マラケシ旧市街

マラケシは、1070年頃にムラービト朝の首都としてベルベル人によって建設されて以来、政治・経済・文化の中心として、西サハラからアンダルシア地方に至るイスラム世界の半分を影響下に収めた。マラケシとは、ベルベル語で「神の国」を意味する。

ムラービト朝は1147年にムワッヒド朝によって滅ぼされ、クッバ・バアディン(霊廟)などを除いて、ほとんどの建物が破壊された。マラケシ最古のモスクは1070年代に建てられたベン・ユーセフ・モスクで、当時はムラービト朝最大のモスクであったと推測されているが、これも12世紀に破壊されている(その後、16世紀に再建された後、再度崩壊し、現存する青や緑のモザイクタイルが特徴的なモスクは19世紀に再建されたものである)。モスクに隣接して16世紀に建設されたマドラサも大規模なもので、1度に900人もの学生が寄宿していたこともあった。

旧市街の南部では、1180~90年頃に建てられたアル・マンスール・モスクの尖塔(ミナレット)がひときわ目を引く。この塔の脇には、16~17世紀のスルタンたちが葬られた墳墓(廟)があるが、後に高い壁で囲われ、出入り口もふさがれたことから、1917年まで、長らくその存在は忘れられていた。

現存する建造物の多くはムワッヒド朝によって建てられたもので、1147年に着工されたクトゥビーヤ・モスクの77メートルの高さを誇る尖塔(ミナレット)には紐状の美しい文様が装飾され、町のシンボルともなっている。

参考文献リスト