同地域には、B.C.6世紀頃から人が住み始め、B.C.2世紀頃にはフェニキアやローマの商人が訪れていたとされる。1529年にオスマン=トルコの提督が同地に赴任し、丘の頂上に居城が建設されてから、同地域はアラビア語で「城塞」を意味する「カスバ」と呼ばれるようになった。都市は標高差120mの斜面に建設され、迷路のような階段状の路地が連なる。
16世紀初頭、圧倒的な国力を誇っていたスペインがアルジェ付近の島々に要塞を造り、海軍の拠点としていたところに、トルコの海賊ハイール・エディンヌが攻め込んだ。海賊らは商船を襲って人質を捕り、各国政府に身代金を要求することで巨万の富を築き、豪奢な邸宅や壮麗なモスクを建設することでアルジェからの庇護を得た。
アルジェ最大のモスクはエルクビール・モスクで、11世紀に原始キリスト教時代の聖堂の遺構の上に建造された。馬蹄型のアーチを持つ中庭や装飾が施された説教壇が有名である。1660年にオスマン=トルコにより建造されたジェディッド・モスクは、24mの高さの中央ドームや象牙を使ったミフラーブ(メッカの方角を示すくぼみ)、意匠を凝らした説教壇を備えている。同モスクには『コーラン(クルアーン)』の挿絵入りの写本が所蔵されている。
1830年のフランス占領後には、多くのモスクが取り壊された。ケチャーワ・モスクのように、1839年に取り壊しが決まり、その後、聖フィリップ聖堂に転用されたものの、アルジェリア独立後に再度モスクに転用された例もある。ケチャーワ・モスクのキブラ(メッカの方角を指す)壁の柱は大理石製で、ミフラーブは青や白のタイルで飾られた壮麗なものである。
現在はカスバの周辺には高層ビルが建ち並び、カスバの建物は老朽化が懸念されている。