アントニ・ガウディの作品群

カタルーニャ州の州都バルセロナおよび近郊には、建築家アントニ・ガウディ(1852~1926年)が手掛けた建築物が多数残されている。19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパでは、「アール・ヌーヴォー(新しい芸術)」や「ユーゲント・シュティール(青春様式)」などと呼ばれる芸術運動が各地で興った。工業技術の発展や大量生産品の普及を背景に、建物や内装、日用品の中に、曲線美や動植物の図案を取り入れた様式とされるが、各国の文化を反映した差異もみられる。

ガウディがその代表例とされるカタルーニャの「モデルニスモ」運動は、カタロニア固有の文化の影響を強く受けているとされる。他国において可憐な動植物の文様の姿で表現された「自然」は、「モデルニスモ」においては建物自体の荒々しい姿によって表現された。また、材質や色合いなどにイスラム文化の影響も見てとれる。

ガウディの作品も、建物の外壁が大きくうねる波の形の装飾になっていたり、煙突が峰のように突き出したりなど、自然の様態を取り入れたデザインが多くみられる。ガウディは図面を引かず、模型での構造実験や細部のデッサンを積み重ねながら建物を造っていったと言われており、曲線はダイナミックなフリーハンドで表現された。

エウゼビオ・グエル(カタルーニャ語ではグエイ)の依頼で設計した公園(パルケ・グエル)や邸宅(パラシオ・グエル)など3作品が1984年に世界遺産に登録され、2005年にはサグラダ・ファミリア贖罪聖堂(すでに完成しているファサードと地下聖堂)や、コロニア・グエル教会(ガウディが手掛けた地下部分)など4作品が世界遺産に登録された。

■サグラダ・ファミリア贖罪聖堂

聖堂は1882年に着工したが建築家の間で構造や仕上げの方法について意見が一致せず、彼らの退任に伴い、1883年にガウディが建築主任に就任した。ガウディは5身廊、3袖廊のラテン十字平面のバシリカを構想し、その後、43年にわたり、教会の建築に尽力した。しかし、ガウディ自身が完成させたのは、全体の1割に満たない。例えば3つのファサードのうち、ガウディが手がけたのは「誕生」のファサードのみである。したがって、ユネスコ世界遺産に登録されているのは、教会全体ではなく、このファサードの部分と地下聖堂のみである。その他の部分はガウディの弟子、そして孫弟子たちが今もなお建築作業を続けている。

建築にこれほど時間がかかったのは、「贖罪教会」として信者の寄付や献金のみによって建設されたためでもあるが、現在は観光収入(見学料など)も教会建設費用に充てられており、建築作業は加速している。

サクラダ・ファミリア(聖家族)とはイエスとマリアとヨゼフを指す言葉である。「誕生」のファサードは、聖家族に捧げられた「誕生の門」と、その後ろにそびえる4本の塔(12使徒のベルナベ、シモン、タダイのユダ、マタイの4人に捧げられた)で構成されている。門の上部には生命のシンボルである糸杉が配置され、イエスの生誕と成長にまつわる聖書の記述が彫刻で表現されている。イエスの誕生を知らせるため、ラッパを吹く天使の像は、日本人彫刻家・外尾悦郎氏の手によるものである。

■コロニア・グエル教会

グエルの父親が経営する工場の労働者らのため、1908年に着工した教会であるが、ガウディ自身の病気やグエルの死などにより、1915年に地下聖堂のみ完成させた未完の状態で建築が終了した。後年、地下トンネルから発見されたガウディの文書や道具は、司教館博物館に収蔵されている。

レンガ造りのヴォールト、荒々しい玄武岩の柱、2本の巨大なレンガ柱などが、天井ドームを支えるビザンツ風の構造になっている。

参考文献

・入江正之『図説ガウディ』河出書房新社

・丹下敏明『バルセロナのガウディ建築案内』平凡社

サグラダ・ファミリア贖罪聖堂 東側 「誕生」のファサード

「誕生」のファサード

パルケ・グエル (グエル公園)

パルケ・グエル

トカゲの噴水

カサ・バトリョ

カサ・バトリョ 内部

カサ・ミラ