クレムリン(クレムリ)とは、ロシア語で「要塞」を意味する語であるが、カザンのクレムリン(要塞)は、1005年頃に興ったボルガ=ブルガール王国の北西の国境を守るべく、12世紀中頃に建設されたと考えられている。ブルガール人はトルコ系(トゥルク系)の民族で、イスラム教を信仰していた。当時、城門付近に建っていたクル=シャーリフ・モスクは、ブルガール人にとっては聖地とも言える場所であった。
1552年、ロシアのイヴァン雷帝は、祖父イヴァン大帝とカザンとの間で締結されていた恒久平和条約を無視してカザンに侵攻し、これを征服した。カザン住民は都市から追放され、イスラムの信仰も禁じられた。ロシア正教への改宗を強制されるケースもあった。カザン・クレムリンは、この時、スュユンビケ塔を除く、すべての建造物が徹底的に破壊された(スュユンビケ塔は、6層58mある斜塔で、カザンを象徴する建造物であるが、詳しい由来などは明らかになっていない。建物の特徴から、1486~90年頃、モスクワのクレムリンを建造したイタリア人建築家フィオラヴァンティまたはその弟子が設計したとの説がある。「スュユンビケ」とは、カザンがロシア軍に占拠された際、塔から身を投げた最後のカザン王妃の名前である)。
その後はロシア人の入植が相次ぎ、かつて要塞があった場所には、新たに石とレンガを用いた白亜の要塞が建造された。要塞内には、1554~1562年にかけて、生神女マリア(西方教会でいう聖母マリア)の名を冠するブラゴヴェシェンスキー大聖堂が建造された。ロシア革命後、宗教活動を禁じた共産党政府によって大聖堂は一度破壊されたが、ソ連崩壊後に再建されている。
1990年にタタルスタン共和国が主権を宣言し、カザンがその首都となって以来、ブルガール時代のクレムリンを忠実に再現すべく、再建や改修が行われている。イワン雷帝に破壊されたクル=シャーリフ・モスクも1995~2005年にかけて再建された。キリスト教会とモスクが並び建つカザン・クレムリンの景観は、宗教の平和共存を表現するものと評価され、ユネスコ世界遺産に登録された。
UNESCOのページ
http://whc.unesco.org/en/list/980/gallery/
Google Arts & Culture(タタルスタン国立博物館の所蔵品79点の画像を閲覧できます:2015年1月現在)