ムツヘタの文化財群

古都ムツヘタは温暖な気候や肥沃な土地柄から、B.C.10世紀には人類が定住していたことが証明される世界最古の都市の1つである。古くから東西交易の要衝として発展し、現在のグルジア東部にあったイベリア王国の首都となった。ムツヘタの教会群は、当時、コーカサス地域を代表する勢力であった古代イベリア王国の高度な芸術・文化水準を示すものである。

イベリア王国は、4世紀初頭にキリスト教を受容したが、これは、カッパドキア出身の修道女ニーノが奇蹟をおこし、国王ミリアンと民衆を改宗させたものと伝えられる。334年には、グルジア正教が国教と定められ、王宮の庭園(現在、スヴェティツホヴェリ大聖堂が建つ場所)に最初の木造教会が建造された。6世紀に首都がトビリシに遷された後も、ムツヘタはカトリコス(西方教会の司教・主教に相当)が居住する宗教都市として発展する。木造教会は石造りの聖堂に建て替えられ、総主教座が置かれるようになった(17世紀以降は首都トビリシに遷された)。王の戴冠式や葬儀も執り行われ、敷地内にはキリスト教を受容した国王ミリアンと妃ナナの墓がある。

現在のスヴェティツホヴェリ大聖堂は、1010年から1029年にかけて建てられ、15世紀のティムール帝国の侵攻によって損傷を被った後、修復されたものである。その後、17世紀と19世紀にも改築されている。内部は当初、フレスコ画で覆われていたが、その後、絵画の上に漆喰が塗られたため、現在、絵画は断片的にしか見ることができない。また、19世紀にはロシア皇帝のニコライ2世によるコーカサス遠征により、装飾品や備品などが徹底的に略奪された。

丘の上に立つジュワリ聖堂(十字架聖堂)は、聖ニーノが異教徒の神殿が有った場所に十字架を立て、祈りを捧げたという伝説に由来し、グルジアで最も神聖な場所と考えられている。6世紀半ば、十字架が立っていた場所に8.3m×5.5mの十字架の形をした小さな聖堂が建てられ、間もなく、その十字架の東西南北の先端に半円型の空間が増築された結果、聖堂は四つ葉型(テトラコンチ型)となり、20.2m×16.25mに拡大した。グルジアでは、この四つ葉型の教会の形状が聖堂建築のモデルとなってきた。また、南側の出入口の上の半円型の壁(ティンパヌム)に彫られた、十字架を掲げた2体の天使のレリーフは非常に有名で、他の教会のレリーフや壁画などにも、これを真似た図柄がみられる。

また、ムツヘタの郊外には、現存する修道院の中ではグルジア国内で最古とされる聖シオ修道院がある。修道院は、アッシリア出身のシオ修道士が、6世紀、山中の洞窟で暮らしたことに起源を持ち、岩肌と一体化したような建物が特徴的である。建物内の天井には、青い空と星が描かれている。

参考文献