ポーランド南部の町ヴィエリチカとボフニャにある2つの岩塩採掘坑は、13世紀からの歴史を持つヨーロッパ最古の塩坑である。特にヴィエリチカは1996年まで採掘が続けられ、坑道の全長は300km、最深部は327mにおよぶ(観光客に公開されているのは長さ3km、深さ135mまで)。地下探検の要素も多分に含んだ展示内容を楽しみに、ヴィエリチカには年間3,600万人、ボフニャにも15万人の観光客が訪れる。同時に、塩坑には、そこで働いてきた人々の信仰や芸術活動の痕跡も残されている。硬度の高い岩塩坑は、炭坑などと比べて落盤事故は少ないが、時折吹き出すガスや水などによる事故がなかったわけではない。坑道内に作られた聖堂や聖像などからは、危険な労働環境で働いてきた塩坑夫たちの祈りを感じることができる。2010年以降、「巡礼者ルート」と呼ばれる、カトリック信者向けの見どころをめぐる2時間半のガイドツアーも用意されている(5名以上の団体専用)。同ツアーには司祭が同行し、ツアーの最後に地下の聖ヨハネ聖堂にてミサにあずかることもできる。
塩坑の守護聖者は聖キンガである。ハンガリーの王女キンガ(1224~1292年)は、ポーランド王ボレスワフ5世との婚約が決まった際、父王に人々の汗や涙によって生み出される貴金属などいらないと訴え、代わりにポーランドの領民のために塩を所望した。王は娘にハンガリーで最も豊かな塩坑を与え、キンガはその証として、ボレスワフから贈られた婚約指輪を塩坑に投げ入れたという。キンガは、熟練の塩坑夫を引き連れてポーランドに嫁ぎ、ポーランドで岩塩を探すよう彼らに命じた。10年が経ち、キンガ妃のもとに、ハンガリーから輸入した岩塩の中に極めて高価と思われる指輪が入っているとの一報が入る。妃が確認のためヴィエリチカ村に出向くと、そこにはかつてハンガリーの岩塩坑に投げ入れた自身の婚約指輪があった。これを縁として、国を挙げてヴィエリチカの発掘調査を行ったところ、莫大な量の岩塩が発見され、王立塩坑として発展を遂げたと言い伝えられる。聖キンガの逸話はおとぎ話や口承によりポーランド各地で親しまれ、いくつかのバリエーションがある。なお、キンガ妃は生前から慈善事業に尽力し、夫の死後は修道院に入り、生涯を救貧活動に捧げたことから1690年に福者に列せられ、1999年にはポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世によって聖人に列せられた。ポーランド、リトアニア両国の守護聖者でもある。
博物館(坑道)の見学路の最初の方にあるヤノヴィツェの洞には、塩の中から出てきた婚約指輪を見て驚くキンガの姿をかたどった岩塩の像が飾られている。像は1967年に塩坑夫によって彫られた。
また、地下100m地点の大量の岩塩が掘り出された後にできた広さ31×15m、高さ12mの空間には、聖キンガの名を冠した聖堂が造られ、毎週日曜日にはミサが行われている。祭壇には聖キンガと聖ヨセフ、聖クレメンスの像が安置され、壁一面に新約聖書をモチーフにした彫刻(「エジプトへの逃避行」「神殿における12歳のイエス」「最後の晩餐」など)が施されている。聖堂内は十字架やシャンデリアなど、すべての装飾が岩塩でできており、祭壇とは反対側(階段の下)に飾られたポーランド人の教皇聖ヨハネ・パウロ2世の立像も岩塩を彫ったものである。
その他、各所に聖堂が造られているが、なかでも聖アント二聖堂は1698年に造られ、現存する中では最古のものである。また、聖十字架聖堂には塩坑ならではの特徴がある。聖堂内には17世紀に造られた木彫の像や、傷みの激しい修道僧の像、2面の祭壇が収められているが、作業中の労働者を守るため、作業現場の近くまで聖像や祭壇を運び、守護を祈願する習慣があった。聖ヨハネ聖堂は内部が彩色された木で造られた色鮮やかなもので、18世紀に彫られたキリスト像の芸術的な価値も高い。
1289年、ヘンリク4世王は、初歩的な外科的処置を行う理髪師(いわゆる「床屋医者」)を置く浴場や、作業中の事故で傷害を負った労働者の療養施設、さらに労災で死亡した塩坑夫の寡婦や孤児のための保護施設などの建造を命じた。1363年には、カジミェシュ3世大王により、精霊修道会の病院が建設されるなど、前近代において医療・福祉の担い手であったカトリック修道会との関係も深い場所である。