスの主要な支持者でありながら、ナチスの党員になつたことはなく、「ドイツ銀行の同僚オスカル・ワッセルマンのような財界のユダヤ人有力者とつねに良好な関係を保っていた」(デーヴイツド・バンキア編『ドイツの反ユダヤ主義の深みを探る(Probing the Depth of German anti-Semitism)』2000年)

にもかかわらず、シユタウスはユダヤ人の資産、さらにはずっと昔に改宗し、姻戚関係になったユダヤ人の資産さえもアーリア化することに手を貸した。

ユダヤ人のなかにも内と外、つまり、イルミナテイかイルミナテイでないかの二種類があったようだ。

銀行家にとって戦争は「金の卵を産むガチョウ」

戦争は人類を大量に滅ぼし、堕落させ、奴隷化しょうとする銀行家の長期計画の最重要項目であり、それは彼らの不正な世界的信用支配を守るために不可欠とされる。

この論理から、「革命」の真の意味、そして彼らがなぜ戦争を「革命的」と考えるのかがわかる。

人類が窮地に立たされているのは、少数グループに金儲けのシステムを奪われたからである。

これは金(きん)取引業者が、自分たちが金を保有していなくても債券という形で資金を手にできると気づいたときに始まった。

彼らは銀行家となり、簡単な簿記によって手持ちの資金以上に債券を発行することもできると考えた。

彼らはこの「金の卵を産むガチョウ」を利用して、世界の富を支配し、その従犯者に行政やマスコミ、教育を任せた。彼らは国家政府が彼らの印刷する紙幣を保証するように手配した。

戦争はこうした状況から私たちの気をそらし、私たちを堕落させ、非人間的にして、負債と利益を増大させようとするものだ(銀行家たちは当然、公債をもっとも信頼している)。

中央銀行家たちは社会主義も好きだ。彼らはその金で人々を買収し、年季奉公の契約を結ばせる。

ウッドロー・ウイルソンはこうした「金権」の手先だった。

しかし、みずからの魂を救済するため、彼は米国の実業家たちが「あまりに組織化され、あまりに巧妙で、あまりに用心深く、あまりに複雑で、あまりに徹底的かつ広範囲である」ために、声に出しては言えないような「どこかの勢力」を恐れていると言った。

ウイルソンは実際、この勢力について次のように語った。

「この国の重大な独占とは大規模な信用の独占である。偉大な先進国はその信用組織に支配されている。

そのため、国家の発展や我々のあらゆる活動は、真の経済的自由を抑圧し、妨害し、破壊する少数の者たちの手中にある」(ロバートソン『人類生態学(Human Ecology)』)

「対テロ戦争」を含めて、戦争は中央銀行家による富と権力の独占を守るために世界的警察国家をつくり出そうとするものだ。

そのために誰が選ばれるとしても、彼らは中央銀行家の配下にすぎない。

フリーメイソンもビルダーバーグも、イユズス会もシオニストも、その背後で権限を握っているのは銀行家である。

彼らが私たちの信用を利用して金儲けするカを手放さないかぎり、人類に明るい未来はない。

その間、私たちの生活は戦争でも何でもない、一連の馬鹿げたでっち上げによって左右される。

ヒトラーを利用した副総統ボルマン

ナチス・ドイツでヒトラーに次ぐ権力者だったマルチィン・ボルマンは、ドイツとヨーロッパのユダヤ人の両方を破滅に導いた「ソ連の(つまり、イルミナテイの)」工作員だった。

そのため、彼はイルミナティの主要目的の二つを推進した

一つはドイツの国家的・文化的・民族的権威を失わせることによって同国を世界政府に統合すること、もう一つはヨーロッパのユダヤ人を根絶すると脅すことによってイスラエルを世界の中心地として確立すること。

イルミナティは、ユダヤの金融一族と英国・米国・欧州の上流階級とが結婚や金脈、オカルト信仰(フリーメイソン)によって結びついた緩やかな同盟である。

ウインストン・チャーチルは片親がユダヤ人のフリーメイソンで、この説明にぴつたりの人物である。

彼らは互いに連動する巨大なカルテル(銀行、石油、製薬、軍需、化学、鉱産、マスコミなど)を所有し、企業組織や職域組織、マスコミ、教育機関、秘密結社、シンクタンク、財団、そして諜報機関を通じて社会や政府を支配している。

彼らの目的は「世界の富を吸収すること」(セシルローズの言葉)であり、宣伝や教育、社会工学を利用してその市民を統治することである。

国家(英国、米国、イスラエル)、運動(シオニズム、社会主義、ナチズム、共産主義)、そして国民(米国人、ドイツ人、ユダヤ人)は、世界独裁に向けた彼らの誇大妄想狂的陰謀の犠牲にされる手先である。 ボルマンの経歴は、彼らがこの長期目的を進めるためにいかに戦争を画策したかを物語っている。

マルチイン・ボルマン(1900~没年?)はヒトラーの給与小切手にサインしていた。

彼はナチスのまとめ役であり、経理部長であり、給与支払い担当官であって、その有力組織を動かしていた。彼はナチスに資金を提供していたイルミナチイの銀行家や実業家との窓口だ。副総統およびヒトラーの秘書として、彼はその肩書き通りの役割を務め、ヒトラーの行動を管理した。

ヒトラーはボルマンを遺言執行人に指名していた。

1972年、ラインハルト・ゲーレン将軍(ドイツ軍対ソ連諜報部長)は、ナチスの多くの上級将官や幹部に一致した見解として、ボルマンがソ連のスパイだったと明かした。

そこから示唆されるのは途方もないことだ。ウインストン・チャーチルの言葉を思い出してみよう

「この戦争はヒトラーや国家社会主義に対するものではなく、ドイツ国民の強さに対するものであり、それがヒトラーの手にあろうが、イユズス会の司祭の手にあろうが、最後には全

