バガンは、2019年に登録されたミャンマーで二番目の世界遺産であり、カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールと並んで世界三大仏教遺跡の1つに数えられている。ミャンマーの中央部、エーヤワディー川の中流域に広がる約40㎢の広大な原野に、約3000の寺院や仏塔が建ち並ぶ光景は、11世紀中頃から13世紀にかけて栄えたバガン王朝の仏教美術と仏教建築の意匠を今に伝えるとともに、仏教へのコミットメントの強さを物語っている。また、それらの登録遺産は、国民の80%以上が仏教徒といわれるミャンマーにおいて現在でも多くの人々に信仰され、参拝されている。そのため、ユネスコの求める遺跡の保存体制と、現地住民の望む寺院の修復・発展との間に意識の差があり、世界遺産登録が長引いた経緯がある。
【バガン王朝】
ミャンマー最初の統一王朝。王たちは上座仏教を篤く信仰し、王朝が栄えた11世紀中頃~13世紀の間に多くの寺院や仏塔が建てられたことから、「建寺王朝」とも呼称される。
バガン王朝が栄えた11~13世紀に建設された仏教建築群が、城壁で囲まれた考古学保護区オールドバガンと、その周辺に広範囲に点在している。
【バガンの仏教美術】
ミャンマーの美術史上、バガン王朝の建築と美術は古典期にあたるとされる。初期の仏像はインドのパーラ王朝(9-12世紀)のパーラ様式からの影響を強く受けたものが多く、後期になるとビルマ独自の様式によるずんぐりとした作りの像が見られるようになる。また、乾燥地帯に立地するため壁画の保存状態がよく、初期には西インドから、後期にはインドのベンガルやネパールのバレーンドラ派から影響を受けたとされ、仏教美術を通して諸国との交流の様子をうかがうことができる。
また、バガンでは奉納板が多く出土しており、バガン朝の仏教美術を特徴づける信仰物と考えられる。これは10㎝程度の板に降魔成道(ごうまじょうどう、釈尊の悟りの場面)の場面を表したもので、なかには釈迦八相図(しゃかはっそうず、釈尊の生涯における降兜率(ごうとそつ)から入滅までの八大事を示した図)を表したものもある。もともとは仏塔の下におさめられており、後世にその仏塔が壊された際、発見された奉納板によって再び人々が仏教の教えに帰依するよう願ってつくられたと考えられている。
【アーナンダ寺院】
1091年、バガン朝三代目の王であるチャンジッタ王によって建立された、バガン最大の寺院。
中央には高さ約10mの黄金の仏像が4体、それぞれ東西南北を向いて並んでいる。それらは過去七仏を模しており、北は拘留孫仏(くるそんぶつ)、東は拘那含仏(くなごんぶつ)、南は迦葉仏(かしょうぶつ)、西は釈尊を表しているとされる。寺院創建当時につくられた南北の仏像はインドのパーラ朝(9-12世紀)の美術様式にもとづくもので、東西の2体は火災による消失のため現在では後世に再建された仏像となっている。
また、西側の釈尊の像の前には仏足跡があり、百八種の吉祥紋が彫られている。この仏足跡の形式と信仰はスリランカから伝えられたものと推測されており、バガンで最古のラウカナンダ仏塔出土の仏足跡はバガン考古博物館に展示されている。
寺院内部の回廊の側壁には多くの仏龕(ぶつがん、位牌や仏像などを安置しておく厨子・仏壇で、仏堂の内部の壁面に将棋の駒形状の穴を設け、砂岩製の仏像などを表した彫刻を収め入れた)があり、中には約1mの砂岩製の彫刻が収められている。これらは釈尊の生涯を表現した釈迦八相図となっており、寺院建立当時の作品である。
バガンにはその他にも、アーナンダ寺院を建立したチャンジッタ王が造営のナガヨン寺院、五代目の王ナラトゥー王が12世紀の終わりに建立したダマヤンジー寺院など様々な寺院が残っている。
【シュエズィーゴン・パゴダ】
金箔で覆われた釣り鐘形の黄金の仏塔。スリランカの王よりおくられた仏歯、鎖骨と額の骨の一部が収められていると伝えられ、バガンでもっとも篤い信仰を集めている。バガン朝初代のアノーラータ王により建設が始動し、チャンジッタ王の代に完成した。仏塔の東西南北にはそれぞれ小さな堂があり、青銅製の仏立像が安置されている。これらの像はインドのパーラ様式の影響が色濃いバガン朝初期のものとされている。
【シュエサンドー・パゴダ】
1057年に初代アノーラータ王が建立した、5層のテラスからなる仏塔。内部に仏陀の遺髪が収められているといわれ、一世紀近く経った現在でも黄金の輝きを保ち続けている。仏塔の脇にあるシンビンタラヤンという長い堂には、約18mの寝釈迦像が多数収められており、11世紀頃の作と推測されている。
・伊東照司(1985)『東南アジア仏教美術入門』雄山閣
・NHKスペシャル「アジア巨大遺跡」(最終アクセス2020年1月12日、動画・写真あり)
UNESCOのページ