エアフルトの中世ユダヤ人関連遺産

 ドイツ中部、フランクフルトとライプツィヒの間に位置するエアフルトは、テューリンゲン州の州都である。エアフルトは6世紀頃から多くの人の居住が認められ、8世紀にはキリスト教の司教座が置かれた。カトリックの影響は現在でもエアフルト大聖堂に見ることができる。

 エアフルトは中部のハンザ同盟において重要な位置を占め、壁に囲まれた都市として12世紀から15世紀にかけて発展した。1392年に創立されたエアフルト大学はドイツ最古の大学とされており、マルティン・ルターがこの地で学んでいたことで知られている。

 同地には11世紀後半から14世紀半ばまでユダヤ人共同体が栄えていた。彼らはキリスト教徒と隣り合って暮らし、商業を通して交流していた。しかし1349年に、ペストの蔓延に際しユダヤ人が井戸に毒を入れたという噂が広まったことで迫害が始まり、900人が殺害され共同体は破壊された。

 その後すぐにユダヤ人がこの地に住み始めるが、反ユダヤ感情の高まりにより市議会が1453年にユダヤ人の保護を取りやめたため、在住していたユダヤ人はエアフルトを追われることになった。この地にユダヤ人が住むことが再度許されたのは、ナポレオン法典によって居住が認められた19世紀のことであった。

 それ以後はユダヤ人共同体が再び発展し、1884年にはユダヤ教の礼拝施設である大シナゴーグが建設されたが、ナチスによる1938年の迫害によって破壊され、住民は強制収容所に連行された。この場所には現在新たなシナゴーグが建てられている。

 一部が11世紀に建てられヨーロッパ最古とされる旧シナゴーグ、儀式用の浴場であるミクヴェーの遺構、ユダヤ人によって所有されていた「石造りの家」が世界遺産として登録されている。これらは、中世のユダヤ教の貴重な宗教建築および世俗建築だとされている。

 旧シナゴーグはユダヤ人迫害後には倉庫として転用され、その後もレストランなどに利用されていたが、20世紀になって調査が行われ、この建物がかつてシナゴーグだったことが判明した。このように別の用途として用いられていたため、ナチスによる破壊から逃れることができたという。

 シナゴーグの地下からは迫害中に埋められたと思われる銀貨や食器、宝飾品が発見され、同所に設立された博物館にて展示されている。

 近郊には、ナチスが建設したブーヘンヴァルト強制収容所が存在する。ここには総計23万人以上のユダヤ人が収容され、5万人以上が死亡したとされており、エアフルトのユダヤ人も1938年の迫害の際にこの地に送られた。


かつての都市の様子の模型

1952年に再建された新シナゴーグ