天壇(創建当時は天地壇)は、南京から北京に遷都した明の永楽帝により1420年、紫禁城の南に造営された。広大な庭園と松林に囲まれた中国最大の祭祀施設で、敷地面積は273万㎡に及ぶ。敷地の南辺は方形、北辺は円形をしているが、これは古代中国の思想である「天円地方」を表現したものである。
漢民族の間では紀元前より、皇帝が天地を祀る儀礼を行っていたとされるが、やがて皇天上帝(天)と皇地祇(地)の神位が設けられ、皇帝による祭天の礼(天を祀る儀式)は国家最高の祭祀とみなされるようになった。清朝を築いた満州族は、漢民族のような祭祀の伝統を持たなかったが、皇帝の政治権力や朝廷の正統性を支えるものとして、明朝の祭祀を継続した。1911年に祭祀が禁じられるまで490年間、明・清代の22の皇帝が654回、天壇で天地の神をまつり、五穀豊穣を祈願した。1918年以降は公園として一般市民に開放されている。
【建造物の解説】
敷地内には北から南に一直線に、皇乾殿、祈年殿、皇穹宇、圜丘が配置され、建物の間は南北440mの丹陛橋で結ばれている。
祈年殿は、皇帝が新年に皇天上帝に五穀豊穣を祈る祭殿であった。白い大理石の3段の円形の基壇の上に円形の堂が建ち、青い釉薬瓦(瑠璃瓦)で葺かれた3段の屋根は天空を表している(建築当初は青・黄・緑の三色であった)。堂は28本の楠の柱に支えられ、釘は一切使われていない。内部中央に皇帝の玉座があり、その左右にある4本の柱は四季を、その外側の12本の柱が12か月を、さらに外側の12本の柱が十二刻を表している。
祈年殿のすぐ北側には皇乾殿があり、祈年殿で祀られる皇天上帝と清朝祖宗8人の位牌が安置されている。
天壇の中心である圜丘は、皇帝が冬至の早朝に天を祀るための祭壇である。方形の外壁は地を、円形の壇が天を表している。白い大理石で造られた3層の壇は、同じく大理石で造られた欄干で囲まれているが、これらの欄干や階段、敷石の数は、すべて陰陽思想における「陽」の極数である9の倍数になっている。正面の階段は各階が9段で計27段。欄干は計360本あり、中国の太陰暦の1年である360日を表している。最上段の中央には、音を増幅し反響させる「天心石」と呼ばれる円石が置かれており、祭祀の際に、皇帝の声が天から降り注ぐような効果を与えたと考えられる。
圜丘のすぐ北側には皇穹宇という円形の建物があり、皇天上帝の位牌が安置されている。皇穹宇の周囲は回音壁と呼ばれる壁に囲まれ、壁に向かって小声で話しても、反対側にいる人にその声が届く構造になっている。