チュニジア中部に位置するエル・ジェムには、ローマ時代の都市遺跡が存在している。かつてこの地はテュスドルスと呼ばれており、ポエニ戦争の後にローマ帝国の人々が移り住むようになった。同地はオリーブオイル交易の中心であり、ハドルメントゥム(現在のスース)と並び北アフリカにおけるカルタゴに次ぐ都市として栄えていた。
テュスドルスには3世紀初頭に、巨大な円形闘技場が築かれた。約3万5千人が収容可能な大規模なもので、現在でもその大部分が残され、最も保存状態の良いローマ時代の遺跡の1つとなっている。内部には剣闘士の部屋や、猛獣を収める部屋が残されている。ローマのコロッセオと同様、競技場は剣闘や戦車競走などの見世物に用いられていたと考えられている。
その後同地はアラブ人の侵略を受けるが、その際にベルベル人の女王アル・カヒナは円形闘技場を要塞化して戦い、この地で倒れたと言い伝えられている。それ以後は都市とオリーブ産業は破壊され、建物の資材はカイルアンの建築に用いられた。
現在では円形闘技場や都市遺跡が見られる他、併設された博物館には多数のローマ時代のモザイク画が収められており、ローマ人の信仰をうかがい知ることができる。
その中でもとりわけ大きいモザイク画(下記写真)は、ディオニュソス神(ローマ名はバッカス)の人生が描かれている。ディオニュソスは元来はトラキアないしマケドニアで崇拝されていた神で、ヘレニズム期に多くの信仰を集めた。彼はゼウスの子として生まれ、山羊の精シレノスに育てられた。ロバを乗り物とし、ワインによる酩酊と饗宴を人々に広めて回り、最終的には神の一員として迎えられた。
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