アルジェの近郊に位置するティパサはB.C.7世紀頃に建設された古代フェニキアの貿易拠点の1つ。その後、短期間、モロッコからアルジェリアにかけての沿岸地域を支配したマウレタニア王国(ベルベル人のマウリ部族の王国)の版図に組み込まれたが、B.C.1世紀頃にはローマの植民市となった。土地固有の民であるベルベル人のマウレタニア王国の遺跡と、植民者の文化であるフェニキア、ローマ、初期キリスト教、ビザンツの遺跡が混在しているのが特徴的。
2kmにおよぶ城壁に囲まれた遺跡内には、カピトリウム神殿、裁判所、劇場、円形闘技場、浴場跡などが縦横に広がっている。街の一番高いところに立っていた神殿には、それぞれユピテル、ユノー、ミネルヴァに奉納された3つの礼拝堂があった。
また、ティパサには3世紀には司教座が置かれており、数々の初期キリスト教関連の遺構が残されている。特に、崖の上に立つ4世紀頃のバシリカ式の大聖堂はアルジェリア最大(52m×42m)で9つの身廊を擁する。傍らにはネクロポリス(墓地群)が広がっており、葬儀に用いられたアレクサンドル司教聖堂も残る。東側の山頂には3廊式の聖サルサ大聖堂がある。これは、キリスト教が伝播する前に現地で信仰されていたヘビの偶像を海に捨てたため、怒り狂った民衆に石で打たれて殉教したサルサを記念するもので、現在も聖地として崇められている。
遺跡から2kmほど離れた場所には「マウレタニア王の墓」と呼ばれるピラミッド状の巨大墳墓が残っており、マウレタニア王ユバとクレオパトラ・セレーネの墓とも言われている。装飾に十字架に似たモチーフが用いられていることから、フランス語では「キリスト教徒の女性の墓」(Tombeau de la Chretienne)、アラビア語では「ローマ女性の墓」(Kbor er Roumia)とも呼ばれている。
なお、1970年代に遺跡のそばにホテルが建てられた後、その地下にフェニキア人のネクロポリスが埋まっていることが判明した。その後も、陶器を焼いた窯跡がある場所にアルジェリア郵政省のビル建設計画が持ち上がり、またティパサ・ニュータウンの拡大で遺跡が破壊されそうになるなど、現地の研究者は遺跡の保存に苦慮している。このような経緯から、2002~2006年にはユネスコから危機遺産に指定されていた。
作家のアルベール・カミュはティパサを繰り返し訪問し、遺跡の立ち並ぶ美しい景観を「神々の住まう」町と作中で描写した。