マカオ歴史地区

 中華人民共和国の南海岸に位置し、珠江河口をはさんで香港の対岸にあるマカオは、国際交易の戦略上重要な港であり、16世紀半ばから1999年に中国に返還されるまで約450年間、ポルトガルの統治下にあった。当時はイエズス会の東アジア布教の拠点となり国際貿易都市として発展したため、現在もポルトガル風や中国風の家並み、宗教的な建物・公共建築が見られ、東西の文化が融合した独特な都市景観が残されている。世界遺産・マカオ歴史地区は、マカオ半島、タイパ島、コロアネ島から構成され、イエズス会の布教の拠点であったことを伝える聖ポール天主堂跡や、明代から残る媽閣廟など22の建造物・史跡と、セナド広場など8つの広場が登録されている。

 

◆聖ポール天主堂跡

 聖ポール天主堂は、1602~1640年にイタリア人宣教師カルロ・スピノラ(イエズス会)の指導のもと建設された。迫害を受けて日本から逃れてきたキリスト教徒も建設に関わっていたと伝えられている。1835年の火災で木造の聖堂が焼け落ち、正面のバロック様式のファサード(壁)のみが残った。横23m、高さ25.5mのファサードには、聖書や神話に関するモチーフや、イエズス会の聖人を描いたブロンズ像、中国語や中国風の獅子、ポルトガルの船などの彫刻がみられ、ヨーロッパや中国を中心とした多地域の文化の融合をよく伝えている。

 

◆聖ヨセフ聖堂

 修道院でもあり、1728~1758年に建設された。中国や日本、その他地域におけるイエズス会の宣教活動の拠点となった。教会内部の側祭壇の一つには、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの骨の一部が安置されている。聖ポール天主堂跡とともに、中国で唯一のバロック様式の建築物である。

 

◆モンテの砦

 1617~1626年にイエズス会によって建造された約8千㎡の軍事要塞で、海抜52mのモンテの丘の上に位置している。大砲や武器庫が備えられ、1622年にはオランダによる侵攻を防ぐため重要な役割を果たした。

 

◆媽閣廟

 マカオ最古の現存寺院で、明代の1488年に始められたとされる。「マカオ」という名前は、媽閣廟が位置する「阿媽の湾」を意味する中国語に由来するとも言われている。主に航海の女神である媽祖(天后)が祀られているが、媽閣廟を構成する多様な建築物では異なる複数の神々が崇拝されており、儒教、道教、仏教、民間信仰に影響を受けた中国文化が如実に表れている。

 

参考文献リスト

・小学館2009『小学館DVDマガジンNHK世界遺産100』No.20「コロンブスと大航海時代:サント・ドミンゴの植民都市」小学館

・成美堂出版編集部2013『ぜんぶわかる世界遺産〈下〉アジア/南北アメリカ/オセアニア』成美堂出版



聖ポール天主堂跡

モンテの砦(大砲)