雲崗石窟

敦煌、竜門とならんで中国の三大石窟寺院に数えられる雲崗石窟は、中国山西省大同から西へ約20kmの場所に位置している。大同市は、398年から494年まで北魏の首都平城として栄え、その郊外にあたる雲崗では、第5代文成帝(在位:452年 - 465年)の命により460年から石窟の建造が開始された。

北魏では、当初道教仏教がともに敬われていたが、第3代太武帝(在位:423年 - 452年)が道教に傾倒したことから仏教は弾圧の対象となっていた。これに反して、文成帝は即位とともに仏教の復興にとりかかり、高僧である曇曜(どんよう)を重用。曇曜の提言により、雲崗石窟の造営が開始されることとなった。

雲崗石窟は460年から約60年にわたって建造が続けられ、252の石窟洞に51000体を超える仏像が納められている。その景観は東西およそ1kmにわたる。なかでも460年から465年の間に造られた最古の石窟群は「曇曜五窟」と呼ばれ、5人の皇帝の姿をした仏像が掘り出されている。千仏が掘られた石窟のなかにあるそれらの仏像は、高さおよそ13~15mと巨大である。

そのほかにも、釈迦、多宝、定光、弥勒等の像が多数見られるが、当時はまだ表現様式が定まっていなかったため、比較的自由な表現がなされている。ガンダーラ様式、中部インドのグプタ様式、中央アジアの西方様式の影響も認められる。

その後、第7代孝文帝(在位:471年 - 499年)の時代に洛陽への遷都が行われ、それによって雲崗は次第に衰えていく。しかし、孝文帝もまた洛陽の郊外の龍門に石窟院を建立。石窟院の伝統は受け継がれていった。

参考文献

https://sites.google.com/site/cercreligiousculture/world-religions/buddhism/unkou/unkou1

雲崗石窟

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雲崗石窟

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雲崗石窟

https://sites.google.com/site/cercreligiousculture/world-religions/buddhism/unkou/unkou/unkou4

雲崗石窟