ユカタン半島において、千年にわたり栄えたマヤ・トルテカ文明を代表する都市の1つ。町の南側に残るのは5~8世紀に造られたマヤ文明の遺跡、北側は10~13世紀に造られたトルテカ文明の遺跡である。5世紀に都市を建設したマヤ系のイツァ人は、7~8世紀頃に一度、都市から去ったとみられるが、10世紀にその末裔が再移住して来て都市を再興した。
都市は2つの大きな源泉(セノーテ)のそばに造られており、「チチェン」とはマヤ語で「泉のほとり」の意。このセノーテは8世紀頃から宗教儀礼に使われるようになり、「聖なるセノーテ」として巡礼地となった。石造りの神殿やモニュメントからは、マヤとトルテカの世界観、宇宙観が明らかとなる。
【主要な宗教的建造物】
◆カラコル
マヤ文明の遺跡で、らせん階段を持つ円形の塔。カラコルとはカタツムリを意味する。夏至と冬至の日にだけ最上階の窓に太陽の光が差し込むことから、天文観測に用いられていたものと考えられている。
◆イグレシア(教会)
600~700年頃に造られたマヤ文明の遺跡で、外壁には雨の神であるチャックの面のほか、複雑な幾何学文様が彫刻されている。後年、建物を発見したスペイン人が、これをイグレシア(教会)と呼んだ。
◆カスティージョ(城砦)
トルテカ文明の遺跡で砦(カスティージョ)と呼ばれるピラミッド。東西南北に91段の階段が配置されており、頂点の1段分とあわせると365段となる。周囲には52のレリーフ(浮彫)が描かれているが、春分の日と秋分の日、年に2度だけ、台座の蛇のレリーフと影が連結し、翼の生えた蛇が天から舞い降りたように見える仕掛けとなっている。
◆戦士の宮殿
トルテカ文明の遺跡で、宮殿の正面には戦士のレリーフが彫られた60本の柱が並び、中央にチャック・モールと呼ばれる兵士像が横たわっている。チャック・モールは神に供物を運ぶとされ、首と足を立て、腹部に生贄の心臓を置く盆を載せている。
◆球技場
マヤの都市においては、一般に、大規模な球技場が建設され、儀礼として樹脂を固めた球を肘や腰で(手を使わずに)打ち合う球技が行われていた。チチェン・イツァには13の球技場が残されており、中でも大球技場はメキシコ最大規模。競技場は高さ5mの壁で囲まれ、壁の上部に取り付けられた輪にボールを通すと得点とみなされた。栄誉ある勝者が、神に生贄として捧げられたと考えられており、壁にはそのような図像が彫刻されている。
◆骸骨棚
トルテカ文明の遺跡で、神殿の基壇とみられる壁に骸骨のレリーフが彫られている。生贄の頭蓋骨を並べるための棚であったという推測もある。
◆生贄の泉(セノーテ)
直径60メートル、高さ20メートルの泉は単なる水源ではなく、水の中に住むチャックという雨の神のための生贄や財宝を投げ入れる場所であった。発掘調査で人骨や祭具が大量に見つかっているが、当時は、ここに投げ入れられた生贄は蘇り、財宝は戻ってくると信じられていた。