デルベントのシタデル、古代城壁、要塞建築物群

カスピ海沿岸の都市デルベントはB.C.1世紀頃には、欧州と中東を結ぶ南北交通の要所であった。シタデル(城塞)と古代都市、城壁は、5世紀頃、ササン朝ペルシャにより北の国境線の防衛のため造営され、19世紀に至るまで戦略的に重要視されていた。シタデルは山頂にあり、石造りの城壁で二重に守られている。城壁は高さ12mで230~380cmの厚みがあり、現存する北側の城壁は、山を超えて40kmにわたり連なる。都市はその二重の城壁の間の300~400mの間に形成された。

シタデルには南側の斜面に沿ってハーンの宮殿があり、5世紀に建造されたキリスト教会も現存している。当時、デルベントはコーカサス地方におけるキリスト教布教の拠点となっていた。しかし、間もなくアラブ人の侵入に伴うイスラーム化が進み、8世紀には金曜モスクが建てられた。旧ソ連圏で最古のモスクであり、14世紀と17世紀に再建されている。モスクの前に建つマドラサ(神学校)は15世紀に建造された。その他、シタデルには浴場や地下の貯水施設なども残されている。

現在、デルベントはロシアのダゲスタン共和国に位置し、ロシア最南端の都市である。スンニー派イスラーム教徒が主流のレズギ人(ハチャトゥリアン作曲のオペラ「ガイーヌ」で演奏される「レズギンカ」はレズギ民族の舞踊)とシーア派イスラム教徒が主流のアゼルバイジャン人がそれぞれ人口の3分の1ずつを占める多民族都市である。

参考文献