12 生命の進化は「操作」されている

論議の中心となるのは進化の問題と、この宇宙における人間の位置と役割についてである。

科学者の説は、どれもみなノーベル賞学者ジャック・モノー※1が「偶然と必然」と名づけた観念に全面的に依拠している。

宇宙はどこから生じたものでもなく、またどこに行き着こうとしているわけでもない。偶然こそは唯一の導き手であり、目的性はまったくないというわけである。

生命もまた偶然に発生したものだ、と生化学者は考えている。

超新星※2によって解放された分子群は、星の胞子の役割を果たすわけだが、この分子群の中には自己構築の能力を有する元素が存在している可能性があるのだ。

星が冷却しはじめ、火山の噴火ガスによって原初の大気が形成されると、やがて生じる放電現象によって、蛋白質をつくることの可能な有機酸が自然発生してくる。

それを最初に証明したのはミラーだが、その後も種々の実験がくり返された。

そして地球の原初の状態に近い条件下では、生物界の蛋白質に近い分子が生成可能であることが証明された。

この間題については多くの解説書が世に出ているので、ここで歴史的経緯を逐一説明するようなことはすまい。

科学者はいくつかの連環※3が不足していることは承知のうえで、生命の自己組織化のある種のプロセスを解明しえたと考えている。

自然は偶然の作用により、単純なものから複雑なものへ、無機的なものから有機的なものへ、物質から生命へと移行したというわけだ。

だがそれにしても分子群がいつ生命組織の地位を獲得したのだろうか? この点については科学者も現段階では答えようはないが、いずれそれも解明できるものと考えている。

次に自然選択の作用によって進化の現象が生じることになる。動物には意識があるのだろうか? 誰も答えられない。

人間には確かに意識があるが、そもそも意識とは何か? これもやはり答えは得られていない。

人間の、そして一般的に言って生命と呼ばれる現象の目的とは何か? 科学者の胸中にある答えは、「目的などない」というものである。

彼らは生命をあくまでひとつの現象として研究の対象にすることに徹しているのである。

科学者は大別して神を信じる者と信じない者との二つのグループに分かれる。無神論者にとっては問題は簡単明瞭である。生けるものが存在し、人間が存在する。

それ以上でも以下でもない。死後には何もない。生命以前にもやはり何もないのである。

神を信じる者は、形而上学的な体系を自分なりに選択することになる。こうして科学者の中にも理神論者や一神論者やヒンズー教徒や仏教徒などが存在することとなる。

だがこの場合でも信仰と科学は両極に対峠しているものであり、混同は許されない。生命には初めから目的があるという考え方はいずれにせよ排除される。

進化については結局ネオダーウィニズムが主流を占めることとなる。

とはいえ疑念を抱いている科学者も少なくない。たとえ進化のプロセスが非常に緩慢で、じっにおびただしい世代交代を要するものだとしても、「生命の創成」はそれでもなお

驚嘆に催する現象なのだ。ほんとうに偶然というものはかくも創造的なものなのだろうか。

それではわれわれはどんな見解を抱くべきなのだろうか。

ユミットの手紙を作成した人たちは、徹底した合目的論者である。

たとえば自然が宇宙線による突然変異だけで、これほど複雑な構造物をつくりあげられるものでは決してない、とユミットは主張する。

手紙にある数少ないイメージのひとつをここで援用すれば、単なる偶然だけで生物をつくるなどというのは、猟銃をやみくもに乱射して大理石を削り、パルテノン神殿の装飾レリーフを

完成するようなものだと言うのだ。

それでは生命は「操作」されているのだろうか? だが何によって?

ユミットの答えは次のとおりである。

世界は二つあり、二つの宇宙が、二つの構造がある。

ひとつはわれわれの、五官で感知しうる四次元の宇宙であり、われわれが認識している、もしくはそのように思いこんでいる宇宙である。

そしてもうひとつは言わば次元の枠外にある構造である。つまり異なる次元において構造化された「あの世」が存在するのである。

ユミットが、宇宙は四次元ではなく10次元だと言っていることは前にも述べた。そうすると宇宙空間とは「この世」と「あの世」というこの二つの構造全体を指すものと考えられる。

しかもこの二つの構造が互いに独立して存在しているわけではないと推測されるのだ。

だとすればまず何よりも問題なのは、物理的な構造と超物理的構造※4のこの二つの空間が、どのようにして交流しているのかを究明することである。

超物理的構造はある意味では物理的構造を操作し、主導理念に基づいてそれを意のままに組織している可能性がある。

つまりわれわれの宇宙の背後には理念がつきまとっているのである。生物にはその橋渡しの役目をする原子構造が備わっており、それはハイゼンベルクの不確定性原理を無視している

