ベニ・ハンマド要塞

ベニ・ハンマドは1007年に標高1000mの盆地に建設された要塞都市で、全長7kmの城壁に囲まれている。サハラ砂漠を行きかうキャラバン(隊商)の交易により繁栄し、1018年にハンマード朝の首都に定められた。

都市の繁栄ぶりを示す巨大モスク(東西56m×南北64m)は、当時はアルジェリア2番目の大きさを誇るもので、25mのミナレットも現存している。装飾が施されたミナレットは当時では珍しく、以後これをモデルとして、マラケシュ(モロッコ)のクトゥビーヤ・モスクのミナレットやラバト(モロッコ)のハッサンの塔、セビーリャ(スペイン)にあるヒラルダの塔など、多くのミナレットが作られた。≪参考→マラケシ旧市街

山頂にあったファナル宮殿は、今も外壁のみ姿を留めている。イラクから取り寄せた彩釉タイルを使い、馬蹄型のアーチを持つ回廊や鍾乳石飾りのあるドームなど、あらゆる技術を駆使してきらびやかに装飾された宮殿であったことが判明している。また、大理石で装飾されたエル・メナット宮殿は、アラブ人から伝えられたイスラーム建築の様式と先住民であるベルベル人の建築様式が融合したもので、後に、その融合した建築様式がシチリア島に伝わるなど、人々の移動・交流や資材・技術の伝播を伝える記録ともなっている。そのほか、最も大きな規模の宮殿であったエル・バハール宮殿の遺構も残されている。

しかし、都市のこのような繁栄は、ごく短命に終わった。1090年にアラブ人のヒラール族の攻撃を受けると、住民の大半が逃げ出した。その後、シチリアのノルマン人や、マラケシュから侵攻してきたムワッヒド朝(1130~1269年)による攻撃を受け、1152年には町ごと焼き払われ、モスクを中心とする城塞の一部が残るのみとなった。

参考文献