ジェミラの考古遺跡は標高900mに位置するローマ時代の遺跡で、ネルウァ帝(在位96~98年)によって建設されたと考えられている。当時、この地域は小麦の穀倉地帯で、交通の要衝だった。当時の名はクイクルといい、山中にローマ都市が建設された興味深い例である。例えば、一般的なローマの古代都市は、南北に延びる街路(カルド)と東西に延びる街路(デクマヌス)が町の中心で交差する構造になっているが、このジェミラでは、地形上の制約からデクマヌスにあたる道がなく、両端に列柱を有するカルドも位置がかなり偏っている。
都市は、ローマ文明を代表するフォーラムやカピトリウム神殿、母なるビーナス神殿、バシリカ、クリア(市参事会)、凱旋門を有する旧市街と、劇場や大浴場、キリスト教の教会などを有する新市街から成立している。キリスト教徒の街区を有する新市街は都市の南側に集中しており、バシリカとそれに付属する洗礼堂、小聖堂、司教や司祭の住居などがある。洗礼堂は5世紀初頭に建てられたもので、保存状態が非常に良い。ジェミラには、最盛期に1万5千人が暮らしていたとされる。
遺跡内にはモザイク博物館があり、都市の住宅などに残されていた狩猟や農耕の様子を描いたモザイクとともに、ビーナスやデュオニソスなど、神話を題材にした色鮮やかなモザイクも数多く保存されている。他方で、現存する彫像の多くは、偶像崇拝を禁じるイスラーム教徒によって、後に頭部が破壊されたものが多い。