アジャンター石窟群は、インドのデカン高原北西部、ワゴーラ川岸の断崖に掘られた大小29の仏教の石窟寺院群からなる文化遺産である。
石窟寺院とは、平原にそびえる岩山や渓谷の崖、巨大な岩塊などを採掘し、その内部に造営されたものである。インドには仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教の3宗教の石窟寺院が造られた。インド石窟寺院の歴史は西暦紀元前3世紀にはじまり、紀元後11~12世紀ころにはほぼ終わっている。窟院が最も多いのは、西インドのマハーラーシュトラ州で、とくにボンベイ周辺の西デカン地方に二十数カ所の窟院群遺跡が集中している。アジャンター石窟群も、この地方に位置している。
アジャンター石窟群の造営は紀元前1~7世紀とされ、650年に僧侶たちがエローラにある別の寺院群に移動したことや、インドで仏教が衰退したことなどから、石窟はながらく密林に埋没していた。しかし、1819年、ハイダラーバード藩王の招きで狩りに来ていたイギリス人士官ジョン・スミスがトラに襲われ渓谷へ逃げ込んだ折にこの石窟群を発見したことから、この石窟の存在が明らかとなった。
アジャンターの29の石窟群は二期に分けて造営されている。
紀元前1~紀元後1世紀頃につくられた前期窟の室内には、ストゥーパ(仏塔、仏陀の遺骨が埋葬されている)が祀られている。初期の仏教寺院には仏像はなく、その中心となったのはストゥーパであった。そのため石窟はストゥーパを祀る①塔院(チャイティヤ)窟(法要の場)と、②僧院(ヴィハーラ)窟(僧侶の生活の場)の二つで構成される。アジャンターの前期窟にも、ストゥーパを崇拝した時代の仏教寺院の様式があらわれている。
5~7世紀にかけてつくられた後期窟は、有力者の寄進によるものであった。仏像が祀られ、釈迦の生涯などを表した壁画で装飾されている。
アジャンター石窟群にはグプタ様式の壁画や彫刻など、最も古い時期の仏教美術が残る。これは西方や中国の石窟の源流とも考えられている。なかでも、第一窟の蓮華手菩薩図の壁画はとりわけ有名である。2008年度から行われた東京文化財研究所の壁画保存修復事業などにみられるように、アジャンター石窟群は現在でも伝統的なインド芸術の原点として、また東アジアへと広がる仏教美術の原点として、比類なき価値を有する世界遺産と見なされている。
・佐藤宗太郎(1985)『インド石窟寺院(解説編)』東京書籍