と言っている。

生物のプロトタイプは原初のスープ※5から形成された。その後何らかの作用によってこれらの組織が、突如として「あの世」と結ばれた「生物」に変成したものと思われる。

「この世」はエントロピー※6の世界である。「あの世」は非エントロピーの世界である。その意味ではこの第二の宇宙は「この世」に情報を注入していることになる。

生命ある構造はすべからく、ちょうどコンピューターのメモリーにおけるサブプログラムのように、「あの世」においては「図面」として存在するのである。

「あの世」は時たま指令を出すわけである。

この超物理的構造には様々なレベル、様々な層があって、一種のヒエラルキーが構成されている。つまるところひとつの惑星に対して、それを統括する構造が存在しているのである。

ユミットの手紙ではこれに複雑な名前がついているのだが、ここでは単に「あの世」としておこう。もちろんこれは仏教でいう浄土とは異なるものだ。

ユミットはこの「あの世」が、ある意味では地球の進化を司っているのだと言う。

とはいえこの生命操作はさほど厳密なものではなく、単に進むべき方向を指示するのにとどまっている。

例をあげて説明することが許されるならば、まず生物の姿形をしたロボットの一群が、地球の外側の、たとえば楕円軌道にあるコンピューターに操作されているところを想像して

いただきたい。

コンピューターのメモリーには、具体化可能な生物の「図面」がすべて記憶されている。

ある惑星で最初の生命体が出現するのは、「あの世」の指令によるものである。

やがてこれらの生命体は惑星の地表に生活しながら、超物理的構造である「あの世」に逆に情報を送り出すようになる。あらゆる生物の感覚器官は「あの世」の「目と耳」なのである。

先ほどのロボットにしても然り。様々な種類のセンサーによってピックアップされた情報は、軌道の情報センターに向けて発信される。

そしてこれらの生物が次第に自立していくに従い、進化が始まる。進化のプロセスがスムーズに行われるには、ある程度の自由が必要なのである。

自立のためには記憶能力の出現が前提となるが、これはきわめて早い時期に実現されている。

ごく原始的な生物ですら、学習能力があるのである。たとえばそれは植物の屈光性の獲得となって現れる。

ユミットは、ウニにはエサのところに行く道筋を記憶する能力があるとも言っている。

おそらくはこの段階で初歩的な地形記憶能力の可能性が開かれたのであろうが、正確なところは今後の検証を待たねばなるまい。

原始生物はある意味では、「あの世」に自分たちの「イメージ」を持っているのであり、「あの世」はこれらの生物に対し、少なくとも部分的にはおおよその方向づけを行っている。

生物たちはたとえば自分たちの生活圏の変化に直面して、身体的行動的に適応ができなくなると、「あの世」に報告を送り、指示を待つことになるのだ。

だが地球の科学者たちはこれとは反対に、突然変異が起こるのは単なる偶然にすぎないと考えている。

突然変異によって、遺伝的には異なるが環境への適応性は優れた一個または複数個の個体が生じると、自ずとそれが生態的地位を少しずつ獲得して大勢を占めていくというわけだ。

ユミットは言う。それは間違いだ、「あの世」が突然変異をコントロールし、情況に応じて的確な指令を下しているのだと。

カニの一種が、上手に偽装するために体の色を変えてしまう複雑なプロセスを説明している手紙もある。

この手紙にはもちろん検証のしようもないのだが他にも様々なことが報告されている。

たとえば情報の伝達媒体としての重力波の、きわめて重大な役割について。

重力波は細胞質の水分から生じて細胞核に向けられるのだが、この水分もやはり非常に特殊な記憶の役割を果たしているそうなのだ。重力波の送受信システムについては、われわれは

