アフガニスタン北東部に位置するバーミヤン渓谷には、1~9世紀の建造とみられる仏教石窟が1000以上存在している。インド、中央アジア、西アジアを結ぶ交通の要衝であったこの地は、各地の宗教文化が出会う場所でもあった。そのため、この地に固有な様式とインド、ギリシャ、ペルシアなどの文化が融合してガンダーラ美術へと展開していく様子をうかがうことができる。かつては、色彩豊かで多くの僧が住まう場所であったという。
しかし、バーミヤンの遺跡群を何よりも有名にしたのはその不幸な歴史である。この地域がイスラーム教徒の支配下に入る(9世紀頃~)と仏像の顔が破壊されるなどの被害を受け、また、1979年のアフガニスタン紛争の際には壁画が盗難されるなどして遺跡は荒れた。
もっとも知られているのは、2001年のタリバン政権による石仏爆破である。バーミヤン渓谷を代表する東の仏像(4世紀頃の建造。約38メートル)と西の仏像(5世紀頃の建造。約55メートル)がこの時に破壊された。タリバンは、仏像の存在がイスラームの偶像崇拝禁止の教えに反するとの宗教的理由から石仏を破壊したとされる。しかし、多分に政治的背景をもった事件であることも見落としてはならないだろう。
2003年に危機にさらされている世界遺産としてユネスコに登録され、現在補修と保存の試みが行われている。