アーグラ城塞

アーグラ城塞は、インド北部、ニューデリーの南東約200㎞のアーグラ市、ヤムナー河西岸に位置する世界遺産である。ムガール帝国の第3代アクバル帝はデリーからこの地に遷都し、1564年から74年にかけてアーグラ城を築く。この地方で産出する赤砂岩を用いて造られた壮大な城は、その見た目から「赤い城」(ラール・キラー, Lal Qila)と称される。赤色は皇帝の強大な権力の象徴でもあった。この城はその後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンと続く皇帝の居城となり、皇帝が代わるたびに増改築や補強が重ねられた。

最初にアーグラ城を築いたアクバル帝は、イスラム王朝でありながら、ヒンドゥー教徒の妃をめとり他宗教との融和をはかった。そのため、建築にはイスラムとヒンドゥーの融合した様式が見られ、嫡子ジャハーンギールのために城内に建てた宮殿は、左右対称のファサード上部の両端にチャトリを戴き、柱や梁に木彫のようなレリーフが施されている。

また、城内に多く残る純白の建築物は、アクバル帝の孫である、第5代皇帝シャー・ジャハーン帝時代のものである。タージ・マハルを建てたことでも知られる皇帝は、公謁殿(一般謁見の間)、モティ・マスジド(真珠のモスク)、皇帝の寝殿など、白大理石に貴石の象嵌を施した優美な建物を次々に手掛けていった。その息子の第6代アウラングゼーブ帝の時代には、高さ20mもの城壁が周囲約2.5kmに渡って巡らされ、堅固な城塞としてのアーグラ城が完成した。後継者争いの後に即位したアウラングゼーブ帝が父シャー・ジャハーンを幽閉したムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)からは、タージ・マハルを望むことができる。

アウラングゼーブ帝は、熱心なスンナ派イスラム教徒であったため、ムガール帝国のアクバル帝以来の方針を転換、ヒンドゥー教徒との融和策を放棄し、ヒンドゥー教の寺院をモスクへ建て替えるなど、非ムスリムへの強硬な政策を展開した。それを機に地方で反乱が起こり、ヒンドゥー勢力のラージプート諸国の離反が続き、ムガール帝国は衰退したものの、現在でもアーグラ城塞に残るジャハーンギール宮殿や、赤砂岩造りの二重の城塞と門、シャー・ジャハーンの宮廷建築群などは、華麗なムガール朝建築様式と当時の栄華を今に伝えている。


参考文献リスト

アーグラ城塞 外観

アマル・シン門

アマル・シン門から城塞内への通路

ジャハーンギール宮殿

ジャハーンギール宮殿 外観

ジャハーンギール宮殿内 装飾

ジャハーンギール宮殿内 装飾

カースマハル(シャー・ジャハーンの住居)

ジャハーンギール宮殿 中庭(一般謁見の間)

ジャハーンギール宮殿_外回廊

ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)から眺めるタージマハル

ムサンマン・ブルジュ 内観