イラン北西部のアルメニアとの国境地帯に点在する3つの修道院(聖タダイ修道院、聖ステパノ修道院、ゾル・ゾル教会)は、アルメニア文化圏の南端に位置し、アルメニア使徒教会の宣教の拠点となった。301年に世界に先駆けてキリスト教を国教に定めたアルメニアは、周囲をゾロアスター教(当時)、イスラームなどの諸民族に囲まれる中、キリスト教の信仰を民族の拠り所としてきた。他方、修道院に残るレリーフや祭壇の遺構からは、ビザンティン文化、東方正教会、ペルシャ文化など、周辺諸民族との交流の足跡もうかがうことができる。
3つの修道院の中で最古の聖タダイ修道院は、7世紀に建造され、10世紀にはアルメニア使徒教会の司教座が置かれていた。聖タダイはイエスの使徒の1人「タダイと呼ばれるユダ」であるが、伝承によれば、同じく使徒のバルトロマイとともにアルメニア宣教を行い、この地で帰天し、葬られたとされる。聖タダイは、福音書に「裏切り者」として描かれる「イスカリオテのユダ」と同じ「ユダ」の名を持つこともあり、世界的に見れば特別に崇敬を集める使徒ではないが、アルメニア人の聖タダイへの崇敬は篤い。アルメニア使徒教会の「使徒」の語も、タダイとバルトロマイの宣教という伝承に由来するとされる。
聖ステパノ修道院は7世紀に起源を持ち、10世紀に聖堂が完成したとされる。その後、周辺民族との対立により、2つの修道院の建物はたびたび被害を受けた。聖ステパノ修道院は、11~12世紀のセルジュク・トルコとビザンツ帝国の戦闘により、聖タダイ修道院は1231年と1242年のモンゴル軍の侵攻により破壊された。その後、裕福な一族の後ろ盾を得たザカリア司教のもと、1314年にゾル・ゾル教会が建造され、1320年代には1319年に地震で倒壊した聖タダイ修道院も再建されたものの、地震や戦乱などで3つの修道会は再建と崩壊を繰り返し、現存する建物の大部分は17世紀~19世紀に再建されたものである。