ボスニア・ヘルツェゴビナ南部の都市モスタルは、オスマン=トルコ帝国に 支配された15~16世紀に交通の要所として栄えた。町の中心を流れるネレトヴァ川にかかっていた木製の吊り橋が16世紀半ば、トルコ式のアーチ型をした 石橋に掛けられると、モスタルはさらに繁栄する。17世紀から18世紀初期には人口1万人、24のモスクと22のイスラム教の集会所を有する大都市へと発 展した。
19世紀になると、町はオーストリア=ハンガリー帝国の支配下に入り、川の西岸にはヨーロッパ風の建物やカトリック教会が立ち並ぶようになる。トルコ風の町並みが残る東岸にはイスラム教徒が多数居住していたが、宗教的寛容の見地から1834年に初めてセルビア正教会が建設されるなど、複数の宗教が併存する町の基本形が形作られた。
1991年、ボスニア=ヘルツェゴビナ紛争が勃発するとモスタルは激戦地となり、セルビア人(主にセルビア正教徒)、クロアチア人(主にカトリック)、ボ スニア人(主にイスラム教徒。かつては「ムスリム人」とも呼ばれた)の三つ巴の争いの中で、他民族の宗教遺産は砲撃の標的となり、多くの歴史的建造物が破 壊された。モスタルは西側をクロアチア人が、東側をボスニア人が占拠して敵対し、1993年にクロアチア勢力により橋は破壊された。紛争終結後の2004 年、各国の援助により、復興と和解のシンボルとして橋が復元され(2005年にユネスコ世界遺産登録)、旧市街のモスクや町並みも再建が進んでいる。