ブルー・ナ・ボーニャ

ボイン渓谷の遺跡群

首都ダブリンから北へおよそ40キロメートルの地帯、アイルランド東部に広がるボイン渓谷には、新石器時代後期の巨大古墳群ブルー・ナ・ボーニャがある。西から東へ流れるボイン川が、南へ大きくカーブする「ボインの折れ目(Bend of Boyne)」に位置するこの地は、ボイン川流域のなかでも農耕に適した肥沃な土地であり、またアイリッシュ海にも近いため古くから大陸との交易が盛んであった。この豊かな地に位置する「ブルー・ナ・ボーニャ」はアイルランド語で「ボインの宮殿」を意味しており、豪族の墳墓と祭祀場として、考古学上、世界的にも重要な文化遺産である。

この地域には約40ヶ所の古墳が存在しているが、なかでもニューグレンジ(Newgrange)、ノウス(Knowth)、ドウス(Dowth)の3つの羨道墳が有名である。これらの古墳に使われている多くの巨石には、独特の渦巻きや波のような模様が刻まれており、当時の人々の信仰や世界観を表していると推測されている。これらの遺跡は長い間放置されていたが、現在ではニューグレンジとノウスが当時の姿に修復され、ツアーで見学をすることができるようになっている。

・ニューグレンジ

紀元前およそ3200年前に作られたとされる羨道墳で、高さ11〜13メートル、直径79〜85メートルに及ぶ円形の墳丘をしており、97の巨大な縁石で囲まれている。縁石の多くには彫刻が施されているが、なかでもいくつもの渦巻き紋様が施された入り口の巨石(Entrance Stone)が有名である。古墳の中には、十字型の石室へ続く19メートルの長い羨道があり、入口はちょうど南東の方向を指している。日が最も短くなる冬至の日に、入り口の上部に作られたルーフボックスから石室まで、まっすぐ日の光が届くように設計されているのだ。これは、この墳墓を建てた当時の人々が天体の動き、特に農業と深い関係にある太陽の動きに関心を持っていたことを示すとされる。さらにボイン渓谷における新石器時代の文化では、冬至は新年の始まりであり、かつ自然の生命を表し、作物、動物、人間に新たな命をもたらすものとされていたため、この古墳はおそらく死者の霊に新しい生命を約束するものとして作られたと考えられている。

・ノウス

ブルー・ナ・ボーニャの西端にあるノウスの羨道墳は、直径約95メートルと、三基の羨道墳のなかでも最大の大きさをほこり、周囲を18基の小さな塚に囲まれている。内部には背中合わせに二つの羨道式墓所があるが、それぞれの入り口は東と西の方向を向いていて、内部でつながってはいない。そのうち東の墓所からは、人骨を収めたと思われる彫刻が施された鉢や、儀礼用と思われる装飾性の高いメイスヘッドなどが出土している。初期キリスト教時代(450年ごろ)には、二つの壕が作られ、中世まで要塞として使用されていた形跡が見られる。

・ドウス

ニューグレンジ、ノウスと同程度の規模を持つドウスは、当時115の縁石で囲まれていたと見られる羨道墳で、なかでも「7つの太陽の石」と呼ばれることのある彫刻の施された縁石が有名である。西向きに二つの石室を持つが、羨道は上記二つの古墳と比較しかなり短めである。過去にはこの付近の住民たちによって、貴重品の保管庫や災害時の避難場所としても使用されていたようである。ビジターセンターのツアーを通じてしか見学できないニューグレンジ、ノウスと異なり、訪問者が直接アクセスできる。

参考文献

・the Department of Housing, Local Government and Heritage, “World Heritage Ireland - Brú na Bóinne” https://www.worldheritageireland.ie/bru-na-boinne/ 最終アクセス2022年9月7日

・渡辺洋子『アイルランド:自然・歴史・物語の旅』(2014年、三弥井書店)