ラリベラの岩窟教会群

エチオピアの北部中央付近にある11の教会堂群。12世紀末から13世紀にかけて、ラリベラ町を囲む赤色の凝灰岩を建物部分を残して掘りぬき、残した部分から教会を削り出すという特徴ある構造を有している。現在、主に二つの理由からエチオピアでもっとも重要な巡礼地の一つとなっている。

まず一点目は、エチオピア教会が、東方正教会の中でもカルケドン信条を受け入れない(非カルケドン派)教派として世界最大であるということと関係している。カルケドン信条とは、コンスタンティノポリスの対岸にあるカルケドンで行われたキリスト教の第4回公会議で定められた信条である。その内容は、キリストは完全な神性と人性を備えており、その両者は混ざらず、変わらず、分かれず、離れないというものであり、カトリック教会東方正教会の教義の根幹をなすものとなった。これに対し、エチオピア正教会やアルメニア正教会、コプト正教会などは「イエス・キリストの本性は一つしかない」とする非カルケドンの立場をとる。彼らにとって、エチオピアの地で800年にわたりほとんど変わらない典礼を行っているラリベラの岩窟教会群は聖地として重要な意味を持つ。

もう一つの理由は、この石窟教会群が、12世紀にイスラームに圧迫されているエルサレムの様子をみたラリベラ王によって「新たなるエルサレム」として建設されたことにある。それによって、付近を流れる小川はキリストが洗礼を受けたとされる「ヨルダン川」の名で呼ばれるようになった。この地は、現実のエルサレムと新約聖書に登場する「新しいエルサレム(天のエルサレム)」の両者を模しているといわれている。伝説によると、ラリベラ王は神から10の教会堂を造るように命じられ、その建設の計画や壁の色まで指定されたという。他の伝説によると、兄に毒を飲まされたラリベラ王が三日間の昏睡状態に入り、その間に神に天へと誘われ、岩窟の町を見せられたという。また一部の資料によると、ラリベラの岩窟教会群はテンプル騎士団(十字軍の戦闘部隊の一つ)によって造られたとも言われている。

参考文献リスト