古代都市スコータイと周辺の古代都市群

バンコクから北へおよそ440キロのタイ北部に存在した古代都市スコータイは、スコータイ王朝(13-15世紀)によって1238年に建設されたかつての首都である。この王朝は、カンボジアのアンコール帝国、つまりクメール族の勢力を駆逐して建国されたタイ族による初の王朝であり、「スコータイ」の名は「幸福の夜明け」を意味する。

スコータイ王朝はスリランカ上座部仏教の影響を大いに受けつつ、仏教を中心とした独自の文化や美術が繁栄したことでも知られ、例えば、弓形の眉、細長い鼻、楕円形の顔、広い肩、痩せ型、優しげな微笑などを特徴とする仏像の形である「スコータイ様式」は、頑強でどっしりとしたクメール族の仏教美術とは異なる独特の様式を持つ。また、天界から降下する釈尊の姿を模した、歩く仏像の姿(遊行仏)が生まれたのもこの時代とされる。世界遺産として登録されている「スコータイ歴史公園」、「シーサッチャナーライ歴史公園」、「カムペーンペット歴史公園」の3ヶ所には、寺院などかつての主要都市の遺跡が数多く残り、スコータイ時代に花開いた仏教美術や建築を見ることができる。

 

なかでも「スコータイ歴史公園」には、かつての王都の跡であった、東西南北に4つの門を持つ城壁に囲まれた旧市街がある。旧市街エリアの中には、公園内でも最も大きな寺院、ワット・マハタートがあるが、この寺院の中央塔堂は、四代ロタイ王の時に修復がなされ、スリランカからもたらされた仏舎利をまつるために蓮の蕾の形をした塔堂(蓮華莟塔)として作り直された。蓮華莟塔はその後、シーサッチャナーライやカムペーンペットなどの都市でも造られ、スコータイの仏教美術に特徴的な建築様式となっている。「大仏舎利寺」を意味するこの寺院は、スコータイ王朝の王権や諸王からの信奉を集めた、上座部仏教の中心的な寺院であったと言える。また城壁の外にも、北側には降魔印を結んだアチャナ仏と呼ばれる巨大な仏坐像を擁したワット・シー・チュムや、西側には12.5mの巨大な仏立像のあるワット・サパーン・ヒンなどの寺院があり、見所が多い。

スコータイ第二の都市として繁栄したシーサッチャナーライと、「ダイヤモンドの壁」を意味する要塞都市カムペーンペットも、現在は歴史公園として整備されており、これら3つの公園に残された数多くの寺院や僧院、碑文、彫刻は、スコータイ王朝時代の宗教、言語、政治、経済活動などを知る重要な手がかりとなっている。

 

スコータイ王朝はその歴史を通じ、約200年の間で9代の王により統治されたが、特に三代目のラームカムヘーン王時代は、近隣諸国への国土の拡大や、中国から学んだ陶器生産技術開発の成功(サンカローク焼)、クメール文字を元にしたタイ文字の発明など、政治・文化両面にわたり繁栄をきわめ黄金期を迎えた。彼の死後、スコータイ王朝は徐々に国力が低下したが、孫のリタイ王(マハータンマラーチャー1世)が仏教的理念による統治を行うために自ら出家し国民に範を示すことで、仏典、美術、建築を含む上座部仏教の文化はむしろ広く普及した。こうした時代を通じて作られた「スコータイ様式」と呼ばれる仏像の形は、現在でもタイの古典的な様式として存続している。しかしながらスコータイ王朝は、1378年には南部に新しく勃興したアユタヤ王朝の属国となり、最後の王マハータンマラーチャー4世が没した1438年をもって、アユタヤに吸収される形で消滅したとされる。


参考文献リスト 

伊東照司『夜明けのスコータイ遺跡』2014年、雄山閣