「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、日本の西部沿岸、日本列島と朝鮮半島との間に位置する文化遺産である。これらは、沖ノ島を「神宿る島」として崇拝する信仰が、古代東アジアにおける活発な対外交流の時期を経て、海上の安全を願う生きた伝統と結びつき、今日まで継承されていることを示す遺産である。
「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は8つの構成遺産からなる。
沖ノ島は日本から大陸へと向かう航海で道標となる島であり、神宿る島として古代より信仰の対象となっていた。土地の豪族宗像氏は、その海域を支配し、海を越える交流において重要な役割を果たしながら、沖ノ島の祭祀も執り行っていた。4世紀後半に中国、朝鮮の古代王朝との交流がさかんになると、沖ノ島で航海の安全と交流の成就を祈る祭祀が行われるようになる。この祭祀は日本の古代国家(ヤマト王権、律令国家)も関与するほどの大規模なものであった。以降4世紀から9世紀まで、その祭祀は形態を変容させながら続き、その祭祀遺跡は、沖ノ島への入島を制限する禁忌とともに宗像地域の人々によって現代まで守られている。
また、古代の沖ノ島への信仰から、沖ノ島、大島、九州本土の宗像大社の三宮での人格神化した宗像三女神への信仰が生まれた。この宗像三女神への信仰は古事記や日本書紀の記述までさかのぼることができるが、現在でも宗像大社ではみあれ祭などの神事や祭祀が行われ、その信仰は継承されている。この三女神は水上の安全を司る神として日本の各地でも広く祀られている。
新原・奴山古墳群は、沖ノ島祭祀がさかんであった時代に、宗像氏が築いた41の墳墓群である。この墳墓群が築かれた台地からは、大島、沖ノ島、朝鮮半島へと続く海が一望できる。これらの墳墓群は沖ノ島へとつながる空間となっており、かつてそこで祭祀を行った人々の存在を示している。
・文化庁ホームページ「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_isan/ichiran/munakata_okinoshima.html)
・文化庁(2016)「「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産一覧表への記載推薦書」(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_isan/pdf/munakata_suisensho_jpn.pdf)