都市の起源は、アケメネス朝ペルシャ時代初頭(B.C.6~5世紀)に遡る。712年にアラブ人に侵略され、グルガンジ(ウルゲンチの語源)と名付けられた。10~14世紀頃には東西交易の中心地として繁栄し、特に12世紀にはホラズム朝の首都として、中央アジア第2の都市となった。
旧市街には主に11~16世紀のモスクや隊商宿(キャラバンサライ)、要塞などの跡が残されている。また、クトルグ・ティムール・ミナレットは67mの高さで、中央アジアでは最も高いミナレットである。レンガの配置により、ミナレットの表面には幾何学的な文様が浮かび上がって見える。
イル・アルスラン霊廟は正方形のごく小さな廟で、幾何学的な文様を浮かび上がらせた十二角錐の屋根が特徴的である。やや規模の大きいスルタン・テキシュ霊廟も似た概観をしており、幾何学紋様が浮かび上がる円錐型の屋根には、ターコイズブルーのタイルも残っている。クトルグ・ティムールの夫人であるトゥラベク・ハヌムの霊廟は大規模なもので、八角形の造りで、高く開いた飾り窓と玄関が特徴である。
町の北部には広大なムスリム墓地が広がっているが、特筆すべきは14世紀前半に建てられたナジムアッディン・アルクブラ霊廟である。ナジムアッディン・アルクブラは1145年に生まれ、スーフィズムのクブラヴィド学派の祖となったほか、画家、物理学者、チェスの名人としても名を残した。
これらの史跡は、建築や工芸の高い技術水準を示しており、後にはイランやアフガニスタン、16世紀インドのムガール帝国にも影響を与えた。
1221年のチンギスハーンの侵攻によりクニヤ=ウルゲンチは破壊された。その後、再建されるが、1372年と1388年にティムール軍によって再度破壊され、17世紀には町の繁栄の源でもあったアムダリア川の流れが変わったこととも相まって、かつての繁栄を取り戻すことはなかった。