チャンパサック県の文化的景観にある      ワット・プーと関連古代遺跡群

チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺跡群」には、ラオス南部、メコン河中流左岸に位置する390㎢の敷地が登録されている。プー・カオ山の麓にあるヒンドゥー寺院の廃墟「ワット・プー」とその周辺を取り巻く遺跡群や、2つの計画都市、幾何学的なパターンを形作る水道施設などのよく保存された景観が、5世紀から15世紀のクメール帝国期における都市の発展の歴史を示すとともに、クメール人の信仰するヒンドゥー教における自然と人間の関係を象徴するものとなっている。

ワット・プー

プー・カオ山の麓、メコン川から約6㎞離れたところに位置する、ラオス最大のクメール遺跡。

この地には5世紀頃には既に寺院が存在していたとされ、カンボジアの真臘王国時代(6世紀後半~8世紀)には「スレーシタプラ」という都に属していたという。背後のプー・カオ山を、その頂のリンガの形をした独特のシルエットから聖山「リンガパルヴァ―タ」とし、麓の大聖堂にシヴァ神「バドレーシュヴァラ」を祀っていたという。山それ自体はシヴァの家に、メコン川は海あるいはガンジス川、そして寺院のすぐ背後から湧き出る水は聖なるものと考えられていたという。

現在残っている建物は11~13世紀の間に増築し建てられたもので、クメール人によりプラーサート(宮殿あるいは城、の意)として建設されたものである。遺跡は聖山に向けた参道に設けられ、左右に二基の回廊式の宮殿が建ち、参道を登った先に本堂が現れる。本堂は、煉瓦建ての聖堂跡があり、その前側の部分に砂岩建ての聖堂が増設された。煉瓦建ての建物は、真臘王国7世紀頃の建立と見られる。二基の宮殿と、本堂の増設された部分はそれぞれアンコール帝国期のスーリァヴァルマン1世、ジャヤーヴァルマン6世の建立と見られる。

後のラン・サン王国時代にラオ族の勢力がこの地を支配した際、この城を神聖視したことから、新たにワット(寺、の意)として上座仏教寺院に位置づけられた。そのため現在では、遺跡のレリーフにはヒンドゥー教の名残が見られる一方、祠堂には黄金の仏像が安置されるなど、ヒンドゥー教の遺跡から仏教寺院への移り変わりの歴史を垣間見ることができる


参考文献

・伊東照司(2007)『東南アジア美術史』雄山閣