カイロ歴史地区

 エジプトの首都カイロ存在する旧市街地の建造物等の群。大きくオールド・カイロとイスラム地区に分けられる。この地にははじめイスラム帝国により7世紀にフスタートが建設され、その後フスタートを含む形で徐々にカイロが発展していった。カイロはファーティマ朝(10-12世紀)、アイユーブ朝(12-13世紀)、マムルーク朝(13-16世紀)において首都となりさらなる発展を遂げ、現在では西側に新市街が建設されている。

 オールド・カイロはカイロでもっとも古い地区であり、フスタートの遺跡に加えローマ時代の要塞やコプト教会、ユダヤ教のシナゴーグなどイスラム勢力の到来以前の建造物も残されている。ベン・エズラ・シナゴーグではゲニザと呼ばれるユダヤ人の文書の保管庫が発見され、貴重な資料を提供するものとして近年研究が進められている。

 他方で旧市街はファーティマ朝期以降に発展した地区で、現在においてもイスラム最高権威機関であるアズハル大学に加え、サラディンの築いたシタデルやアル・フセイン・モスク、ムハンマド・アリーモスクなど多数のイスラム建造物が存在している。

 また旧市街のシタデルの周辺には無数の墓地が集まる「死者の町」と呼ばれる地区がある。同地にはフスタートの時代から王侯貴族の霊廟や庶民の墓が多数築かれており、墓の管理を行う人々も暮らしている。加えて近年には、カイロの発展に伴う住宅不足により死者の町に住むことを余儀なくされている人もおり、社会問題とみなされることもある。