何も知らない。

今のところ重力波は測定することも発生させることもできないのだ。

地上の天文台は長年にわたってこの重力波の探知に精魂を傾けているが、未だに純粋理論物理の域を出ていないのが現状である。

フランスの科学ジャーナリスト、ジエラルド・メッサディエは『科学と生命』誌にこう書いている。「水のように単純な分子に記憶能力があるなどということがありえようか。

まったく馬鹿げた話である」

よろしい。だがそれではなぜ水は常温では液体なのか? アンモニア、メタン、炭酸ガス、硫酸無水物など、水と同じ分子量の分子はどれもみな気体状なのが通常である。

だが水だけは100度もの高温になるまで液体のままである。 これは自然の、物理化学の大いなる謎のひとつである。

なのにわれわれの身体は地球上で最もありふれたこの液体でできている。なぜ水が液体なのかを未だに解明できないでいるのは、何としても許し難いことではなかろうか。

世界中のどの大学でも、いわゆる「水素ブリッジ」※7による連結が機能しているのだという、一種のごまかしの理論が講じられている。

しかしミラノ大学の理論物理学者プレパラータやデル・ジウディッケらは、流体力学に基づいた水の液体状態のモデル構築においては世界の最先端を行きつつ、

水素ブリッジによる連結角度は一五度にすぎない点を強調している。

なのに同じこれらの分子が常温で狂ったような旋回運動を行っているというのである。したがって水素ブリッジによって隣接する分子同士が結合するのは不可能なのだ。

水の問題は重要かつ深刻であり、決して無視できるような性格のものではない。

ユミットによれば、水は生命体のプロセスにおいて非常に積極的な役割を演じている。

水の構造は複雑であり、情報を蓄積したり、遠距離に発信したりする機能が含まれているそうなのだ。

生物学者の中には、パリ医科学研究所所長で免疫学が専門の、ジャック・バンヴエニスト教授のように、生命-分子同士の交流は接触によって行われるのではなく、

水という媒体を通じて行われると考える人もいる。

水は単なる受動的な希釈液として機能するのではなく、分子間の対話に積極的に参加していると言うのだ。

彼は目下、フランス科学界の抗議の大合唱を尻目に、この方向での研究を積極果敢に進めている。

その論理的帰結としては、水は宇宙空間からのものを含め、どこから発信された電磁波のメッセージでも、受信できるということになろう。

ユミットもイオン化された水素星雲の放射に相当する、波長21センチの電磁波がとりわけ重要だと明言している。

だが水とDNAという、われわれの四次元時空に存在する構造は、ユミットの「あの世」構造とは異なるものだ。

彼らの言うところでは、稀少ガス※8のクリプトンから成る原子構造が、DNA連鎖※9に取りこまれる恰好で存在しているのだ。これが宇宙空間の別の次元にあって、ある意味では生物を

操作している超物理的構造、つまり地理的な意味での「あの世」との連絡役を務めているのである。

この原子はペアになって自転運動をしており、手紙にはその回転数も明示されている。

このような見地からすると、個人や個体という観念はあまり意味がなくなってしまう。

「あの世」がひとつの種を、たとえばバクテリアを管理する場合、個体は実質的には無視される。「あの世」が管理するのはあくまで種であって、個ではないのである。

個々の生物が「あの世」に向けて送った「報告」は、ある意味では「全体報告」に組み入れられ、そこから種全体に向けてメッセージが再発信されるのである。

これが動植物界に固有の現象なのだ。「あの世」は心的現象の世界であり、そこでは人間以外の生物は集合的な種の心的現象としてしか存在しない。

人間の心的現象が意識と呼ばれるのだとすると、動物には意識がない、もしくは意識の下位のレベルを体現していると言うことができる。

もちろん動物の行動のうちには、ひょっとしたら彼らが意識を持っているのではないかと思わせる節もある。

主人がいなければ絶対にエサを食べようとはしない犬を例に取ろう。犬は主人が「好き」だから、他の人からは食べようとしないのだろうか?

主人との頻繁な接触がない場合、犬は匂いや見た目でエサを識別する。 ところが家で飼い馴らされた犬にとってはエサの定義も別ものとなってしまう。

エサとは主人が与えてくれるものであり、匂いや見かけよりも「主人の存在」 のほうが強力な信号となるのである。これは条件反射のメカニズムに近い。

たとえ動物が自己条件づけや遺伝によってある個性を持つことはありえても、人間のような自我意識はないから、それに結びついた人格は持たない。

動物が見かけは個人性のようなものを持っているとしても、それはあくまで見かけであって、死んだら消えてしまうのである。

※1 ジャック・モノー(1910〜1976) フランスの生化学者。パスツール研究所所長を務めた。

著書『偶然と必然』は、現代生化学の成果に基づき、全ての生命はランダムな突然変異(偶然)とダーウィン的選択(必然) の結果であるとする。

人間存在に目的はなく、人類は広大かつ冷淡な宇宙の中で自らの価値を選んでいかねばならないと主張する。

※2 星が急激な核融合反応により太陽の100億倍、つまり一つの銀河にも相当するほどの明るさで輝く現象。

※3 進化が段階的にではなく急激に行われた場合に、その過程がもともとあったはずだという考え方に基づく。

人間と動物の間には深い溝があるが、これは「ミッシング・リンク」と呼ばれている。

※4 フランス語ではmetaphysiqueで、普通は「形而上学」の意味だが、著者はmetaの語源「起」を意識し、物理(physique)と対比させている。

※5 地球上での生物の発生は、有機体の混ざつた状態から始まったと考えられている。この有機体の海を「原初のスープ」と呼んでいる。

※6 熱力学で物体の状態を表わす量のひとつ。物質の微視的な運動状態がどれほど無秩序かを表わす尺度であり、無秩序なものほど工ントロビーは増大する。

※7 化学結合の一種で、結合自体は、大変弱い。DNAが安定なのは、ガリバーを縛った小人の縄のように、この弱い水素結合が幾重にも重なった相乗効果によるものと思われる。

※8 希ガス元素のひとつ。大気中に存在する無色無臭の気体。放電によって紫色部にいちじるしい輝線スペクトルを示す。

※9 DNA(デオキシリボ核酸)の立体構造は、二本の鎖が螺せん状によじれ合った、二重螺せん構造である。