滅させる」(エムリス・ヒューズ『ウインストン・チャーチル、戦争と平和におけるその生涯(Winston Churchill, His Career in War and Peace)』)

ナチスが組織され、第二次世界大戦が展開されたのは、ドイツ国民の道徳的信用に致命傷を負わせ、彼らを邪悪な罠に陥れるためだった。

『ボルマン友愛会(The Bormann Brotherhood)』(1972年)の中で、著者ウイリアム・ステイーヴンソンは、ボルマンにとって「ドイツの行く末はもっとも優先順位の低いものだった。

彼はそれよりもナチス哲学に基づいた未来に関心があり、それはナチスの略奪によって資金を得、個人的忠誠によって結びついた友愛会に支えられていた」と言っている。

これが新世界秩序なのだろうか。

次なる世界戦争が、今度は米国を弱体化させるために画策されるだろう。

私たちはイルミナテイの仲間のジョージ・W・ブッシュとウラジミール・プーチンの間で生み出された「対立」に、その戦争の概要をすでに見ることができる。

「50個師団ほどに役に立つ男」ボルマン

イルミナテイは私たちにそう信じさせようとしているが、ボルマンが戦火に引き裂かれたベルリンで死んだというのは疑わしい。

中立国で750社もの会社を設立して、ドイツの存続に備えた男が、みずからの逃亡への配慮を怠ったはずはないだろう。

実際、旧ソ連がボルマンを救出し、モスクワで彼を重用したという報告もあれば、南米に逃れたとする報告もある。

二度のピユリッツアー賞を受賞したルイス・キルザーは、著書『ヒトラーの裏切り者(Hitler's Traitor)』(2000年)で、「ボルマンがソ連のスパイだった」と主張している。

キルザーは「ヴエルテル」と呼ばれるスパイとモスクワとの通信を調査し、この情報にアクセスできたのはボルマンだけだったと断定した。

ボルマンは後世に記録を残したいとして、ヒトラーの戦争会議を速記者に書き取らせていた。

ソ連はナチスの意図や防衛力について非常に詳細な質問をすることができた。

その結果がスターリングラードやクルスクでのナチスの決定的敗北だった。「ボルマンは50個の赤軍師団と同じくらいロシアの役に立っていた」とキルザーは書いている。

「ボルマンがスターリンにとって意味を持つようになったのは早い段階だった。1941年、ドイツはウクライナの何百万人もの民族主義者を利用してソ連の支配を破ることができたのに、ボルマンは彼らが『奴隷化と人口減少』にしか値しないと断言した。

(中略)ドイツの虐殺か、ソ連の政治的支配かを迫られたウクライナは生き延びる道を選び、そうすることによって、容易に征服できると思っていたドイツの期待を破った」

ボルマンはスターリングラードでのナチスの敗北を、イルミナティの第二の目的であるユダヤ人撲滅の口実として利用した。

ニュルンベルク裁判の検察官の言葉を借りれば、ボルマンは「飢餓、堕落、略奪、そして撲滅の計画における原動力」だった。彼はぞつとするような詳細からヒトラーの目を遮り、

ヒムラーがその話題をヒトラーと話し合ったり、報告書を提出したりするのを妨げた。

「ウクライナ人やユダヤ人に関するボルマンの役割は、彼が第三帝国に与えた壊滅的影響のごく一部にすぎなかった」とキルザーは書いている。

彼はドイツ経済を「総力戦」体制に移行させようとしたアルベルト・シユペーアの企てを、それが手遅れになるまで阻んだ。

「ボルマンの影響力は国家に大惨事を招いた」とシユペーアは締めくくつた。

キルザーはボルマンを操っていた多くの人物を紹介しながら、彼とソ連諜報機関との接触について詳細に記している。

ボルマンの愛人の一人だったマリー・ルバッハ・シユパンゲンベルクは、ドイツの共産主義地下組織で活動していた。

ただ、「ヒトラー自身が裏切り者だったのか」という疑問は残っている。

彼もイルミナチイの手先だったのか。 キルザーはヒトラーが仲間内の意見の対立に驚くほど寛大だったとして、「反逆の文化」を奨励していたと述べている。

ヒトラーはボルマンの役割に気づき、騙されたふりを続けたのだろうか。答えはまだ模索中だ。

ニューヨークの出版社が黙殺した秘密暴露本

ウイリアム・ステイーヴンソンは適切な結論を提示しているー「ボルマンは秘密権力の代理人だった。

人間としての条件を乱された我々にとって、民主主義という装飾は、(中略)秘密主義の生じるところに真の権力が生じること(中略)を隠すための危険なカムフラージュにほかならない。 マルチイン・ボルマンは(中略)絞首刑を免れる程度に(中略)秘密権力を持っていた」

ルイス・キルザーの著書『ヒトラーの裏切り者』はカリフォルニア州ノヴアートの小さな出版社から刊行された。

これはイルミナチイの銀行家に支配されたニューヨークの大手出版社が、ナチスと同様、ボルマンの秘密を伏せておきたかったということを示す。

支配的エリートが邪悪な秘密結社を組織し、人類への陰謀を企てる世界に私たちは住んでいる。

彼らは米国国璽にある未完成のビラミッドの冠石が象徴する「新世界秩序」を打ち立てようとしている。

その象徴はあちこちに配されているが、私たちはそれに注目も抵抗もしないことになっている。

彼らの成功は、私たちがいかにその象徴を無視し、文明を裏切り、この悪の元凶をはびこらせる かに懸かっている。