キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群

タンザニア南部・リンディ州の沿岸に位置するキルワ・キシワニ島とソンゴ・ムナラ島の二つの小さな島に残された遺跡によって構成される世界遺産。アラブ・ペルシャ地域とのインド洋交易によって栄えたスワヒリ海岸のイスラム文化を現在に残している。キルワ・キシワニ島は、モロッコ出身の旅行家イブン・バトゥータの旅行記や、イギリスの詩人ジョン・ミルトンの「失楽園」にも言及があり、さまざまな記録が残されている一方、ソンゴ・ムナラ島の記録は少ない。

◆歴史

キルワ・キシワニ島には、10世紀半ば、現在のイランからこの地にやってきたスルタンの子孫が定着してキルワ王国を建国し、12世紀から15世紀までアラブ・ペルシャ地域との金銀、陶器や奴隷貿易で栄えた。17世紀までにアラビア風のモスクや宮殿、要塞など、多くの石造建築物がつくられた。しかし、ヨーロッパ市場における金価格の低下やポルトガルの侵攻によって王国は衰退し、19世紀にはポルトガルを破ったオマーン勢力によってキルワ王国は完全に消滅した。

キルワ王国の滅亡後、多くの建築群は埋もれてしまっていたが、1950年代から60年代にかけ、イギリス発掘チームの考古学的研究によりその普遍的価値が明らかにされ、1981年に「キルワ島及びソンゴ・ムナラ島の遺跡群」としてタンザニア初の世界文化遺産に登録された。

◆遺跡群

遺跡群にはモスク、宮殿・住居、砦、墓地などが含まれる。例えばキルワ・キシワニ島には12世紀に建てられた大モスクをはじめ、フスニ・クブワ宮殿や牢獄要塞が残る。また、墓地は祖霊信仰と結びついた祈願所として現在でも地元住民の聖地となっている。しかしタンザニア自然資源観光省は遺跡を保護するため、遺跡のある一帯を「世界遺産地域」に指定し保護活動や観光開発を行なっており、この地帯に住む住民たちの実際の日々の生活や信仰実践が阻害されている側面があるという。一方、ソンゴ・ムナラ島にはアラビア人居留地や五大モスクの廃墟がある。

「キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群」は、建造物の崩壊につながる劣化が進んでいることから2004年にユネスコの「危機遺産リスト」に登録されたが、タンザニア政府主導で修復が進められた結果、2014年には危機遺産リストから除外されている。

参考文献

中村亮(2017)「隠された文化遺産——タンザニア南部キルワ島の世界遺産をめぐる観光と信仰」飯田卓編『文明史のなかの文化遺産』臨川書店、pp.97-119。