ティムガッドの町は、A.D.100年頃にローマの退役軍人によって建設された。当初は、先住民であるベルベル人を牽制するための軍事都市であったが、2世紀半ば頃から商業の中心地として発展する。2つの大通りが交差する構造の典型的なローマ都市であるが、建物や道はレリーフやモザイクで飾られ、トラヤヌス帝の凱旋門、14カ所の公衆浴場、3,500人収容の大劇場など公共施設が数多く残り、贅の限りが尽くされた様子が見てとれる。ビーナスの勝利など、神話の場面を描いたモザイクは、町の博物館に移築され、現在も目にすることができる。また、A.D.160年に建てられたカピトリウム神殿は高さ14mの巨大建造物で、現在も、かつて6本あったとされる柱の内、2本が残されている。
4世紀以降、ティムガッドは、ドナトゥス派キリスト教徒の北アフリカ最大の居住地となった。ドナトゥス派は教会の聖性について厳格な教派で、当時の北アフリカでは大きな勢力となっていた(その後、411年に行われたカルタゴ公会議によってアウグスティヌスによって激しく批判され、数年後には異端を宣告され、弾圧されるようになった)。当時建設されたティムガッド最古の聖堂はバシリカ式で、オプタトゥス司教の名を冠する。モザイク装飾や六角形の洗礼堂の跡が残っている。
ティムガッドの町は、ヴァンダル、次いでビザンツに占領されて、最終的にはベルベル人に奪還されるのだが、19世紀末に発掘されるまで砂に埋もれていたため、非常に保存状態が良く、「アフリカのポンペイ」とも呼ばれている。