「ルアン・パバンの町」はラオス北部のメコン川が流れる山間の盆地にある、約600年の歴史を持つ王都を中心とする世界遺産であり、よく保存された伝統的な町並みが残る。町には、寺院や民家の伝統的建造物と、19~20世紀の植民地時代に建てられた王宮や都市建造物とが融合している。現存する寺院建築や美術を通して、王朝で隆盛した仏教文化や、植民地時代のコロニアル建築に触れることができる。
【ラオスの王朝】
ラオス最初の統一王朝を建国したラオ族は、もとは隣国タイのタイ族と同様、中国南部(華南)に住む民族であった。10世紀頃からメコン河沿いに南下し、現在のラオスにあたる土地に移住。その長であるファー・グム王が1353年にラオスの先住民族(カンボジアのクメール族)を統合し、ルアン・パバンを都にラン・サン王国を建てたことがラオスのはじまりと言われている。ラン・サン(Lan San)は「百万頭の象」、ルアン・パバンは「黄金仏の都」を意味する。初代王妃の要請によって1357年にカンボジアのアンコール朝からパーリ三蔵経が持ち込まれ、王国は上座部仏教を受容した。
その後王国は1691年に3つ(ルアン・パバン、ビエンチャン、チャンパーサック)の王家に分裂し、ルアン・パバンはルアン・パバン王国の首都となる。18-19世紀にかけてはタイやフランスによる植民地支配の時代を経験しながらも、ルアン・パバン、ビエンチャンの両王国はいずれもラン・サンの名を継承する王朝として20世紀まで存続し、1949年にラオスがフランスの協同国として独立した際にはルアン・パバンの王がラオス王国の国王として即位した。1953年にはフランスがラオスの独立を認めるも、その後内戦が勃発し、1975年ラオス人民民主共和国の成立をもって内戦の終了とともに王制も廃止された。
このように周辺諸国や宗主国との関係のなかで存続してきたラオスの歴史が、現在のルアン・パバンの複合的な町並みに現れている。
【ルアン・パバンの町並み】
複雑な歴史を経て仏教文化と植民地時代の文化が融合したルアン・パバンの現在の町並みは、仏教寺院や、レンガやモルタルといったフランス由来の建築資材を使用したコロニアル建築、植民地時代に移住してきたベトナムからの華人による華南式の長屋のショップハウスなどで構成され、多文化的な景観を織りなしている。
◆タート・ルアン仏塔
ラオスで篤い信仰を集める仏塔。創建譚として、前307年にラオ族の5人の比丘がラージギールより持ち帰った仏舎利を収めるためにプラヤー・チャンタブリー・パシティサック王によって建てられたと伝わっている。
その後16世紀に、セタティラート王が仏塔跡に新たな仏塔を覆うようにして増築し、20世紀にさらに大規模な修復を行い、現在は全高約45メートルの仏塔となっている。低いドームを4面に切った仏塔の上には、しなやかな形に造形された尖塔が高く伸びており、ビルマ・タイ建築によく見られる様式となっている。周囲には同形の尖塔が30ほど配置されている。
◆ワット・シェン・トン寺
ラン・サン王国、分裂後のルアンパバン王家の王宮寺院にあたる。左右に流れ落ちる屋根の傾斜と、外壁のモザイク造りの壁画に特徴があり、ラオス建築の古典的な美しさを見せる庇と、1950年代後半に描写されたモザイク画が共存する建物となっている。
また、境内にある1962年建立の「ホー・サーラ・ロット堂」は葬儀に用いた木造の霊柩車を収納する建物である。この建物の外壁には『ラーマー・ヤナ』の物語の各場面が彫られており、20世紀にラオスの彫刻師によって造られたという。
◆王宮博物館
ルアン・パバン国王であり、ラオス国王でもあったシーサワンウォン王の宮殿。1909年に建てられたが、1975年に王制が廃止されると宮殿は機能を失い、現在は博物館として公開されている。博物館では、仏教文化が紹介されているほか、内戦前の王室の暮らしを示す調度品が展示されている。
観光化が進む近年では保存建築に指定された建造物をリノベーションしたブティック・ホテルの建設が増え、かつての王侯貴族やフランス人植民者が暮らしたコロニアル様式の建物を転用したホテルや、ショップハウスをリノベーションしたホテル、コロニアルなイメージをコンセプトに新設されたホテルなどが見られる。このようなブティック・ホテル事業には、フランス資本のみならず内戦期に亡命した帰還ラオ人の参入もみられ、コロニアルな記憶が新たな都市景観を形成している。
【ラオスの仏教美術】
ラオスの美術史上では先住民族時代を「先ラオ期」、ラン・サン王国建国以降を「純ラオ期」と区分する。先ラオ期には同じく世界遺産に登録されている「ワット・プー」がある。
◆ラオスの仏像
一方、純ラオ期美術は上座仏教の仏像が中心である。ラン・サン王国を建国したラオ族は、同様に中国南部に住んでいたタイ族と種を同じくする南方系タイ族であるため、ラン・サン王国建国以後のラオスの美術は、南のタイ美術の影響を強く受けながら発展した。
はじめはタイのスコータイ様式の特徴が濃く、タイ北部のチェンセーン様式の影響もみられたが、14世紀頃になるとラオス独自の様式が出現した。
◆ラオスの寺院建築
ラオスの仏教寺院は釈迦仏を安置した本堂「シム」と、仏舎利などを秘蔵する「タート」を主体とし、構成されている。本堂の造形は、①屋根の庇(ひさし)が地面にとどくかのように流れ落ちるもの、②反対に屋根の庇の位置が高いもの、とで二分される。前者はタイ北部のランナー・タイ王朝、後者はタイ中部のアユタヤ王朝・バンコク王朝に近似している。
現在、ラオス美術の特徴を示す寺院建築は木造であり、特に前者のような、木柱の上に勾配のきつい長めの屋根が互い違いに反りながら幾重にも重なり流れる形状の建築がよく知られている。棟木の両端には派手な縁飾りが天に向かって伸びており、広い濡れ縁は張り出した軒で覆われている。
また、寺院の入り口や窓は左右両開きになり、その面に施された木彫浮彫もラオ美術の特徴となっている。木材の豊富なラオスならではの創意工夫で、人物・動物・植物などが描かれる。木は腐りやすいため、現存するもののほとんどが19世紀以降の作品である。
・伊東照司(1985)『東南アジア仏教美術入門』雄山閣
・伊東照司(2007)『東南アジア美術史』雄山閣
・フィリップ・ローソン著(レヌカー・Mほか訳)(2004)『東南アジアの美術』めこん