ポポカテペトル山麓の16世紀初期の修道院群

14世紀に噴火を目撃したアステカ人はメキシコ中央部にあるこの山を「ポポカテペトル(煙を吐く山)」と呼んだ。16世紀初めにメキシコがスペイン人に征服された後、ポポカテペトル山麓に次々と14の修道院が建てられていった。フランシスコ会(1523年~)、ドミニコ会(1526年~)、アウグスティノ会(1533年~)の修道士たちは、この地を布教の拠点とした。

先住民たちを改宗しようとした修道士たちは、当初、神殿や象徴の破壊などの暴力的手段を用いたが、効果がなかったため、アステカの神々の信仰とキリスト教の信仰を混合させていくようになった。その結果、ポポカテペトル山麓に建てられた修道院の建築様式も変わっていった。たとえば、イエス・キリストなどの像が先住民風の顔立ちになっていることや、屋外で宗教儀式を行う先住民の習慣にあわせてチャペルを大きくし、天井のない中庭と繋げたことなどがあげられる。当時の修道院の多くが現在でも教会として使われている。現在、人口の大半がカトリック信者であるメキシコの宗教を考える上でも、当時の修道士たちの役割は重要なものであったと言えるだろう。

参考文献リスト